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2008年の『オールナイトニッポン40周年記念』~『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』~

2023年2月17日から19日まで、『オールナイトニッポン55時間SP』が放送され、色とりどりのパーソナリティーが耳を楽しませてくれました。

この企画は今に始まった事ではなく、過去にもリレー形式でオールナイトニッポンが放送される特番がありました。

私が最初に出会ったのは、2008年2月23日から24日に放送された『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』でした。

どうやって知ったのか、フジテレビのニュースでかすかに取り上げられたか、新聞広告が出ていたか、それは覚えていませんが、当時、宇都宮市の田舎に住んでいた大学生の私にとって、有名芸能人のラジオ番組はぜひ聞きたいものでした。

しかしあの頃はRadikoも無く、宇都宮にはネット配信も無く、スマホすら持っていなかった(ワイドFMもありませんでした)。
したがってラジカセでAMの電波を拾うしかありませんでした。

地方(宇都宮)のラジオ事情について書きますと、AMは栃木放送、FMはレディオベリー(FM栃木)、そしてNHKが主軸でした。
東京をはじめとするその他の地域のラジオを拾おうとすると雑音ばかりで、その次に聞けるかもしれなかったのがNACK5でした。
ニッポン放送やTOKYOFMを始めとする東京のラジオを聴くには強力で高価な受信機が必要だったと思います(試せた事はありません)。

私はこのSPを聴こうと、ラジカセを持って部屋中をウロウロし、その結果辿り着いたのが部屋の外のベランダに置いてあるエアコンの室外機の上で、そこからイヤホンを挿して聴いていました。

聴いた番組

聴いたのは、『ビートたけしのオールナイトニッポン』(土・13:00~15:00)、『タモリのオールナイトニッポン』(日・13:00~15:00)、『所ジョージのオールナイトニッポン』(日・17:00~19:00)の3番組。
『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』(日・22:00~24:00)は、夜も遅かったので断念しました(2月の宇都宮の外は寒い)。

『ビートたけしのオールナイトニッポン』

※ 先日、実家に帰省した際に録音した音源を見つけたので、聴き直してきました。

OPトーク
初代ディレクター森谷和郎氏との再会を報告。
高田文夫先生から「土曜日のお昼なんで下ネタとかは禁止で」と釘を刺され、「タマキンとかダメなの?」と返してました。

・20歳上のお兄さん(当時80代、たけしさんは60代)が毎日肉を食っていて、「いいワインの店に連れて行ってくれ」とタカられている話。先日ようやく仕事を退職したぐらいで、パスポート関係の仕事をしていた。
兄・大さんの息子さんの結婚パーティーがあり、そこに参加したら英語好きの大さんが緊張してスピーチが途中から英語になってしまって、さらに20歳上のお兄さんも英語好きなので英語でスピーチしだした。

・久しぶりに浅草に行き、伝説の芸人、前田隣さんと再会した。

・映画『アキレスと亀』の撮影に入るにあたり、お祓いをしてもらった。

これまでの放送を過去音源のみで振り返ってました。
・第1回の自己紹介(生い立ちから喋る)
・大御所歌手、村田英雄氏をイジるデカ頭コーナーと、本人の耳に入り、ご本人がゲストで来た回
・たけしさんが『戦場のメリークリスマス』に出演。それに伴い、ラロトンガ島での撮影のため番組は収録放送。
・そのまんま東さんを石垣島に行かせて電話中継。

・2007年に宮崎県知事になった元弟子の東国原英夫氏に電話を繋ぎ、(しかし東国原氏は自民党本部に来ていてそこからの電話出演。)当時宮崎県内に高速道路が作られるとかで、『お前、あらかじめ土地買って(儲けようとし)たろ?』『なに言ってんですか!』というやり取りがありました。

