榎本櫻湖

榎本櫻湖 a.k.a. 豚ばら肉エリカです。

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最近の記事

第55回新潮新人賞について

 このほど第55回新潮新人賞を受賞した伊良刹那というひとのインタビューをたまたま読んで、とある発言が気にかかってしかたがない。作品を読んでもいないのだからなにもいう資格はないのかもしれないが、「高校2年生の美貌の青年・北條司と、彼にひかれる同級生の速水圭一らが織りなす群像劇」とのことで、あわい同性愛があつかわれているらしいことがここからも窺える。  問題の発言は「美しい人物と、その美にひかれる(…)人物を設定し」たと語ったあと、「組み合わせが男女だと簡単すぎるし、性別を超えた

    • 光沢があり、そして臆病で、逃げ足が速く、ときおり飛びもする、卑しい生き物、いや、私たちから忌み嫌われる哀れな生き物、について

      榎本 今日は家庭でよくおみかけする、チャバネゴキブリ、ワモンゴキブリ、クロゴキブリのみなさんにお越しいただきました。いやあ、見ていられないですね、気持ちが悪くて。今回はどうして気持ち悪いと思ってしまうのか、検証してみたいと思います。まず、私が思うのは、その光沢なんですよね、なんなんですか。 クロゴキブリ ただいまご紹介にあずかりました、クロゴキブリです。この光沢は、主に脂質なのですが、簡単にいえば身を守っているわけですよ。関東では「アブラムシ」なんて呼ばれたりしますけど、本

      • 「痴漢」だったわたしについて

         もう十年以上もまえのことだが、もはや老舗だという一点でのみその名が知れ渡っている「歴程」という詩誌に掲載されたとある記事のなかで、わたしがその記事の作者の詩人(以下某氏)にたいして痴漢を働いたと書かれたことがある。  当時、某氏の作品を愛読していて影響もうけていたから、作者と実際に対面できてただただ感動していたことはたしかだ。詩歌の同人誌の即売会に出店していた某氏と歓談し、会場をまわるうちに何度か顔をあわせてうち解けられたのだと早合点して、その催しの終わり頃になってこちら

        • ある離人感、シスジェンダー・ヘテロセクシュアル男性優位社会の延命装置としての戦争とは無縁の場所で……、

           生きているのか、死んでいるのかもわからない。二〇一九年末から、新型コロナ・ウィルスによる感染症が世界的に猛威を奮いいまだ終熄の兆しも見えないなか、二〇二二年二月二四日には、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまって、人類史上稀にみる大混乱に地球規模で見舞われているらしいということを、掌中のスマートフォンを通して窺い知ることはなんとかできてはいるのだが、もう長くテレビのない生活を送っていると、なんとなくそれを点けているだけで入手できそうなあらゆる情報が、こちらから能動的に収集しよ

        第55回新潮新人賞について

        • 光沢があり、そして臆病で、逃げ足が速く、ときおり飛びもする、卑しい生き物、いや、私たちから忌み嫌われる哀れな生き物、について

        • 「痴漢」だったわたしについて

        • ある離人感、シスジェンダー・ヘテロセクシュアル男性優位社会の延命装置としての戦争とは無縁の場所で……、

          マツコ・デラックスになりたかった

           傍からすればすでにフェミニストだと認識されているようだが、そう自称できずにいる。別段それで困ることもなければ、得をすることもないのだが、しかし自身について話すときなどに、多少の居処のなさのようなものを感じることがある。トランスジェンダー当事者として発言する場合にかぎってのことではあるが、対話の相手にとってどのように映っているのか、わたしは敵なのか味方なのかを、どうやらうかがってしまっている自分をしばしば発見して、いささか萎縮してしまわないでもないのだ。フェミニズムに興味を持

          マツコ・デラックスになりたかった

          FIPに罹患したコシカのこの1ヶ月について

           8月24日に投薬を開始してから1ヶ月が経ちました。ワクチンのついでにおこなった血液検査でFIPだと判明したため、目だった症状もなく、小さくて大人しい性格なのだと思いこんでいたコシカでしたが、しかし薬を飲みはじめてからの短い期間で、どうやらそれもFIPの症状だったのではないか、といまにしてみればそのようにも思うのです。  8月24日に動物病院で計測したときには3.25キロだった体重が、2週間後には3キロまで落ちたのですが、溜まっていた腹水が排出されたせいだろうとのことでした

          FIPに罹患したコシカのこの1ヶ月について

          1歳4ヶ月の保護猫コシカを猫伝染性腹膜炎(FIP)から救いたいです!

           埼玉県狭山市に引っ越してきて、5年が経ちます。最初はひとり暮らしでしたが、2019年9月、前橋からひきとったキジトラのシャト(女の子・当時生後1ヶ月半ほど)との生活がはじまりました。お迎えした日こそベッドの下に隠れていましたが、次の日の朝、目が覚めると、枕もとで丸くなって睡る姿をみて、はじめての猫との暮らしへの不安感が吹き飛びました。  それから1年半が経った2021年5月初旬のある日の夕方、猫の額ほどのドクダミが繁った庭に、勢いよくのびた葉に隠れて丸まっている猫を発見し

          1歳4ヶ月の保護猫コシカを猫伝染性腹膜炎(FIP)から救いたいです!

