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飛べないということの自覚が、ここに立ち続ける力を与える

生きていると、いろんなことが起きる。
毎回毎回、現れた問題をサクッと解決できればいいが、
解決できないまま、何年も過ごしたり、
解決したと思ったら問題そのものが間違っていたり、
立ち向かう体力すらなくなって、
とりあえず保留にするのが精一杯だったり…

とにかく毎日生きるだけで、結構な体力を消費するよなァと思う。

子どもの頃に描いていた夢が実現しなかったことについて
ジタバタ泣き喚く大人をあまり見かけない。
それはきっと多くの大人が、
「こんな風になるなんて」と思うこともありつつ、
まあ悪くない今だよなと思いながら生きているからではないだろうか。

昔よりも選択肢がたくさんあるようにみえる一方で、
選択肢すら選べない人のことは都合よく無視するし、
静かに追い詰められている人が多くなっているこの時代。
その生きづらさは、この現代社会に生きる人なら、
肌感覚で感じているのだろうと思う。

とはいえ、
そんな社会に生きる私たちの人生がが不幸でいっぱいかというとそうではなくて、むしろ、調節してはまり込んだ今が楽しいことだってある。

美味しいコーヒー屋さんを見つけたとか、
たまたま仕事で出会った人が優しかったとか、
好きなお菓子がちょっと安く買えたとか、
そんな小さな幸せを積み重ねて、私たちは日々を乗り越えているのだ。

そう、人間は案外、しぶとい。

ただし、
例えば、野原をスキップしていたと思ったら
いきなり大きな穴に落ちてしまって、
それがどうにも洞窟につながっていたらしく、
長い間抜け出せない…そんなシーズンが突然、人生に訪れることがある。

それって本当に辛い、辛いよねってことを、
今回はどうしても書き連ねたくなった。

(この話を伝えたい、私の大切な人がこの文を読むことはないが、
伝えたくて仕方がないので、今日は書こうと思う)

*


穴の中で、暗くて、寒くて、叫んでも助けがこないような日々が続いて、
火を起こそうと頑張ってみたり、ロープを作ってみたり、
できることはとにかく手当たり次第に試してみるのだけれど、
それが何一つ、役に立たない時がある。

時々、上から「大丈夫かーい?」とか「ご飯はいるー?」とか
手を差し伸べてくれる人が現れるのだけれど、
彼らは夜になると、悲しいくらいに、勢いよく自分たちの家に帰っていく。

時に、徹夜で助けてくれようとする優しい人が現れることもあるが、

どうにも穴が深すぎて手の施しようがない。


そのうち、その助けようとしてくれた手が
ボロボロに傷ついていることに気づいて、
心底申し訳無くなって「もう大丈夫だよ」とこちらから手を離してしまう。

そうしてまた一人で、どうにか穴を登ろうと頑張りはじめる。

偶然、ポケットに入っていたスマホの電波が、
どこか遠くの穴にはまっている人とつながって、
愚痴を言い合ったり、心から勇気づけられることもある。
それでも、電波が切れた瞬間にまた、孤独な現実に引き戻される。

太陽の温かな光の下、
ちょうちょが飛んで、綺麗な花が咲いている場所から
呑気に応援してくる人の声はだんだん疎ましくなり、
今私が抱える凍えるような寒さや、底なしの恐怖や不安はわからないのだと思うと、
「安全な場所から覗き込んでいるから、無責任な言葉をかけられるんだろう」
という静かな、しかし抗えないほど強い怒りが湧いてくる。

でもその頃には、その怒りを穴の外に叫ぶほどの体力も残っておらず、
そのうち、静かな悲しみが常に胸にまとわりつき、締め付けるようになる。



そんな、泣く力もなく、寝ることもできず、
ただ暗い闇を見つめて途方にくれている人に対する、
無責任な「大丈夫」や「応援してる」は、
穴の上から無慈悲に砂をかけることと同義だ。

身体中を痛めつけ、目を霞ませ、何より、自尊心を傷つける。

身もふたもない言葉だけど、
私はこういう時の、対処の仕方を知らない。

否、自分も穴に落ちていたと振り返る時期があるけれども、
それは私の暗闇の話。あなたの暗闇の話じゃない。
だから簡単に「わかるー!」話じゃない。

深さも違う、場所も違う。
穴に落ちた時の持ち物も、体力も、何もかも違う。
いつ穴から出られるのかっていうのは、
本人にも、もちろん誰にもわからない。

ただ、わからないんだけれども、
穴から出られない確率が
100%と決まっているわけでもない。

だからとりあえず今は、
「私は100%穴から出られない!」と
勝手に話を終わりにしないでほしい、とだけ、
お願いだから言わせてほしいと思っている。
(気分を悪くさせちゃったら本当にごめんだけど)

*

私が私自身の暗闇の中にいた時に手にした本に書いてあり、
頭を殴られたみたいに衝撃を受け、
以来、毎年手帳の片隅に書き続けている言葉がある。

飛べないということの自覚が、
ここに立ち続ける力を与える 
ーエンプソン

お恥ずかしながらエンプソンさんのことは詳しく存じ上げないが、
この言葉を目にするたび、ちょっと強くなるような気がする。

私が大きな声で、私の大切な、大切な人に伝えたいのは、
「自覚」こそが、あなたの力だ、ということ。

あなたがその暗闇に留まろうと思うなら、
あなたはずっと暗闇にいるだろうし、
あなたがここにいるべきじゃないと自覚するなら、
それだけで、穴を這い上がる力があるのだということ。

できない、と自覚することも
できる、と自覚することも
とりあえずわからないから保留、とすることも
「自覚できる」ということが、私たちを強くしてくれると
私は思っているし、それを伝えたい。

自分が何を身につけているのか?何が足りないのか?
何ができるのか?何ができないのか?
何を望んでいるのか?何を望まないのか?
深く深く「自覚」した時に、
私たちの本当の力が発揮されると思う。

穴から出る方法は人それぞれ違うけれど、
その時自分が身につけているものを
入念に再確認して、

活用できるものを発見したり、開発するのかもしれないし、


地道なトレーニングを続けて
自分に力をつけて這い上がるのかもしれない

もしくは、


のんびりと待っている間に、風が土を運んで、底上げしてくれたり、

偶然ちょうどいい木の棒やロープが舞い込んできたりするのかもしれない。



めちゃめちゃエアケースだけれど、
本当に命をかけて手を差し述べて助けてくれる人が現れることだってある。


何がその人を太陽の下に引き戻すのかは、誰にもわからない。
もしかしたら、明日かもしれないし、10年後かもしれない。
それでも、あなたが何者で、どこで生きるのかという「自覚」こそ、
あなたがいるべき場所に、あなたを運んで行くのだと私は思ってる。

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