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無気力高校生はクラスメートと同じくらいの元気が欲しい

 2週間程度の冬休みも終わり、先日新学期が始まった。正直今シーズンの冬休みはかなり充実したものになったと思う。それは単に高校が苦痛な分、相対的に今までよりも冬休みの価値が上がっただけなのもしれない。冬休みの最大の売りは、いつ寝ても起きてもいいことだろうか。

 筆者は朝起きるのが大の苦手だ。睡眠時間も7時間じゃ足りない。毎朝父に叩き起こされ、限られた時間の中で適当に朝食を胃に流し込んでは、自転車に飛び乗り40分かけて誰も友達のいない=いわば楽しみのない学校に猛ダッシュで向かう。こんなようじゃ学校を好きになれという方が無理な話だろう。

 しかし筆者の周りの人間は必ずしもそうでもないように見える。朝教室に入ると誰かの机を囲んで話す女子、ロッカーにもたれながら談笑する男子。筆者から見たら、彼らの活力ははっきり言って異常だ。そんな元気、一体どこから湧いてくるというのだろう。今回は自分と同じクラスの人間の、筆者と比べた時の異質性をいくつか挙げてみる。



文武両道

 
 筆者は帰宅部だ。極度の運動音痴なので運動部に入るという選択肢は初めから頭になかった。中学校では「部活何入ってる?」と周りの大人に聞かれて「帰宅部」と返す覚悟がなかったので、仮にも運動部に入った。1年のうちは雰囲気が比較的緩かったこと、話せる友達がいたことから活動自体には顔を出してはいたものの、中2になって熱心な顧問の先生が就いて雰囲気が変わったのを感じてからは、めっきり活動に参加しなくなった。それからしばらくして、親に「部費払ってるんだから行ってこい」と言われ渋々参加した休日の準備体操で体の硬さ、足の遅さを嘲笑されて以来1度も活動に顔を出すことはなかった。それでいて部活を辞めると先生や部員に何か言われるのが、「部活に入ってる」という”嘘”をつくのが怖くて、(活動に参加する気はないのに)辞めるという決断に踏み切れなかった。そんな中休日を返上して幽霊部員の子が所属する部活の役員としての責務を全うした父に対しては、掛ける言葉も見当たらない。

 文化部に入ることも検討したことはしたが、数日間学校で過ごしてみてその考えは頭から追い出された。頭と体がもたないのだ。頭痛と眠気で限界が近づく中、くたくたな状態でさらに部活をやりに行くなんて狂気の沙汰としか思えない。

 特に筆者の場合は家と学校との距離が遠いし、バス通学や電車通学でもないので自転車を残された僅かな余力で漕いで帰らなければいけない。極めつけは向かい風だ。冬の時期なんて立ち漕ぎをしようともちっとも前進しない。のんびり帰ろうものなら1時間も溶けてしまう。向かい風の影響を計算しなければ40分程度で着く距離と考えると、向かい風の存在が本当に憎い。

 しかし彼らはその限りではないようだ。彼らは平気な顔して各々の部の活動に精を出している。まるで学校なんてなかったかのようだ。しかし彼らは確かに授業に出ていたし、あろうことか筆者よりも真剣な眼差しで教科書とにらめっこしているような人までいる。本当に意味が分からない。



休み時間の談合

 
 彼らは朝早くから集まって話していると先程述べた。彼らは休み時間、少しでも時間があろうものなら絶えず集まっては雑談し続けている。一体何を話しているというのだろうか。

 筆者はぼっちなので話す相手がいない。そうなると休み時間の過ごし方というのは目と体を休めるべく基本は机に突っ伏して寝るかまたは目を手で覆ってぼーっとするかのどちらかである。そうしていると多少なりとも会話の内容はおのずと耳に入ってくる。
 
 仮にも筆者は彼らと同級生であり、同じ入試問題を解いて同じ学校に入学した人間である。普通に考えたら”まったく話が通じない”という方がおかしな話である。何かしら自分に合う話題もあるかもしれないという興味が湧いてきたので、彼らの会話の内容について整理してみることとした。



