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2003.3.24

あれから、20年以上の月日が流れた。
自分は今でもこの日の朧気な記憶を、3月24日という日が来ると、手繰り寄せようとしてしまう。

この日は、自分の通っていた小学校の、修了式だった。
……まあ、大体において、この時期は学校の終業式というか、修了式というか、そういったものが行われる時期ではあろうとは思うけれど。

この日、当時唯一「仲が良い」と思っていた友人と、一緒に帰り道を歩いていた。来年度は同じクラスになれるかな、とか、そういった他愛ない話をした、と思う。
よく覚えていない。ただ、「一緒に帰り道を歩いた」記憶だけがある。

分かれ道で、手を振って別れた。
それが友人として歩いた最後の日となった。

……この友人に何かがあったとか、自分に何かがあったとか、そういうのは全くなく、ただ新学期になって、クラスが離れて、会話を交わすことが殆どなくなってしまった。それだけの、よくあることだ。

ただ、友人と呼べる存在が殆どいなかった自分にとって、「唯一」と思っていた、その子が呆気なく離れてしまったことが酷くショックで、それから心が砕け散ってしまったのだけれど、それはまた別の話である。

ただ、3月24日というこの日はきっと、自分がそれまでいた周りの「普通だと思っていた」人たちと、道が分かれる切っ掛けになった、そんな日だと思う。

この日がなかったら、今こうしてインターネットの中で文章のようなものを吐き出すことはなかっただろうと思う。
今のリアルでの周りの人々と、関わることもなかっただろう。
そういう意味では、感謝しなくてはならないと思う。

もうすぐ、桜が咲く季節が来る。
あの子は元気にしているだろうか。
そんなことを思いながら、私はまた真新しい3月25日が来るのを待つ。

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