・たけしさんが主演したスペシャルドラマ『点と線』(テレビ朝日系)が放送され、高評価。

・当時を振り返り、弟子志願者や出待ちのおねえちゃんがいっぱいいた、女房子供がいてこんな放送よくやってたな、4年目くらいまでが勢いがあったと懐かしんでました。

ジングルは「ビバ~ヤング!パヤパヤ、ビバヤング!」

流れた曲は『抱いた腰がチャッチャッチャッ』、
『白い蝶のサンバ』(たけしさんが好きな曲という事で。候補は他に『恋の十字路』欧陽菲菲)、

45周年の2013年、50周年の2018年にも復活したのですが、不思議なもので、聴いたかどうかも、記憶がよみがえってきません。

『タモリのオールナイトニッポン』

レギュラー放送でやっていた企画について解説してくれました。
中でも【ツギハギニュース】のコーナーの説明は覚えていて(たぶん『笑っていいとも!』でも喋ってる?)、タモリさんが学生時代にテープに録音したNHKのニュースなどの音声を切り貼りして再生して遊んでたというのを紹介した上で、リスナーに募集をかけたコーナーだったそうです。
例:『「相撲の取り組みです、○○山は○○海に」「鈍器のようなもので殴られ」「一勝一敗」』
『「昨日午後4時ごろ、」「ネギ」「が運転するトラックが」「大根」「に激突し…」』
『「昨日午前2時ごろ、」「これ以上詳しいことはわかっておりません」』
当時は放送していたそうですが、現在はもちろん権利の関係で放送は不可能だそうです(「某国営放送に怒られて謝った」とのこと)。
韓国のCMを流したこともあったそう。
・男性器、女性器の名称を誰でも呼べる呼び方にしよう、と女性器を「マロンちゃん」、男性器を「ジョンくん」としたところ、当時の男子高校生を中心に「ジョンくん」の模型がよく送られて来て、総合デパートで展覧会を行ったという。
・今週のハザマ社長…当時のニッポン放送の社長で、出席した芸能人などの結婚式で行ったスピーチを紹介。それに批判を加えていた。
しかし、社長が気にして出社時に録音したタモリANNを聴くようになり、上層部からやんわり、「やめてくれないか?」と告げられた。
・悪書追放運動…エロ本は受験勉強の妨げになるので、ニッポン放送に送ってください、という呼びかけ。しかもオンエアとは関係ない。別名『ラジオビニール本放送(ニッポン放送と掛けている?)』

また、この時はまだ、ビタースウィートサンバは、レコードのA面とB面をディレクターが間違えた、という説が主流だった。

『笑っていいとも!』とかぶっている時期があり、夕方にラジオの帯番組もやっていて、水曜日は「いいとも!」が終わったらニッポン放送に来て食事して、帯番組ラジオをやり、また食事して、スタジオのそばのソファで仮眠を取って、打ち合わせしてANN、と12時間ニッポン放送にいたという。

番組の記念すべき第1曲目はアースウィンド&ファイア『Sing a Song』。

ゲスト:木梨憲武、永作博美、井上陽水、とありますが、永作さんとは確か、当時『笑っていいとも!』でタモリさんが「俺は元ribbon」と永作さんがかつて所属していたボーカルユニットの名前を出してよくボケていたので、その事について話していました。
木梨さんとは、「なんで(石橋)貴明は来ないんだ?」、「いや、なんかお母さんたちが、俺だけ、行きなさい、って…」と軽く流してトークしたのを覚えてます。
(当時は石橋さんと確執を作った社員がまだ在籍していたようです)
おそらく、とんねるずのテレビ出演のきっかけとなり、タモリさんが審査員を務めていた『お笑いスター誕生』で共演した際、タモリさんに話しかけたら、『タモリのオールナイトニッポン』を見学する事になったという話をしたのではないかと思います。

また、中学生の時の僕は、『タモリの週刊ダイナマイク!』(2000年からは2000年度と2002年10月~2003年3月)という文字をラジオ欄に見つけて、聴きたいと思いながら聴けなかったので、歯噛みしながら新聞のラジオ欄を眺めていました。


『所ジョージのオールナイトニッポン』

何を話したかは覚えていませんが、やはり当時のオールナイトニッポンの内容について語っていたと思います。
どこかで、当時は徹夜マージャン三昧で、ラジオの前に麻雀を仲間としていて、時間が来たら抜けてしゃべり、終わったらまた麻雀に戻った、と話していたような気がします。

OPトークの後、『農家の唄』は掛けてました。


もしかしたらあの頃、エアチェックしたいと思ってMDを買い備えたかもしれません。今度実家に帰ったら、探してみようと思います。


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