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noteのカバー用画像アップしていたら誰かの日記に癒された話。

この前ちらっとツイッターで言った通り、私はnoteのカバー用にイラストを描いている。意外といろいろなひとに使ってもらえて、600回も使ってもらえている(ありがとうございます)。

そして実は画像を使ってもらえると「○○さんが★★の記事てつかったよ!」という通知がくる。どのイラストが何回使われたかもここから分かったりするのだ。

その通知をみると私のイラストはどうも「日記」によく使われるようで、今日はその日記について話したい。

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私のイラストの中でも特に使われているのは下記の四つ。

日常のふと思ったことによく使われる「考える人」「読書」、習慣とか睡眠の質の話とかでよく使われる「寝る」「起きた」だ。

「考える」のほうは、一番最初に登録した画像なので使われるのも理解できるのだが、この「寝る」「起きた」の方は登録は新しいにもかなりの数使われている。

習慣や睡眠の話題で使われる、と先程話したが、詳しくいうと結論が「習慣を変えたい」
「疲れたからねる!」になるような、読者がひとりでもいいような1000字にみたない日記だ。

そういう通知ばかりうけとっているせいか、私は、全く知らない人の、ネットの有名人でもない人の、ちょっとした日記ばかり読んでいる。

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noteってついついノウハウとか、エモ文章とか啓発系とか「すごいnote」ばっかりTwitterで目につくけど、こういう通知ばかりみていると実際にはほとんどがこういう日記系なんだろうなとは感じる。

ちなみに通知からnoteをのぞきにいくといいねは私がだいたい2~3番乗りくらいだ。通知が来ている私はともかくとして、他にもいいねを押す人がいるということはやっぱり別の読者がいるというわけで、「普通の人の日記をnoteで読む」というニーズがあるということなんだろう。

そうなると「note疲れたとか、お金目的ばっかりだ」と言う人もいるが、それはそういう人ばかりフォローしてしまっていることにこそ原因がある可能性がある。

もしそう感じる事があったら、ぜひnoteのホーム画面からふらふらと回遊して、誰かの日記に漂着してみてほしい。

感動させてやろう!とか、この思いを世に訴えねばならぬ!とか、いっぱいいいねをもらってシェアしてもらうんだ!とかそういった意志が全く介在しない。

かといって吐き出すだけのつぶやきでもない。

つれづれなるままに編まれた誰かの日常が、きっと癒してくれる。根拠は私。

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