酒井まゆみ

鮮魚店の3代目をしています。蟹が好きです。富山↔︎東京。余談。

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マガジン

  • 日々のこと

    いわゆる日々のこと

  • さかな屋お仕事memo

    さかな屋の仕事を通じて思ったこと・考えたことの雑記をまとめています。

  • Uターン体験談

    20代後半で地方にUターンした体験を。面白かったこと、驚いたこと、正直しんどかったこと…など、いいこともそうじゃないことも、いろいろ。

最近の記事

この世界への扉

幼い頃、祖父の自転車の後ろに乗ってあちこちを巡って時間を潰すのが楽しみだった。 母は自宅の隣の建物でピアノ教室を開いており、すぐ近くにはいたものの、いわゆる共働きの両親のもとで育った。兄とは7つ離れており、私が生まれた時には小学1年生だ。幼稚園バスから降りて母から迎え入れられた私は、母の生徒さんが通ってくる頃には祖父に預けられた。 祖父は魚屋さんをしていた。戦後の闇市から行商を始めた人で、その後は地元の漁港で仕入れた魚を中央市場に卸すようになり、そのうちお店を構えた人だった。

    • もはや無敵だ、だが敵は弱い。

      先日人生で初めて卵を茹でた。茹で卵というものだ。 この年齢になるまで自分で卵を茹でたことがなかったということになる。 茹で卵を自分で用意したことがなかった理由は明確で、それほど好きではないから。食べられなくはないが、強制的に出されない限り食べない。嫌いではないが、進んでは食べない。目玉焼きよりは卵焼き派。分離しているよりは混ざっている派なのだ。そういえば、小学生の頃、「卵焼きを作ってみたい」と母に頼んで卵焼きの作り方を教えてもらったことはあったが、目玉焼きを作りたいとも食べ

      • 駄々を捏ねる

        私には中学から今まで仲良くしている唯一の親友がいる。理華子。先日久しぶりに夜な夜な長話をする時間をもった。私には、話題にはしないことにしているものの、彼女との印象的な思い出がある。時々思い出して、そんな時期もあったな、と1人で懐かしく愛おしくなる思い出だ。 今から12年も前の話だが、成人式の日のこと。彼女と一緒に行く約束をしていて、会場への送迎は私たちの母同士が分担してくれた。行きの運転は理華子母が担当してくれることになっていた。朝早く美容室で着付け・ヘアセットをしてもらっ

        • 腐った蒲鉾

          休日の夕方。実家のリビングで寛いでいると、母がお茶請けにと蒲鉾を出してくれた。母はいつも蒲鉾を温める。時には湯煎、時にはレンチン。どちらにせよ、私たち家族はほんのり温かいほわほわの蒲鉾が食べたいのだ。一口食べて「蒲鉾はあったかいのに限るよね」と共感をわざわざ言葉にしていちいち共鳴するのが私たち母娘のお約束だ。 私には、母が蒲鉾を出してくれると蘇る思い出がある。 学生時代に一人暮らしをしていた頃、月1度ほどのペースで母が段ボール箱1つ分の荷物を送ってくれていた。大学院時代は金

        この世界への扉

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        記事

          解消されないミスマッチ

          2024年ももう1/6が過ぎようとしている。いつもより1日多いと入っても早くも過ぎ去ろうとしている2月を振り返ると、ミスマッチ、これを実感した毎日だった。 天候や自然環境に大きく左右される私たちの仕事は、お客さんの要望との解決できないミスマッチの連続だ。お客さんが欲しいタイミングで商品がないなんてザラで、私たち水産物の流通業者は、漁師さんたちが獲りに行ってくれなければ商品は手に入らないし、天候が味方してくれなければ漁師さんたちも仕事に出かけることができない。そうやって自然と

          解消されないミスマッチ

          処方箋を持って、恥を晒しに

          11月に風邪を引いたのをきっかけに、お鼻のぐずぐずを拗らせて、副鼻腔炎を発症してしまった。昔は蓄膿症と言ったのか。いつも花粉症の季節には軽めのを発症するのだが、今回はしっかり罹患してしまい、友人に聞いて評判の良い耳鼻科へ。 お医者さんにかかった時は本当にしんどくて、頭は痛いし、鼻が詰まって息も苦しいし。もうなんかテキトーに服着て病院行って、帰りは仕事だから会社近くの薬局行って処方箋出して仕事に戻った。会社からは近いけどその辺りに住んでいないので、ずっと存在は知っていたけど利

          処方箋を持って、恥を晒しに

          2日連続で行ってしまったよ、イヴ・サンローラン展

          もう昨年のこと。 「イヴ・サンローラン展 時を越えるスタイル」 今さらですが、12月上旬、国立新美術館に行ってきた。 とりあえず、サイコーだった。 順路を進むほどに現れる憧れのメゾンの華やかなドレスに魅せられる高揚感と、静かな空間で次々と美しいものが視界に入る美術館ならではの心地よさに、なんと2日連続で観覧してしまった。 1回目の観覧から帰った夜は、冷めやらない興奮でなかなか眠りにつくことができず。 ベッドの中で、この気持ちを整理するにはどうしたものか?と思いを巡らせ、「