男子の会話内容


 男子はソシャゲ(いわゆるオタク層はブルアカや原神、サッカー部に代表されるいわゆる陽キャはクラロワやウイイレの話が多いような気がする)をしている感じがする。筆者はソシャゲは課金しないと勝てないところが嫌いなためソシャゲはやらない主義だし、そもそもスマホに入れようものなら親が黙っていないだろう。よって仮に彼らと話す機会があったとしてもソシャゲの話はほとんどできない。

 また、「いじられキャラがいて、そいつの言動を茶化す」というのも男子ならではかもしれない。女子にそのポジションを担う人間はいたとしても、男子ほど顕著ではないように感じる。しかし高校の「いじられキャラ」というのは勉強も運動も破滅的ではなく得意分野の1つや2つはあるようだ。彼らは一応地に足のついた学校生活を送っており、いわば”ホンモノ”ではないのだ。話が逸れるがどうしてもこれだけは吐き出しておきたいので次の項にていじられキャラの極意について自分の見解を語っていこうと思う。
 
 


"いじられキャラ"の極意


 筆者が思うに、中学校の頃には”ホンモノ”の面白い奴がいた。頭は悪く、運動はできず、でもいつもニコニコしていて面白く人当たりの良い、どこか憎めない奴のことだ。彼らはその身を挺して我々を笑わせてくれる、生粋のエンターテイナーだ。

 しかしそれなりの高校では理論上、そんな奴が現れることを期待できそうにない。授業中にウケ狙いのふざけた言動をしようものなら内申点が悲惨なことになってしまうからだ。内申点が低ければ当然ながら、入試の段階で弾かれてしまう。そうなるといくら自称進学校とはいえども、”ホンモノ”は来てくれないのだ。

 話を戻そう。次は女子の会話内容について書いていく。



女子の会話内容

 
 とにかく女子は”仲良し”だ。筆者のクラスの女子の大多数は大きく分けて2つのグループに分類できると思う。

 一つ目は”ザ・JKグループ”だ。彼女たちは"JK"を全力で楽しんでいるように映るし、キラキラしたオーラを纏っている。筆者の席の後ろにはグループに属している女子が固まっており、仲良さげに話している。彼女らの会話内容は「授業だるい、○○さんがかわいい、マックのハッピーセットが欲しい」こういった内容だ。しかし男子と比較してその会話のほとんどに内容がない。あとうるさい。声が甲高いため非常に耳に悪い。そのため実は話している内容をあまり具体的に記憶していない。(特にハッピーセットに関しては最近たまたま聞いただけ)筆者の認識としては「こいつらいっつも話してんな」といった感じである。しかし彼女らは意外と勉強ができる。正直悔しい

 二つ目のグループは”オタ女子”グループだ。彼女たちとも席が近いため、話の内容を小耳にはさむ。彼女たちの方が先程の”ザ・JKグループ”よりも話の内容が実用的だと感じる。彼女らが主に話す内容は勉強のことと、”オタ活”のことだ。普段は物静かで、グループ内で教え合いながら勉強に勤しんでいる彼女らではあるが、放課後にグループ内で集まり、”オタ活”を始めようものなら彼女らも途端に「うるさく」なる。Twitterで推しの「今」を追い続け、推しの尊さに魂の奥底から湧き上がってくる感嘆の叫びを公にしている姿を見るたび、あまり1つの作品に没頭しきれない筆者としては1人でもみんなでも盛り上がれるような趣味がある彼女らのことを羨ましいとすら思ってしまう。

 

なぜ筆者は元気が出ないのか?

 終始話が脱線していたが、筆者と比べたときの異質性と彼らの会話の内容はこんなところである。ではなぜ筆者は彼らのように元気が出ないのだろうか。筆者は「睡眠」こそがその原因であると考えている。これについては次の項で語っていこうと思う。



考えすぎることによる睡眠への影響

 
 睡眠は心身の疲労回復の基本だ。しかし筆者はお世辞にも上手な睡眠が取れているとは言えないだろう。それには筆者の性格タイプが直に影響していると考える。
 
 プロフにもあるように、筆者はINTPという性格タイプである。INTPには”知性の探求者”というカッコイイ二つ名がついているが、これは裏を返せば「考えすぎる」ということでもある。