          タケミツ・メモリアル (没後二十年武満徹オーケストラ・コンサート)

           たしかに音楽の授業で《ノヴェンバー・ステップス》くらいは聴かされるかもしれないが、それで武満徹の名前を憶え、ましてや興味を持ったものなど、どれくらいいるのかは推して知るべしといったところで、大抵はその名を記憶することもくちにすることもないまま、人生を送ってしまっているひとがほとんどなのだとおもう。それでも二〇一六年十月十三日、東京オペラシティで没後二十年を追悼するために開かれたコンサート(オリヴァー・ナッセン指揮、東京フィルハーモニー交響楽団)には、普段クラシック音楽すら聴

          タケミツ・メモリアル (没後二十年武満徹オーケストラ・コンサート)

          21世紀の音楽カタログ

           2008年に音楽之友社から発刊された『現代音楽を読み解く88のキーワード』(ジャン=イヴ・ボスール著/栗原詩子訳)の巻末には1908年から2006年までに発表された重要度の高い作品や出来事を年表式に列挙したリストが収録されている。300を超える項目には、ドビュッシーやストラヴィンスキー、バルトークやショスタコーヴィチといった既に古典になりつつある作曲家らの諸作品が並んでいたり、ケージ、シュトックハウゼン、クセナキスなどいわゆる現代音楽を代表する作曲家の名もあれば、パスカル・

          21世紀の音楽カタログ

          停止まで

          An den Wassern zu Babel saßen wir und weinten...  なにかの象徴なのではないオルガンのある一音がかすかに聴こえている。どこかの廃教会か忘れさられた巨大な空洞の奥から、弱い風の薄い表面に載せられて、それはやってきている。それ以外にはなにも、風の音すらも届かない砂利に覆われた大地に腹ばって。  雀の眼ほどの大きさのカメラのレンズを通して、いくつもの無粋な眼球がのぞきこんでいるある朝のプラットフォームにたち、貌のない少女は雑踏の彼

          停止まで

          笙野頼子さん、いったいわたしの性別はなんですか?

           十代の終わりに地元中野区内の書店で、ミルキィ・イソベ氏によるきらびやかな装幀のその本に惹かれて手にとり、頁をひらけば文字の大きさが自由自在に変化し、それ以上に紙面を縦横無尽に飛びまわることばに一瞬で恋に落ちてすぐさまレジへとむかい、純文学こそが目指すべき言語芸術のありかたなのだと蒙を啓かれてから、笙野頼子は唯一無二の憧れの存在であった。『タイムスリップ・コンビナート』を読んで沢野千本が辿った通りに中野から海芝浦駅へと「聖地巡礼」をおこない、『夢の死体』で描かれるY――つまり

          笙野頼子さん、いったいわたしの性別はなんですか?

          《都市叙景断章》

          わたしたちはもう、都市を失ってしまって――、 どこにもない街を、どこにもない風景の胃液が溶かしこんでいくそれらの、鎮静剤の効かない街路をすべるありきたりな恋愛映画の断片が、無惨に、というよりも、紙幣に集られた踝にうちこまれた高層ビル群の、たとえばその表情が、代替可能な無数の窓ガラスに反射しようとして、拒まれている、劣化した接着剤には少しの澱粉も浚われてはいないし、だからわたしは容易にすりぬけることができてしまっていた、透明な、燦爛に、安っぽい情景の、角膜を薄く削っていく、消

          《都市叙景断章》

          《都市叙景断章》についてのあれこれ

           ほんらいならこんな馬鹿げたことはすべきではないし、すでに書き終えたこと以上につけたすことばなどないはずなのだけれども、相変わらず馬鹿ばかりがのさばるこの世界で、せめてあの当時書いてしまったものらが、もう少しまっとうにうけいれられるためには、となにかをいわずにはいられなくなってきたので、わたしが書いてきたものが詩かどうかの判断をくだすのはひとまずさき延ばしにするとしても、なぜそのように書いてしまったのか、書くしかなかったのかを釈明してみることにした。おおよそひとりよがりで、理

          《都市叙景断章》についてのあれこれ

          @Arisa_Iwakawaさんに嚙みついてみた

           いまになって怒りがこみあげてきたので書いておく。昨日、@Arisa_Iwakawa氏の「私は「クィア文学」という言葉をよく使うが〜」というツイートにクソリプを送りつけたわけだが、わたしの主張としては「「クィア文学」なる呼称は不要なラベリングにすぎない」というもので、それについてのツイートの応酬がつづいた。  そのなかでわたしは「早稲田文学女性号」でレズビアンもトランスジェンダーもあつかわれてはいなかったことを嘆いたが、氏は「「早稲田文学女性号」に、トランスジェンダーの女性は

          @Arisa_Iwakawaさんに嚙みついてみた

          レビュー論争についてあれこれ

           今回のレビュー論争(というか「キャットファイト」)において大人げないのはむしろ伊藤比呂美のほうで、10000を超えるフォロワーの援護射撃を利用してまで山下晴代を攻撃するほどのことだったのか、ましてAmazonレビューを削除させることだったのか、皆目わからない。もちろん山下の、ほとんど文章の体をなしているとはいえない、これで文芸誌に4作も小説が掲載されたとはおもえないほどはなはだ不可解な(ブログに掲載される「詩」と称された思考の垂れ流しなど目を覆いたくなる代物だ)、文意が汲み

          レビュー論争についてあれこれ

          フリージア

          夢のなかで 四〇〇人の男のペニスを ずっとフェラチオしていた オーラル・セックスには抵抗がない というよりも好きなほうだし 朝から晩まで口のなかを圧迫されていたいとおもう 目が覚めると 四本のペニスが うようようねっていた 勃起したそれぞれには怒張した血管が巻きついていて とても肉感的でおもわずそのうちのひとつを両掌で つかんだ さきっぽから我慢汁が溢れて 舌をはわせる 愛おしい 果実がみのることはないが 幹の根元にはふたつのしわしわの椰子の実が ときおり蠢いて ココナッ

          フリージア