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Day1:自分のため、そして誰かのために書く

今年の3月に48歳になったのですよ。

50歳が目前!
歳を重ねることに、あまり抵抗がないタイプなので「あ~50歳かぁぁ。涙」という気持ちはあまりない。ちょっとはあるけれど。

ただ、若いころ、まわりの大人たちが口をそろえて言っていた「老眼が~」
「体力が~」「腰が~」というような体の変化は本当に身に沁みている今日このごろ。

夢ってなんだったっけ?

わたしは20代のころに自己啓発の沼にズブズブとハマった経験があるので、目標達成や夢を叶えるという言葉が大好き。

叶った夢もあれば、叶わなかった夢もある。
諦めた夢や、あまり真剣になれなかった夢もある。

いまの夢はなにかなぁ?

そういえば、最近は夢を思い描くことが少なくなったような。
ある意味、満足しているってことなのかな。

ゆめ、ユメ、夢?
なんだろう?

人と関わるのが好きではないので、できればひとりでできる仕事で稼げるようになりたい。
気持ちと生活が安定するくらい稼げると尚よし。

夫になにかあっても、ドーンとこいっていうくらい稼げると安心。

夫が定年を迎えたら、石垣島で暮らしてみたいし、人生でいちどくらいはメリハリボディになってみたい。

んー、めっちゃ小さくて個人的な夢ではないか!
いや、必ずしも大きな夢がいいわけではないし、個人的な夢でもいいのだけど……

かつて、わたしにも人様の役に立ちたいという気持ちがあった。

いつのころからか、そんなことも諦めてしまっていたのかも。

もう一度、よーく考えてみよう

コーチングを勉強したとき、目の前の霧が晴れるようなかんじがした。
だからわたしも悩める人たちの力になりたいと思った。でも、実際にコーチ業をしてみると、人間嫌いのわたしにはちょっと違うかなぁという気持ちが湧いてきたんだよね。

じゃあ、メールコーチングはどうかな?と思ってやってみたんだけど、これはすごくしっくりきて、いちばん長い人だと3年ほど継続してくれた人がいた。

文章でのやり取りでも、だいたいどんな人かわかるし、顔が見えないからこそ言えることもあるんだということも知った。

もちろん、対面コーチングに比べたら行き届かないこともあるけれど、わたしのように対面はちょっと……という人もいると思うんだけど。

メールコーチング、またやりたいかも?
でも、需要は少なそうだな。

わたしは誰かのはなしを聴く人になりたい。

お世辞を言うでもなく、ただただはなしを合わせるのでもなく、ちゃんと相手のはなしを聴きたい。

誰かの人生に寄り添いたい。

仲のいい友だちにはなすように悩みや、夢や、ときには愚痴だっていいじゃないか。
そして、大いに自分語りをしてもらいたい。

そんなことができたらいいな。

誰かにはなすと楽になる、ということがある。
人は想いを言葉にして自分の中から出すと、楽になるのだ。

苦しい、つらい、うれしい、しあわせ。
自分の中で処理しきれない感情も、誰かにはなすことで形を変えていくはず。

書くことでなにかが変わるのか?試してみよう

あ!でも、あまり人と関わりたくないんだった。

むー、いろいろ矛盾しているな。

あぁ、だからわたしは書きたいのかもしれない。
面と向かってはなすのは苦手だけど、わたしの想いを言葉にすることならできる。

たいした経験もしてきていないわたしだけど、それなりに悩んでこじらせて生きてきたので、会ったこともない誰かの心が軽くなったり、くすっとしてもらえたり、この人が生きてるんだから、わたしだって大丈夫!なんて思ってくれたらいいな。

いや、それはちょっとおこがましいか。
誰かのために書きました、ではなく、わたしの言葉でわたしの文章を書きたいのだ。
そのときどきで感じたわたしの想いを言葉にのせてみたい。
誰かのためになったらうれしいけれど、誰のためにならなくても、それはそれでいいや。

とは言いつつ、人生も後半戦に突入したいま、自分の幸せはもちろんだけど、誰かのためを思って生きるのも悪くない。

そのためには、やっぱり伝える力が必要。

人生が変わるきっかけはたくさんあるし、人によっても違うと思う。

人生なんて、「書く」だけで変わる

「書く習慣」いしかわゆき著

わたしの人生が変わるきっかけが「書く」ことかどうかはわからないけれど、なんとなく試してみたい。

だから、わたしのいまの夢は自分の中にある想いを言葉として世の中に放つこと。

そして、そのあとにわたしがどんな想いを抱えているのか見てみたい。


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