 「考えすぎる」弊害の最たる例は睡眠への影響だろう。筆者は寝床でよく考え事をしてしまう。そのためなかなか寝付けず、結果的に睡眠の量・質両面に影響していると言わざるを得ない
 
 筆者は11時半ぐらいには消灯するようにしているのだが、そう簡単には寝付けない。常に考えが尽きないからだ。「寝る時は何も考えてはいけない」というのは良質な睡眠を目指すにあたっての定説ではあるようだが、筆者にはそれが出来そうにもない。何も考えていないと人間としての“魂”がどこかへ行ってしまうようで怖いからだ。頭の中は常に”選択肢”でいっぱいにしておきたい。考えることはINTPの生きる理由そのものなのだ

 しかし考えすぎることは必ずしも良い方向に作用するわけではない。実際筆者の頭が熱を帯びすぎると、たびたびヒューズが飛ぶ。頭が緊急停止する。そうなると筆者は病んでしまう。自分の頭が真っ暗になり、何も見えなくなったかのような不安感に襲われる。

 しかしそれは何かのきっかけで、早ければ1〜2時間後に、遅くとも1日が経過する頃には平常運転に戻る。長い間鬱病で苦しんでいる人から見たら、こんなの気楽なものである。そのため今のところは自傷行為や他人への破滅的な言動に及ぶことなく事なきを得ている。

 途中から自分語りになってしまったが、要するに言いたいことは「筆者はINTPだから考え事が絶えない故なかなか寝付けず、それが睡眠の量と質を下げる要因となっている」ということだ。こればかりは元の性質なので、自分の意識だけではどうしようもないところもある。結果的に元気が出ないことへの根本的な解決策にはなりそうもない。



彼らが元気な理由


 ここまで自分の元気が出ない理由を考えてはみたが、逆に彼らが元気な理由はなんだろうか。その答えは簡単、友達と話すのが楽しいからであろう。彼らの友達と話すときの和やかな表情を見ているとわかる。彼らの中には 友達と話すと元気が出るので友達と話す→元気が出る→元気なので友達と話す という好循環が起きており、元気の永久機関が誕生している。”普通”の人間にとって、友達と話すことは元気の源であるようだ。

 しかし先述したこの永久機関を、妄想性人格障害を患っている筆者にも例外なく回せるかと言われたらそれには少し疑問が残る。人の発言一つ一つを疑い、悪意のある発言に捉えてしまう筆者にとっては現状、見知らぬ人と話すのは弱みを探られているようで苦痛でしかない



元気を”投資”するということ


 元気を”投資“する?おそらく普通に生きていて聞き慣れないワードの並びだろう。しかし元気を投資するというのは、誰でも無意識にやっていることだと思う。

 例えば昼休み、眠たいので机に突っ伏して寝てしまいたい時に友達が何やら輪になって楽しそうに話しているので今ある元気を振り絞り、その輪に混ざって話を聞いてみる。すると友達と話していると楽しい気持ちになって元気が湧いてくる。この行動こそが別名「元気の投資」である

 かなり理屈っぽい話になってしまったが、「今ある元気を元手に行動を起こし、その結果元手以上の元気をもらう」これが「元気の投資」成功の定義である。こんな経験は誰でもあるだろう。しかし筆者はあの場面で友達がいないため、「友達と話す」という選択肢をとることができない。さらに投資というのはリスクが付きものだ。実際筆者は「元気を振り絞って話を聞きに行ったはいいものの、友達の話を聞くのは億劫そのものであった。結果的に無駄な元気を使った」という「失敗」が怖くて行動を起こせず、「机に突っ伏して寝る」という元気を温存する方の選択を無意識のうちにしてしまうだろう。
 
 この考え方に関しては人それぞれだ。しかし筆者に欠けている「失敗を恐れず、まずは1歩踏み出してみる勇気」というのがどうも、何か確実に筆者の元気がない理由に、ひいては筆者の生きづらさにも直結しているのではないかという気がしてならないのだ。5000文字も記事を書く元気はあるのに



かなり長文になってしまいましたが、筆者は吐き出したいことが吐き出せて大変満足です。ここまでお読みいただきありがとうございました。感想、指摘等何かコメントを頂けたら大変励みになります。明日こそは元気に、学校行ってきます。

 





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