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第1話 はじめて心を使った出来事

振り返ってみると、私が心の力を使ったのは、意図的に使った場合もありますが、大抵の場合、何等かのストレス(怒りや苦しみ)に自分が気づいた時、無意識に使ったということでした。

私が小学校に入る頃、父が勤め先の会社での派閥争いに負け、退職してから人間不信に陥り、今でいうニートになりました。
大国柱が家に引きこもって内職をしていましたが、そのお金を全部、ギャンブル(パチンコと競馬)に使ってしまいました。

当時の昭和の時代は、中流家庭が多い中、私の家だけが学校の給食費も期日に払えないという生活を送っていました。

私は生まれつき、見えない世界があることを知っていました。
見えない世界の問題を解決すれば、現実が変わると思っていました。
ですが、生まれてきた地球での生活は苦しいもので、
もう2度と、地球に生まれて来たくない!」という、強い願望を持っていました。

その想いが極限に達した時、私は宇宙に向かって叫んでいました。
『お金なんかなくてもいいから、悟りたい!』と。

そうしたら、本当にいつもお金のない生活を送ることになってしまいました。
小学校6年生の時、母から電気代が払えないからという理由で、おこづかい(当時500円)を持っていかれてしまいました。
高校は何とか卒業できたものの、最後の授業料は卒業した後に払いにいきました。生活に困窮していることを先生方は知っていたので、進路相談の声もかかりませんでした。

そうして、高校を卒業してアルバイトをしながら、英文タイプと英文ワープロ、貿易実務を習って、繊維の貿易会社に就職しました。
当時の給料は8万円で残業代はつきませんでした。
その後、インド商社に転職しました。
外資系ということもあって、給料は12万円まで上がりました。
面白かったのは、給料を小切手で貰うことでした。

そうして22歳のある日の夜、父が家族4人を集めて、こたつのテーブルに置いたのが、母が金融機関でお金を借りた証書でした。

そして、父が「これを全部、お前(私のこと)が返せ」と言いました。
私は、母の借金数百万をひとりで返さなくてはいけなくなりました。
後の3人(父・母・姉)は、知らんぷりで助けてもくれませんでした。

当時は学歴社会で、学歴のない私は実力で勝負が出来る派遣社員を選びました。今から20数年前の貿易事務の時給は1300円でした。
英語が話せたら1400円。
いかに、この業界の時給が上がっていないかがわかると思います。

そして23歳の時です。
このままこの家にいては、「私は幸せになれない」と思いました。
借金を返すことが出来ても、父にお金をアテにされるのはわかりきっていました。
私は幸せになってはいけないのだろうか?
いや、誰もが幸せになっていいはず・・・。

その時、宇宙に向かって(心の中で)叫びました。
「私も幸せになりたい!」と。

その願いが叶ったのは、3年後でした。
今の主人との出会いによって、私の人生が変わりました。

実は、主人の両親が私の家のご近所さんを訪ねて、聞き取りをしたのです。
その時、誰もが同じことを言ったと教えて貰いました。
「あそこのお家は、娘さんはいいんだけれど、お父さんがね・・・」

父が良く通っていたパチンコ店に景品を卸していたタバコ屋さんのおばさんが、父がパチンコで負けると、台をどんどん叩くなどの迷惑行為をして困っていることを話されたと聞きました。

それでいったん破談になるものの、ある日の夜中の3時に主人のお父さんから電話がかかってきました。
「家を出る覚悟があるなら、うちに来なさい」と。

そうして、私は父と縁を切り家を出ました。

心の力は私の人生を変えてくれましたが、こんなに強力な力は、人生で何度も使うものではない・・・と思い、封印しました。
それが、韓国発祥のヨガで再び、何度も使うことになるとは、当時の私が知ろうはずはありませんでした。


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