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棋譜を並べていたころ

「就活」というテーマで友人たちと同時に日記を書くことになった(ほかの人の記事は以下のハッシュタグから読めます)。

#同時日記 #就活

さて、ぼくの就職活動はどうだったのかというと、とにかく、働きたくなかった。

大学生のころは、読書とコンピュータオタク行為全般(ハードいじり、プログラミング)ばかりしていた。3年のころに単位の状況があまりにもまずく、まじめに勉強をはじめたら、意外とおもしろくなってきたので大学院に行くことにした。実際はたぶん、働きたくなかっただけなんだけど、当時は自分でも気づいていなかった。

そういうわけで大学院でも研究をほとんどせずに、本とコンピュータと、あとはそのころはまっていた将棋とチェスの棋譜並べばかりしていた。修士課程の2年というモラトリアム期間を、明らかにもてあましていた。

友達はどんどん就職していく。羽生善治の棋譜を1人で将棋盤に並べながら、このままだとまずいかもしれない、これからどうなるのかな、なにもしてないからどうにもならないよな、まずいまずいまずい、しかしこの銀打ちは見えないな、羽生天才だな、などと思っていた。

どれくらいそんなことをしていたかというと、羽生さんのデビューからすべての棋譜を並べ終えるくらいです。たしか当時で1000局近く。のちに羽生さんに「そんなことする人いませんよ」と呆れ気味に言われたので、こんな人はめったにいないんだと思う。それくらい困っていたんだと思う。

就職は、あいかわらずしたくなかった。自分が毎日会社に行って「ビジネス」をしている姿はまったく想像できない。大学院に残るほどの学力もなかった。大学で開催された国連職員の説明会も覗いてみたけど、リクルーターの話す英語がぜんぜんわからなくて無理だと思った。

その頃、Linuxのオープンソース活動に参加していた縁で、アスキーの「Linuxマガジン」の創刊号に記事を書いた。編集者とやりとりしている時に、アスキーのウェブを見たら、募集要項が乗っていた。

そうか、アスキーか、と思った。コンピュータばかりいじっていて、本ばかり読んでいる自分でも、ここなら「アリ」なんじゃないかと思えた。応募してみたら、運良く受かった。結果的に、小学生の頃から好きだった趣味が、職業に結びついたわけだ。

その後、ダイヤモンド社に移籍して書籍の編集者になって、コンピュータから離れ気味になっていたんだけど、今の仕事になってまた「本とコンピュータ」の世界に戻ってきた。2013年には名人戦の観戦記を執筆するという将棋ファンならよだれを垂らすような機会もいただいた。なんと、あの頃の棋譜並べまで役に立ってしまった。

スティーブ・ジョブズが有名な演説で「コネクティング・ザ・ドッツ」と言ったけど、点は意外につながることもある。素直に好きなことをやるのは、けっこう大事なんだと思う。というか、ぼくはそれ以外できそうにないので、しょうがないのでその範囲で世の中にお役にたてるようにがんばっております。ていうか、意外と仕事っておもしろかったのがびっくりしたな。

2015年3月9日

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