          2日連続で行ってしまったよ、イヴ・サンローラン展

          夜明け、の兆し、の気配

          2月に入り2度目の週末。 1月は震災後ということもあり、非日常から日常へのグラデーションの中にいて、自分もお隣さんも世の中もそのグラデーションのどの辺りにいるのかわからなかった。(もちろんまだ非日常の真っ只中にいる人はたくさんいらっしゃるのだけど) お客さんも、県外人ぽいなと思えば、「復興支援で東京本社から来てます」とかがほとんどで。うちのメインの顧客層である、「県内の遠くの市町村のお客さん」はむしろ少なかった印象。 それが今週末辺りから、なんとなく県東部からのお買い物のお客

          夜明け、の兆し、の気配

          今宵 祭

          今日2/9は親愛なるそして敬愛なる母のお誕生日。 昨日は前夜祭。一昨日のうちに母の好きなモンブランを買ってきて、前夜祭の前夜祭からお祝い。2人で分け合う2夜。 当日の今日は仕入れた蟹と甘エビで甲殻類ディナーをノリノリで作らせてもらった。 明日は後夜祭。仕込みは完了。楽しみ楽しみ。

          最近蟹が好きになってきた

          最近蟹が好きになってきた。 とゆうのも、食べることが最近になりようやく好きになったとかではない(もちろん元々好きなので)。 モチーフや絵が好きになってきた。 以前のように、その生き物感に気持ち悪いとは思わなくなった。ように感じる。いや、モノによるが。 よく見れば見るほどに、まさに深海生物らしい見た目に、元々生き物全般が得意ではない私は、失礼ながら気持ち悪さを感じていた。 実は1年ほど前までは、「蟹売ってるから赤い服着てるの?笑」などの、相手にとっては軽いコミュニケーションで

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          2024年1月を振り返って

          気がつけば今年も1か月が過ぎようとしている。早いものだ。 月並みな表現だが、1年の1/12が過ぎ、あの大きな揺れからも1か月。 1月1日はここ2年ほどは寝正月を決め込んでいる。この仕事を始めてからは、ありがたいことに年末が最大の繁忙期ということで、31日まで思いっきり働かせてもらうのが恒例だ。1日にいかに気持ちよくダラけることができるか、をテーマに、31日の終業まで体力を使い果たすことに集中して追い込むことを楽しんでいる。 2023年12月の振り返り 2023年は仕事の

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          2024年1月を振り返って

          これまでとこれからの学びを緩やかに繋げ綴る

          転職や副業が以前よりもライトに語られるようになり、大人になったからといって働く場所だけをフィールドとすることは少なくなった。社会人学生としての学び直しなども市民権を得つつあるいま、社会で生きるみんなは自らの活動のフィールドをどんなふうに整理しているだろうか。活動のカテゴリーや学びのディシプリンを明確に定義している人もいるだろうし、定義の途中にいる人もいるだろう。私はというと、定義の途中にもないというか、活動のフィールドはこれからの長い人生で広がり続ける気がしているし、ディシプ

          これまでとこれからの学びを緩やかに繋げ綴る

          色彩検定1級とってみた

          普段は魚屋をしている私だが、少しばかり学びを齧り始めた分野との関連で、2022年夏ごろから色彩検定の勉強を開始して、2023年1月に1級に合格した。級で合否が出るタイプの?民間の?検定?みたいなものは高校時代の英検以来、誰でも受けられる開かれた試験というのは大学時代のTOEIC以来だった。久しぶりの試験になんだかとってもワクワクしつつ、どれくらい勉強して何点くらい出るものなのだろう?と見当もつかず、フワフワした想像を楽しんだ受験勉強だった。大人になって検定というものを受けるな

          色彩検定1級とってみた

          自営業の人間も「お店の後」の人生を考えたっていいのでは

          今月の下旬からお店を休業することにした。というのも、私の人生における「魚屋の後」の準備のため。自営業、とりわけ家族経営に毛が生えた程度の規模でやっている小さなお店だから決断できたことで、社長特権を行使させてもらった形だ。考える時間、が今どうしても必要だった。 自営業の人やお店をやっている人って、「このお店を一生やっていくんだろう」「これを一生の仕事にすると覚悟を決めてやっているのだろう」と周囲から認識されることが多いのではないだろうか。このあたりが世に存在する企業に就職して

          自営業の人間も「お店の後」の人生を考えたっていいのでは

          商品ラベル「20代独身女性」からのお願い

          大学卒業後、または首都圏での就職後に生まれ育った場所にUターンした人や、それまでは縁がなかった場所に移住した人って一部いますよね。その理由は様々で。「どうしても帰ってくるように言われた」とか「帰ってくることが条件の県外進学だった」とか地方特有の保守的な理由からのUターンもあれば、「親が病気になって」などやむを得ない事情からのUターンもあるでしょう。もちろん、「家業を継ごうと思った」または縁のなかった場所であっても「地方でやりたい仕事が見つかった」など自分で決めた人も多いはず。

          商品ラベル「20代独身女性」からのお願い

          「地産地消」って死語だっけ?

          これまで、昔からその土地で生産され地域の人々に愛されてきた野菜や魚などが、生産者や流通業者、行政の努力により地域外へ発信されてきた。地域内でのみ消費されていたものの魅力が地域外の人々に伝わり、首都圏のいわゆる高級店で扱われることが増えた産品もあるだろう。それにより需要が高まり、価格が上昇することで、収入が増加した生産者もいるはずだ。 いわゆる「ブランド化」が目指される流れが大きくなった。 2004年には中小企業庁が、地域の特性を生かした製品の魅力を高め全国あるいは世界で高い

          「地産地消」って死語だっけ?