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百合子、貴女ほんとにそれでいいの?──大林宣彦『さびしんぼう』

ふと、大林宣彦監督『さびしんぼう』を思い出して、やけに胸が苦しくなった時があって。

尾道で悪友たちと青春を謳歌する高2のヒロキ(尾美としのり)は、近くの女子校に通う百合子(富田靖子)に恋をする。しかし百合子は、いつもヒロキが見つめている、爽やかでピアノが好きな女子高生という顔の反対側で、ヒロキの知らない苦しい境遇で生活していた。

「恥ずかしいから…」と言いかけて家までは絶対に近づかせない百合子。そして、もうさよならしてほしいと言う百合子。
ヒロキは恋を経験して大人になっていく。

ところで百合子は、本当にそれでよかったんだろうか、と今さらのように考えてしまった。

美しいほうの私だけを見ていてほしい、美しい思い出としてだけ私を憶えていてほしい。そしてヒロキをそれ以上は絶対に受け入れず、想われて嬉しいのにヒロキには絶対に飛び込まず、百合子は、本当にそれでいいんだと納得しているんだろうか。

母が死に父が倒れて貧している惨めな自分を見られるよりも、これ以上心を波立たせずに過ごしたい。それが青春真っ只中の女の子が男の子に抱く切実な願い。ヒロキの気持ちを思い出の中に大切にしまったまま、それで百合子はちゃんと大人になれたのだろうか。さびしんぼうが消えてヒロキは、どこか優しく大人びたけど、百合子はどうなるのだろう。

急にこんなことを考えたのには、何か具体的に理由があったわけではないけれど。
でも、映画の主人公でも実在の人物でも、その人に何かしらの「なぜ」を問うとき、私たちは紛れもなく自分自身の中のそれを見ているのだから、やっぱりその時の私には、自分自身にそう思わせる何かがあったのだろうか。

ヒロキと百合子。

青春の甘酸っぱさ、ほろ苦さ。そうキレイに言い表すことも勿論できるけれども、私の中にあるらしいその何かは、そういう人間の健全な、キレイな成長物語とは別ものの、もっと陰鬱な、どす黒いもののであるように思う。

そんなわけで、私はたまらなくなってすぐに『さびしんぼう』を見返してみたけれど(笑)、肝心のストーリーはそっちのけで、改めて尾美としのりさんが素敵で。
自然で、ほっとして、ほっとしすぎて「わ~~~」って声が出てしまった。

おーい、

さびしんぼう。

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