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大衆演劇のスーパースターに会ってきました



大衆演劇にハマって早くも一年が過ぎようとしている。

詳しい経緯は今月末配信予定の漫画家の大井詩織ちゃんが描いてくれたエッセイ漫画を読んでくれれば早いとして、そもそも大衆演劇ってなに? という問いに対しては次の写真を挙げておく。

コレです。


温泉地でこういうの、見かけたことないでしょうか。
これは私が9年前、たまたま別府温泉に行った時に撮った写真なんだけど、このときはただ温泉地の情緒溢れる風景として撮っただけで、もちろん観には行ってない。
俗にいうスコトーマ、「目には映ってても見えてない」というやつである。

それがどうして日々劇場に通い詰め、ついにはおひねりまで渡すようになったのか。
こればかりはご縁というやつなので自分ではどうしようもないんだけど、今日は私のような、

『九条ネギと行平鍋を背負ってやってきたカモ』

が初見の劇団に足を運ぶとどんなことが起こるかを書きたいと思います。

おーい新しい獲物が来たぞ

大井詩織ちゃんは現在、大衆演劇を題材にした漫画『ツバクロ』を連載中の漫画家で、詩人の北村透谷を大叔父に持つというアカデミックな血筋の人である。
そのせいか古典芸能に明るく、だから私を大衆演劇の沼に沈めるときも、いつどこでどんな役者のどんな演目を見せれば私が沼るかを前々から入念にシミュレーションしていたというのだから恐れいる。

そんなこととはつゆ知らなかった私はまんまと彼女の術にはまったわけだが、先日、またその彼女から次のようなお誘いをいただいた。

「歌舞伎町の小屋に大衆演劇界のスーパースターが来ている」

絵に描いたような私ホイホイである。

でも正直、一瞬身構えたのも事実。
何故なら、私はすでに大衆演劇に毎月のように結構な額の課金をする身だったからだ。

これ以上推しが増えたらどうするの。
そう思ったけどまたその一方で、

「大衆演劇界の常識を変えたというスーパースターをひと目この目で見てみたい」

という欲望には抗えなかったのも事実である。

場所は歌舞伎町劇場という、新宿歌舞伎町に去年秋できたばかりの芝居小屋。
現地に着くと詩織ちゃんはいつものメンバーと席とりを済ませていて、私に用意してくれた席は花道の真横すなわち、

「役者の目線が最ももらいやすい、イコール座した者を底なし沼に沈めるためのアリーナ席」

であった。

この席に免疫のない初見の人間が座ったらどうなるか。
答えは簡単。おーい新しい獲物が来たぞ、とばかりに出てくる役者が次々と目線攻撃を仕掛けてくるのである。

それも見る、なんてレベルじゃない。ジッ、じゃないの、ジーーーッ、である。

しかも攻撃は目線だけでなく、五感を駆使してやってくる。
特に香水。役者がしゃらしゃらと衣擦れの音をさせながら花道を通り過ぎると、頭からかぶってきたかと思うほどの香水の風が吹いてくる。
それも、アンテウスだとかエゴイストだとかウルトラマリンだとか、バブル世代に青春を謳歌した者にとっては脳裏にいろんなものが去来せずにはおれない男くっさ〜い香りである。

またそれがめちゃくちゃ効くの。少し野暮ったいくらいのその感じがことごとく味になっている。

昔のドラマ『白い巨塔』に出ていた太地貴和子という女優をご存知だろうか。
あの少しもっさりした話し方、ゆるい体型、垢抜けないファッションなどのすべてに男を狂わせる隙というか、エロスがダダ漏れしているのを、そりゃあ田宮二郎演じる財前ゴローちゃんもドハマりでしょう、とませた小学生だった私は憧憬のまなざしでうっとり観ていたものである。

そんな私が花道の中央真横という、囲碁ならば完全に死んでいるポジションに身を置かれたわけだから、これからなにが起こるかくらいはおおよその見当がつく。私は覚悟を決めそのスーパースターが舞台に登場してくるのを座して待った。

ATフィールド全開

まもなく客席の黄色い声と共にスーパースターが現れた。
背が高い。イケメン。
2.5次元の登場人物が、豪華な着物を着て長髪にラメを散らして出てきたと思ってもらえば間違いない。

とにかく目線、目線、目線攻撃。
比喩でなく、怪獣映画みたいに目からビームが放たれている。
なるほど、スターの貫禄充分である。
さぞかし人気があるのだろう。

だけど、である。
最初は正直、ピンと来なかった。
なぜだろう。スターなのに。
ほどなくその理由に気がついた。

そのスターは一挙手一投足に「俺はスーパースターだぜ」という自信がみなぎっていた。
あまのじゃくな私はこれが苦手だった。
古くからのファンならいざ知らず、ジュリーを初めて見た火星人のような私にこれはハードルが高すぎる。
しかも舞台の上から手拍子と振り付けの強要。
ああもうダメ、と思ってしまった。
私のような連れション文化圏外の人間にとって、手拍子と振り付けの強要は拷問とほぼ同義である。

身体というのは正直なもので、その瞬間、私の脳内にはあのドーンドーンドーンデンデン、というエヴァンゲリオン出撃のテーマ曲がかかり、同時に、葛城ミサトさんの「ATフィールド全開!」という叫び声が響き渡った。

