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📍帰還不能点

お待たせ、世の中。

昨日は『イスラエル軍元兵士が語る非戦論』(ダニー・ネフセタイ著)を読んだ。

読みながらメモしていたんだけど、色んな国が混じり合って複雑な内容なので、ついにエクセルに時系列でまとめ出してしまった。
やりだすと止まらないタイプ。

本を読む時、「お、ここは忘れたくないな」と思ったところに付箋を貼る。
(みなさんは、読書するときの癖というか、自分流の読み方がありますか?)
外出する時は、必ず1冊は本を持っている。
これは、本が好きだから、とか、隙間時間に読もう🎶なんて考えで持っているわけではなく、「もし、どこかに閉じ込められたり、地震が起きて、どこかに避難しなきゃいけない時に本があると暇つぶしにもなって安心」だから。

この本には「人権」という言葉が何度か出てくる。
その度に思い出されるのは、私が小学生のときのこと。
私が小学校の行事で年に1回の人権集会に参加すると、
父は「人権って笑」とバカにしたような笑い方をしていた。

私が育った家は、真面目な話をすると冷笑する雰囲気がある。
政治については話題にもならないし、親同士が意見を話しているのを見たこともない。
私は、何を話しても無駄だな、と諦めている。
将来について、とか、そういう個人的な話を相談するのも、ものすごくハードルが高い家族関係だった。ただ、相談したり、意見が聞きたくて話題にしても、なんでそんなことを聞くのか、と言う雰囲気になった。
何が原因で怒られるか分からないから、平穏な時はそれを壊してまで議論しようという気持ちにならなかった。せめてこの穏やかな時間が続きますように、と思って。
絶対に私が言うことを否定してくる返事が安易に想像できたし、時々頑張って言ってみると、想像していた通りの返事が返ってくる。
せめてもの抵抗で「そう言われると思った」とでも言えば、激怒of激怒。
だから、抵抗が疲れるからと、怒られない方を選ぶのがとても上手な子どもだったと思う。

最近になって、改めて「人権って大切だよな」と思うたびに、あの時、笑わないで聞いてくれても良かったんじゃないかな、思う。
学校からの強制ではあっても人権集会に行って、「人権って大切だな」と思った小学生の私は、半ば教師の魂胆を横目にしながらも、やっぱり何か学んでいたわけだし。
それを親に冷笑されるのは、どう思っていたのか今はもう思い出せないけど、今の私が話を聞いてあげたいって思う。

私は私が笑いながらする話を笑わないで聞いてくれる友だちができて良かった。

この本を読んで、パレスチナでのジェノサイドに関して、今までに知っていたこと(2023年10月7日のハマスの攻撃で始まったのではないこと)に加えて、もっと色んな国と歴史が絡んでいることを知った。それに、イスラエルには戦争反対のデモに行く人の中にもガザへの攻撃は正当化している人が多いということも驚きだった。イスラエルではその時の政権によってガザへの攻撃の歴史を学校で教えたり、教えなかったりする。日本も同じ。パレスチナの記憶や名残を消す機関があるのも衝撃的だけど、日本でも群馬県の朝鮮人追悼碑が撤去されたりしていて、日本と、イスラエルの共通点が多いことを知れた。

見て見ぬふりをしているうちにいつの間にか「帰還不能点」を過ぎてしまった

『イスラエル軍元兵士が語る非戦論』ダニー・ネフセタイ
P138

戦争をして利益を得る少数の人のために多くの命が、人権が、軽んじられる。
多くの平和を笑う人たちが選んだ政権で、命を落とすのが平和を求める私たちじゃ、本当に歯がゆい。

国会にすら言わないことを、国民に説明する訳がない今の政府。
閣議決定でなんでも決められていくうちに、もう戻れないところに来ている。

今、ここが帰還不能点なんじゃないかな。

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