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【百人一首】(よをこめて/六二 ・清少納言)

よをこめて鳥の空音(そらね)ははかる共(とも)よにあふさかの関はゆるさじ
(六二・清少納言)

【解釈】

夜が明けきらないうちに鳥の鳴き真似をしたとしても、函谷関が開いたという故事ならともかく、私は決してあなたに会うための逢坂の関など開けませんよ。

出典は「後拾遺集」雑二 九四〇。作者はもはや説明不要の清少納言です。

受け取る人にも一定の知識と知性を強要する、おそろしい歌ですね。
でもよくも悪くも清少納言らしいというか、隠しきれない教養と頭の良さがすごい。

函谷関の故事というのは「史記」にある孟嘗君(もうしょうくん)のエピソード。一番鶏が鳴くまで開けないという決まりがある函谷関を、鳥の鳴き真似をして開けさせ、無事に逃げたというものです。

夜に遊んでいたところさっさと帰ってしまった藤原行成(ゆきなり)が翌朝になって「鳥の声に急かされて帰ったんだ」などと言ってきたので、「函谷関か!」とツッコミを入れた清少納言。

行成が悪びれず「函谷関じゃなくて、君に会うための逢坂の関だよ」なんて返してきたので、清少納言が詠んだのがこの歌、という経緯なのだそうです。むずかしい。

この二人は仕事仲間であり友人として親しく、恋愛関係ではなかったというのが通説ですが、どうなのかな。本当につきあっていた時期があったとしたら、それはそれでおもしろそうです。

清少納言らしいムダに知的な言い回しだけれど、せっかくのデートだったのに早く帰っちゃったのひどい、もっと一緒にいたかった、と全力でスネているのだとしたら、ちょっとかわいい。


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