そう、「やすやすと言いなりになってたまるか」と身構えてしまったのである。

こうなると催眠術のカラクリを事前に聞かされた被験者みたいなもので、演じる側にしてみれば「やっかいな客爆誕」である。それでもATフィールド全開にしてお地蔵様になった私に、スーパースターは臆することなく視線をガンガン送り続けてくる。

こっちが地蔵のままなのに、である。

さすがスーパースター、メンタル強ぇ。
でもこちらがなびかなければいつまで経ってもこの闘いは平行線のままだ。

私はだんだんスーパースターに対して申し訳ない気持ちになってきた。私がこの人にはまってないことをこの人に悟られてはならない。ていうか、楽しむための場でどうしてそんな気を揉まねばならないのか。こういうのを「小物の証明」というのだが、生まれつきの性分だから仕方ない。

ところが、である。
異変は後半戦に起こった。

ああ あの顔で あの声で

そうこうするうち前半の芝居が終わり、休憩をはさんで後半の舞踊ショーが始まった。

実は、私はスーパースターとは別に、前半の芝居の時から気になっていた役者さんがひとりいた。
その人は劇団の人ではなくゲストさんだそうで、わりと年配ですごく小柄な、地味な雰囲気の人だった。

結論から言ってしまうと、実はこの地味な人こそが、スーパースターとは別に詩織ちゃんが私にこっそり見せようと思っていた人だった。

芝居がダントツに上手い人だというのは早い段階から気づいていた。見た目は申し訳ないが雑誌『ムー』でよく見かける「捕まった宇宙人」。そのうえ座長のスーパースターの意向なのか、ピンクの着物なんか着せられている。

なのに、なんか目で追ってしまう。何も特別なことなどしていないのに、まるで普段と地続きみたいに、その人はさながら息を吸うように生き生きと芝居している。

予想してない場に思わぬ伏兵が現れるのが戦場と大衆演劇の恐ろしいところで、この人一体なんだろう? という私の疑問は、その人が黒の紋付き姿で出てきて『田原坂』を踊り始めた時に確信へと変わった。

その人が扇をひとふりした瞬間、それまで騒いでいたスーパースター目当ての最前列の客たちが水を打ったように静まり返った。

空気が、明らかに一瞬で変わった。

わけのわからない情感が、さざなみのごとく後列に向かってじわじわと広がっていく。なんのけれんも見せっ気もない、ただただ芸だけの完璧な踊り。個人の感情が少しも入っていないのに、何かがみっちり詰まっている、そんな感じ。

なに、あの人だれ? というささやきが前列から聞こえてくる。
おっとり刀で観ていた同列の客が、目をらんらんと輝かせ身を乗り出して見入っている。アウェーで戦うってこういうことか。オセロがひっくり返っていくのを見るような思いだった。

気づくと私は泣いていた。感受性の強い人間ですアピールでは決してなく、至芸を不意打ちで見せられると私はいつもこうなってしまう。
大衆演劇、ほんと怖い。
油断してるとこんなふうに大やけどするのである。

伊藤久男 暁に祈る

とても失礼な話だったが、あーあー、あの顔で、あの声で、という、例の昭和歌謡がどこからか聞こえてくる気がした。

スーパースター、本領発揮

でも敵はそんなことではまだ許してくれなかった。
紋付きを脱いで次に出てきた時、その小さい地味な人は真っ白なスーツを着てマイクを手に登場し、そのマイクを時おり尾崎紀世彦みたいにクイクイと確信犯的に回しながら、圧倒的な歌唱力でサザンの『いとしのエリー』を高らかに歌い上げたのである。

私はもうどんな反応をしたらいいのかわからなくて、これまで見てきたもののどれにもあてはまらない、でもなんかすごくいいものをどうにかして言葉にするすべを必死の思いで探していた。

ちなみにスーパースターの人の方も次第に本領を発揮し始めた。
舞踊になった途端、別人のようなオーラを放ち始めたのである。

私はようやく納得した。あーこれならばわかるわかる、間違いなくこの人スーパースターだ。なんか知らないけど踊っているところに目がいく、華のある人の特徴だ。

大衆演劇に通うようになってまだそんなに間がないけど、その中でも当たり外れがあるというのはたびたび経験してきた。
なかには開始後5分で苦行スイッチが入ってしまうようなひどい舞台もあるけれど、ひとたびなにかが降りてくると、思わず身を乗り出してしまうような瞬間が訪れるのも大衆演劇の醍醐味だ。

その夜のスーパースターも凄かった。
最初は苦手だったのが、見終わる頃にはすっかり彼のありようを心からいいと思うようになっていた。
完全に術にはまったわけだけど、こちとら本来それが目的で来てるのだから本望である。

ただ、ジュリーを初めて見た火星人から、ジュリーを初めて見た3歳児くらいにはどうにか進化した私だったが、いかんせんジュリーを初めて見た成人女性に達するには、先の小さい人のギャップ波状攻撃にあまりにも当てられ過ぎていたし、一回ですべてを消化することはとてもじゃないけど無理だった。

だから私は送り出しの挨拶の時に「良かったです、また来ます」と言うことしかできなかったし、今はそれで十分だと思っている。

ちなみに「紅緒さん、あのゲストさんが気に入ったならぜひこれを」と詩織ちゃんが送ってくれた動画で、そのゲストさんはセグウェイに乗って楽しげにマドンナの『ライク・ア・ヴァージン』を踊っていた。

今度また観に行く機会があったらリクエストしてみようかと思っている。

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