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『浜辺の歌』は成田為三の告白だった。

2006年7月16日付読売新聞朝刊に、『浜辺の歌』に関する記事が載りました。概要はこうです。

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音楽学校時代の成田為三と同窓で、ピアノ専攻の矢田部正子さんの元に郵送されてきたのは、「いとしの正子へ捧ぐ」と記された楽譜でした。当時正子さんは、すでに結婚が決まっており、事情を伝え楽譜を送り返したのだそうです。それが、浜辺の歌でした。

関係者がみな亡くなった今ならばと、正子さんのご養子で声楽家の鈴木義弘さんが、ご自身の演奏会で明らかにされました。

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私はこの記事を読んでおり、大変ショックでしたのでよく覚えているのです。もっと話題になるかと思ったのですが。
音楽の授業では誰でも歌ったことのある曲ですのに、郷土ゆかりの人物として、秋田の人なら子どもの頃から教えられる曲ですのに。誰も事情を知らなかったとはいえ、私はずいぶんとぼんやりこの曲を歌っていたものだ、と。名作の陰に知られざるエピソード、そんなことは珍しくもないのですけれど、しかし、、、。

その後、色々の巡り合わせで浜辺の歌は世に出ることになり、ヒットし、成田はこのブームを「早く終わってほしい」と言っていたそうです。有名人ならそんな気分にもなるだろう、とも思いますが、しかし、、、。

作詞の林古渓が成田の事情を知っていたかどうかは分かりません。またあの歌詞も、出版の段階で知らぬ間に改編があったりで、林は3番を歌ってほしくないと思っていたらしく、またしても成田の心情やいかに、、、と思います。

しかしながら、こうも思います。

作曲したままボツ。そういう曲は世の中に山ほどあります。誰かに贈って、、、そのまま当人の思い出の中に正真正銘お蔵入り。そういう歌も世の中には確かにあるものと思われます。後生の私たちには、正子さんが送り返してくれて良かった、そう考えることもできるのかもしれません。

肝心の新聞記事ですが、オンラインの会員しか閲覧できないようで載せられませんが、記事文をブログに載せている方がいました。リンクフリーだそうなので貼ります。

この方はブログで「癒される記事」と仰っていますが、繰り返しますが私はショックでした 笑。こんななんでもないタイミングでここに投稿するのも、いまだにショックで度々思い出してしまうからなのです。

ところで稀代のピアニスト小島良喜が、YouTubeで『浜辺の歌』をさらりと演奏しています。小島さんは成田の失恋エピソードを知らないはずですが、それでもこのステディさ。成田はきっと、喜んでいるのではないでしょうか、、、。

関係ないですが、この角度で見ると、指にも手首にもほとんど力が入っていないように見えますね。音色って、指先で出すものじゃないんですね。。。

『浜辺の歌』小島良喜
https://youtu.be/Wp1Zz15r22w

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