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最近蟹が好きになってきた

最近蟹が好きになってきた。
とゆうのも、食べることが最近になりようやく好きになったとかではない(もちろん元々好きなので)。
モチーフや絵が好きになってきた。
以前のように、その生き物感に気持ち悪いとは思わなくなった。ように感じる。いや、モノによるが。
よく見れば見るほどに、まさに深海生物らしい見た目に、元々生き物全般が得意ではない私は、失礼ながら気持ち悪さを感じていた。

実は1年ほど前までは、「蟹売ってるから赤い服着てるの?笑」などの、相手にとっては軽いコミュニケーションであるはずの蟹イジりに対して愛想で返しながらも、内心ではかなり面白くなかった。
蟹が好きで蟹屋になったわけではなかったので、「イジり方安易過ぎでしょ」「全然面白くないわ」「なんだそれ、めんどくさ」と思っていた。
しかし最近になり、あれ?蟹好きかも…愛すべき存在では?という思いに。


そこでしばらく、以前はただの商品でしかなかった、さらに見方によっては気持ち悪いとさえ思っていた蟹を、なぜ愛すべき存在と感じ始めたのだろう?という問いを繰り返してみて、1つの答えを得た。
それは、自らの中でだんだんと希少性が高まっていることである。
ここ数年、他の天然水産物の例に漏れず、私の周辺においては蟹もまた天候不良による水揚げ不足や、漁船の後継者不足、廃業による水揚げの減少が著しい。そのような中で、決して大きくはないにせよ、商売として成立するレベルで手元に来てくれる蟹たちと向き合うことが、私にとって蟹という存在の尊さを高めている。
会社にとっての商品としてのみでなく、資源としての貴重さが、より愛すべき対象となって見えるようになったのだろう。

今ではこんなトートバッグも愛用するほどだ。
これは以前の職場の先輩がくれたもの。「蟹屋だから」と蟹のお土産を貰っても、嫌な気持ちになるどころか、さっそく翌日から嬉々として使い始めるほどに。可愛い。もうシワクシャだけど。



希少性を感じてやっとその存在の大切さに気がつくというのも、対象からしてみれば実に失礼な話だ。ただ、これは結構あることだという実感も大いにある。買い物におけるシーンでも、希少性の高いものだ、みんなが手に入れられるものではない、とわかった途端に欲しくなるあの現象。希少性が貴重さに変わり、貴重さが高級感に昇華する。
職業柄もともと自然資源の大切さを感じる機会の多いであろう私も、希少性が高まれば高まるほど、蟹に愛着が湧いてしまった。希少性を感じる前に愛着が湧いていれば良いのに。もしくは好き嫌いに関係なくその希少性に敏感であったらよかったのに。希少性を起源とする愛着が増せば増すほど、希少であることを知る前には十分な愛着を持てていなかったことに反省の気持ちが湧いてくる。とはいえ希少性に気がつく前にその大切さに気がつくことは難しいことだというのも実感できることろ。最近になり気がついた蟹の可愛さについて。

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