【万葉集】大君は(巻三・二三五 柿本人麻呂)
【解釈】
久しぶりに奈良に行ってきました。
橿原、明日香、桜井とレンタサイクルでうろうろして、学生時代に戻ったかのような休日でした。
今回のテーマである柿本人麻呂の歌は、明日香村にある雷丘(いかづちのおか)が舞台です。
詞書は「天皇、雷丘に御遊(いでま)しし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首」。そのままですね。
そんな雷丘は今も明日香村にあるのですが、これがもう本当にびっくりするくらいちっちゃいのです。何も言われなければ素通りするレベル。
初めて行った25年前にはGoogleマップなんてなかったので、この辺りに雷丘があるはずなんだけどおかしいな、とレンタサイクル屋さんでもらった地図を見ながら悩んでいたら、しばらくして自分の真横にある古墳みたいな森みたいなやつが雷丘だと分かり、たいそう驚愕したものです。
柿本人麻呂、なんぼ何でも大げさすぎない?という気持ちになるような、ボッサボサの小山です。
大和三山はもちろん、甘樫丘よりさらに小さい。
今回久しぶりに見ましたが、もう何度見てもやっぱり小さい。
神とか言わない方がいいんじゃないかなって心配になるくらい小さい。
この小ささを10年に一度くらい確かめに行きたくなるくらいの小ささです。
でも何というか、この小ささが明日香のいいところです。
大和三山もいちいち低いし、飛鳥川も農業用の水路かな?というレベル。
その可憐さが、実に美しくて愛おしい。やわらかで空が広くて、ああ、大和ってこういうところなのか、と妙に納得できる風景です。まさに国のまほろば、やまとしうるはし、という気持ちになります。
香久山の近くではコスモスが咲いていて、穏やかな秋の日でした。
雷丘がどんだけ小さいか、しばらくしたらまた確かめに行ってみようと思います。
奈良の旅はやっぱり楽しい。
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