見出し画像

寝ている間に泥棒が入ってきた話inマダガスカル


マダガスカルで活動して1年と半年が経とうとした頃、事件は起きた。


私の任地マジュンガはマダガスカルの西側の沿岸地域にあって、
首都からはバスで12時間。1年中暑い常夏の町

それもあって、以前紹介した皮膚疾患だけでなく
幾度となく食あたりで苦しんだ。

教育事務所に配属だったため、毎日自転車で学校を巡回しての活動だった
行くにも汗だく、着いて体育授業も外でやるため汗だく、帰りも汗だく

家の中では、ほぼ裸族で生活していた(笑)

寝る時もクーラーはなかったので、備え付けの扇風機を回すも
暑苦しい。布団なんて1度たりとも使わず(そもそもない)シーツ1枚の上に
蚊帳を張って中でほぼ全裸で寝ていた

そしてここからが問題
私が住んでいたアパートは1階がホテルになっていて、2階以上が賃貸
寝室にはベランダがついていて、暑くて死にそうなときはそのドアを開けて寝ていた→これがすべての失態となった

ある日、いつものようにドアを開けて寝て、朝起きたら寝室が大荒れだった

え…と思い見渡すと、泥の人の足跡がベランダから自分のベッドに向かってついていて、急いで身の回りを確認したら、携帯がないことに気付いた

引き出しとかも全部空いていて、ゴープロもない

パニックになった。隣の部屋に同期隊員がいたのですぐに部屋に行き状況を説明した。すぐに調整員にも連絡した。あまり覚えてないけど、たぶん結構泣いた気がする。

当時のカウンターパートがすぐに来てくれて、一緒に警察に行ってくれた。警察がアパートにきて実況見分みたいのが始まり、

恐らくはしごを使って上がってきた
下に警備員はいたものの寝ていた
催眠スプレーを使われていたかもしれない等

犯人が部屋に来て、自分の頭もとに置いてあった携帯を取ったということはどれだけ近くまでその人がきていたか、もし起きてしまっていたらと想像するだけで怖かった

何を取られたとかそういうことより、外を歩くのも怖くなった。この人が犯人なんじゃないかって疑ってしまったり、また来るんじゃないかって

被害届を受理してもらってから、一先ず首都にあがって暫く過ごすことになった。首都の隊員ドミトリーでも夜寝ていると音に異様に反応してしまうようになった

そして二次被害発生
パソコンで明細を確認したところ、見覚えのないアマゾンギフトの引き落としが数回にわたってされていることに気付いた。
詳細は覚えてないが、60~80万くらいだったかな。
恐らく、取られた携帯からアマゾンにログインされ(自動ログイン)購入されたのだと思う。

これもまたとてもやっかいで、カード会社に連絡して一旦止めてもらい、其のあとはこれもまたあまり覚えてないが、とにかく大変だった

結論は、すべて被害であることが認められ全額返金された

携帯にロックをかけていても、わりと解除は簡単らしい
色々なショッピングサイトなどクレジット情報を登録しているものは
自動ログインにしていると上記のようなことがされてしまうので要注意

あとは引き落としがされたら速報でメールが届くように設定しておくのが大切かな
そんなこんなでダブルパンチで精神ズタボロでした(笑)

それでも色々な方が心配してくれたり対応してくれて、自分から任地に戻りたいことを伝えた。何より自分を待っていてくれるカウンターパートや同僚、子どもたちに会いたかった

しかし元の家には住めないので、任地に戻ってから暫くはホテル生活になった。JICAが新しい家を見つけてくれて、同期と一緒に暮らすことになった。

当時職種は違ったものの、同じ任地で沢山お世話になっただいすきな同期や信頼できる同僚たちのおかげで再起することができた


こうなったのは、慣れからくる「大丈夫だろう」という認識の甘さが原因
自分の考えの甘さで沢山の人に心配と迷惑をかけてしまった

個人で旅行している訳ではなく、公人として活動させてもらっているわけだから、自分の活動も私生活ももっと自覚をもって責任ある行動をとり続けるべきだった


病気に引き続き、自業自得
すべて教訓にして、今回はより気を引き締めていきたい


【余談】

ちなみにとられたものもショックだったけど、
ほぼ全裸で寝ていたので、それを見られたかと思うと恥ずかしくなった
だから、寝るとき何かしら薄い衣服は普段から着るようになった

カンボジアで携帯、マダガスカルで携帯、インドで財布と
色々なものを世界に置いてきたわけだけど、
もう取返しのつかない、戻ってこないものを嘆くより
誰かの生活が少しよくなってるなら、くれてやる と思えるようになったのはいつからだろう(笑)

生まれながらの悪党はいない

悪に手を染めてしまうのは、自分が生きるためかもしれないし、
大切な人を守るためかもしれないし

わからないけど、喜んでやってるわけではないと思う
どうしても、そうするしかなかったのかもしれない

自分は日本に生まれて不自由なく生きてきて
将来の選択肢も自分で選べた

そんな人間が、今日食べるご飯もなく日々路上で生活する人の気持ちを解ろうなんてできない

でもその人たちが悪に手を染めないで生きれるように何かしたいと思って、ボランティアがしたかった(したい)
苦しい生活の人たちに、お金を配ってまわることはできないし、1人の人生すら変える事なんで簡単なことじゃないけど

どんなに苦しくても、自分にブレーキがかけられたり、止めてくれる家族や友達がいれば、孤独を感じなければきっと正当に生きていけると信じてる

だからこのボランティア活動を通じて、情操教育とか、周りとの繋がりとかそういうことをテーマにして1人1人と時間をかけて向き合っていきたい





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?