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Twitterで学んだこと

【はじめに】

先日、Twitterを使い始めて10年経ちましたのお知らせをいただきました。

えっ、もうそんなに経つの?
と、びっくりした。

今わたしが使っているアカウントは、元々メインアカウントの裏で使っていて、プライベートのことで文句を垂れるためのアカウントでした。
フォロワーもいない、そんな所からの始まり。しばらくは眠っていたアカウント。

しかし今では、たくさんのフォロワーさんと繋がり、その楽しさも、難しさも、噛み締めながらTwitter生活を送っています。

今回は、一応節目の10周年(しばらく眠ってたけど)なので、Twitter生活から学んだことや考えたことを、自分のために自分の言葉でまとめておこうかなと思います。

【学んだこと①いろんな人がいるんだなあ】
……あ…当たり前すぎる…
けど、とても強く感じていることです。

出会う皆さん、生活のリズムも違うし、年齢性別も違う。住んでいる場所も違う。仕事も違う。
単純に、いろんなところでみんな生きているんだなあと思うと、その事実に驚くことがあります。

学生の頃、友達が街ゆく人を見ながら「この人たち一人ひとりに名前があるんだと思うと凄いなって思う」と呟いた一言が思い出されます。

そういった、それぞれ違う日々を送る人達が、同じ「好き」で繋がるという不思議。

Twitterを動かすようになって、素直に「自分は多分、人が好きなんだな」と感じることが増えた気がします。それを素直に認められる自分が出てきたんだなあ。

オフラインでお会いすることの楽しさについては以前も触れましたが、本当に、尊い出会いをさせていただいています。いつもありがとうございます…!

【学んだこと②だから、いろんな考え方があるんだなぁ】
先ほど、同じ「好き」で繋がる…と書きましたが、その内容の濃さや種類もまた千差万別なところが、面白くもあり難しくもあるところだなぁと思います。

いろんな考え方があって良いと思いながらも、私自身は「他の人と違う意見だと怖いなぁ」「誰かを傷つけたら嫌だなぁ」と、保身に入ってしまうところが多いな…と、改めて気付かされました。
それは若干、自分の意見に責任をもてない自分の弱さのようにも感じて、歯痒く思うこともあります。
仕事でもよく感じる八方美人感といいますか。

だから「自分はこう思う!」と言い切れる人の格好良さみたいなものも強く感じながら、Twitterをやっています。
そして、その格好良さを感じる方は、皆さん総じて「自分以外の考えを『攻撃』しない」スタンスをお持ちのように感じます。
もう少しポジティブな言い方をするならば、「互いを尊重しあう」という感じでしょうか。
そういうところからもまた、多くを学んでいる感じがします。

私の大好きなFFさんのお一人は、以前、色々思うことはあるけれど、とにかくポジティブなことを呟くようにしている、みたいなことをおっしゃっていて。
これまた良いな、素敵だなぁと思った次第です。

【学んだこと③卓越したワードセンスの方っているんだなあ】
①②とは全く違った話ですが、ほんっっっと言葉選びが面白い方っているんだなぁとつくづく感じるのも、Twitterの面白さです。
1人で思わず「う、うまい!」と声を出して笑ってしまうことの多さときたら!!!
面白いよなぁ、どうしたらそうなれるのかな、やっぱり読書かな、なーんて考えることもしばしば。
わたしも、そんな人になりたいなと思うばかりです!

【学んだこと④「わたし」を主語にする生き方】
②と同じような話になりますが、Twitterに戻ってきてから、日常生活で少しずつ「わたしはこう思う」の、「わたし」を主語にする言い方ができるようになってきました。
例えば仕事で、何か言いにくいことを伝えなければならない時が多いでしょうか。
価値の押し付けになりたくないなと思う時も、「わたしはこう思うなあ」と伝えることが増えた気がします。
「わたしは」を使うことで、相手の中にも「わたし(自分自身)」がいることを意識できるような気もします。

…いうて、まだまだですけどもね!!!

【終わりに】
うーん、なかなかまとめきれなかったものの、とりあえず文章に表せてすっきりしている今です。

これから先、もっとより良くみなさんと繋がっていけるTwitter生活でありますように、、
まだまだ勉強です!

そして、いつも本当にありがとうございます。

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