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#7 居場所


今この記事を書いている、30代も後半に入った私は

記事を書くにあたって当時の自分の思い出を振り返って驚いた。

ほとんど記憶がなかった。


誰と同じクラスだったか。

クラスでの授業や、文化祭や体育祭のこと。

当時何が流行っていたか。

担任の先生は誰だったか。


いじめを受けていた中学二年生の後半期間の記憶はほとんどなかった。


部室でピアノやオルガンを弾いていたとか、些細なことを断片的にしか覚えていない。


誰かに聞いたことがある。

人間は忘れる生き物だから、と。


どんなに泣いて辛く苦しいことも

忘れることは出来るんだな、と思う。


自殺未遂を親に見つかってしまってからは

家族は私をまるで腫れ物に触れるように扱った。


今日は学校に行ける?

先生に相談してみる?

今日は大丈夫だった?

何でもいいから話してごらん。


そうされて、嬉しいと言う気持ちや安堵感は正直あまりなかった。

妹の心配そうな顔も嫌だった。

憐れんでるんだろうと思ってしまっていた。

今更何を言ってるんだろう。

今まで散々放ってきたのに。

そして、余計に自分が惨めに思えた。

失敗作だろうな、と思った。

「お姉ちゃんなんだから良い子にして」

こんな出来損ないは望んでいなかっただろう。


しばらくは1人になる時間もなく、

いきなり向けられた親からの関心にひたすらに居心地の悪さを感じていた。

そうして、親にイジメが発覚してからも特に事態は改善しないまま

ただ、時間だけが過ぎた。


友達と遊んだような記憶はない。

どうやって過ごしていたのかも覚えていない。

それでもイジメは徐々に収まっていった。

イジメがどのように終息したかも、正直よく覚えていない。

ただ、ある日突然イジメの主犯だった子は私以外の子にターゲットを変えて、

自分の仲間以外の子を順番にいじめていった。

イジメの主犯が改心したでも、先生に怒られたでもなく、ターゲットが変わっただけ。


私がターゲットになっていた期間が1番長かったから、ターゲットが変わった時も

終わった、という実感や開放感は無く、

無視する程度の嫌がらせは続いていたので、何とも中途半端な気持ちだった。


それでも、人前で泣いたり、誰かを頼ることはなく

学校では毅然として振舞ってたせいか

部活の同級生からは、すごいね、強いねなんて言われたりもした。

1ミリも嬉しくはなかった。

そんなことないよ、とだけ言った。

1番仲の良かった、いじめられていた子ですら、自分がいじめられないために平気で寝返っていじてる側にまわるのだ。

そんな人達から何を言われても、心には何も響かなかった。


永遠に続くかと思っていたイジメを受けていた期間が過ぎ去り、進級する少し前に新しい部長を決める季節が来ていた。


私は同級生達に推薦されて立候補した。

イジメを受けた同級生たちはみんな、私が部長に相応しいと言っていた。

どうせ目立ってターゲットにされるのが嫌なんだろうな、とか冷めた気持ちで思っていた。

それでも私自身も、部長になれなかった大好きだった先輩から薦められて

先輩の無念を晴らすような気持ちで結局は立候補した。


いじめの主犯の子も立候補したが、投票で私は圧勝した。

主犯の子にはいじめの共犯仲間からしか票は入ってなかった。

代わる代わるいじめられていた同級生、遊んでばかりでろくに練習もしない様子を見ていた後輩達はみんな私に投票してくれていた。

中学三年生に進級するころ、いじめをしていた3人組は部活を退部した。

この時初めて、やっと終わった、という実感が沸いた。


部長になったこともあり、いじめを受けた同級生達と

これで平和に過ごせるね、と安堵し

散々妨害されてきた部活も、モチベーションの高い子だけが残ったこともあり

自分達の代で全国大会へ行こう!と盛り上がった。


夏の間は目指せ全国大会!と、ひたすら部活に打ち込んだ。

夏休みでも朝から部室を開け、練習の準備をし、大会のための臨時応援者を受け入れたり

指導したり、全体練習のスケジュール決め、練習の段取り、後輩への指示

朝から夕方までフル稼働だった。

同級生達が帰っても自主練したい人に付き合って残ったり

大会が終わった後の引退を見越して、後輩の相談に乗ったりしていた。

夏休みの練習中に、憧れだったA先輩と、前部長だったC先輩が遊びに来てくれたことがあった。

先輩達は冷たいジュースを差し入れてくれて、みんなをべた褒めしたり、アドバイスをくれたり。

本番も見に来ると約束してくれた。

先輩達が果たせなかった全国大会へ、先輩の意志を継いで行くんだということに、燃えていた夏だった。

すごく大変で、毎日必死で、夢中だった。

自分の中で、やる気が毎日綺麗に燃えていた。


結果は、惜しくも全国大会進出には届かなかった。

それでも、ここ数年の中で1番の成績を残し、悔しさと嬉しさで大泣きした。

学生らしい青春だったと思う。

三年生になって初めて、学校が楽しいと思えた。


イジメをしていた子達のことは、当時は心の底から憎んでいた。

学校や先生達に露見せず、有耶無耶になっただけだったから。

悪いことをしたら?

法律に触れていれば裁かれる。

学生であれば、先生に、親に叱られる。

でも彼女達は裁かれず、叱られず、何の罰も受けていなかった。

でもそのせいか、イジメを受けていた同級生達と、結果を残せたことは嬉しかった。

ある種の証明だったのかもしれない。

イジメをしていた子達は、部活をやめてから段々と素行が悪くなり

主犯格の子はビジュアル系バンドの追っかけを始めて

痛い系の発言(私は美しいからきっと○○と結ばれる!)等を至る所で繰り返し

周りから引かれていたようだった。

家庭環境が良くないのか、学校も休みがちになり三年生の後半にはあまり見かけなかった。

因果応報だと思った。

私は、何とか地獄の日々を耐えきった。

でも、イジメられていた記憶よりも

友達だと思っていた子に裏切られたことや

親を頼れなかったこと

その事の方が、今も私は苦しめられている。

当時、誰にも言えなくて、逃げ場がなくて、絶望していたことは

私の人格形成に影響を及ぼしていた。


今、もし、これを読んでいる人で

イジメを受けて苦しんでいる人がいたらしってほしい。

イジメが解決しなくても、具体的な助けにならなくても、それでもいい。

誰かに自分がつらいと話すことは必要だよ。

今は、相談ダイヤルやカウンセラーがいる学校もあるし

カウンセリングが一般化してきて、無料で電話できるところもある。

検索すれば、いくらでも出てくる。

話すことで、明日から急に解決する訳じゃない。

イジメはなくならないかもしれない。

それでも、誰かに話すことは必要なことだった。

イジメはなくなったけど、私にはそれがなかった。

何でもいいから、どこでもいいから、誰でもいいから、話してみてほしい。

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