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排泄介助の途中で、『ふとした感じ』で声を掛けられたのだけど僕にはそれがなんとなく嬉しかったという話。

排泄介助の途中で、『ふとした感じ』で声を掛けられたのだけど僕にはそれがなんとなく嬉しかったという話。

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急に、本当に『ふとした感じ』で、
『そういや御堂筋のイルミネーションはもうええ頃やろなぁ。空気が綺麗やから光は綺麗に撮れると思うねん』とおっしゃる。

僕はそれに応えて、
『あー、北新地の入り口、梅田新道辺りから覗く程度ですけど、たしかに綺麗ですよ、あの辺りは銀杏並木もあるし。あ、そうそう。イチョウといえば、この間、園部行った時、まけ神社のところのまけ橋とかいうロケで有名なところの大銀杏で撮影してる人いましたわ』と手は止めず、そう答える。

『園部や亀岡の辺は、あれは盆地なってるから、特に朝は霧になっとって、写真にあんまり上手いこと映らんねんなぁ』と思い出すようにおっしゃる。中空に視線を残したまま。

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なんということない『ふとした感じ』の会話ではあるけれど

数年前の年始、寄り合いからの帰り、不慮の事故から脊椎損傷へと突如の不自由な生活に入る前は写真が趣味だったこと、
そして、かつて大学生の頃は、ワンゲル(ワンダーフォーゲル部)で野山を歩いていたこと、
はたまた、僕がロードバイクや徒歩で大阪を行き来していることや園部、亀岡に行ったこと。

そうしたことをお互い覚えていること。

介護をする、そして介護を受ける間柄の真ん中に流れる日々の会話、やりとりがさりげなく存在していて、『ふとした感じ』のやりとりへとつながる。

これが、オモシヨイ瞬間です。
介護という仕事の。

しかし、それは例えばカウンターを挟んでの会話やお互いの存在を認識していること、覚えていることの先にある『ふとした感じ』のやりとりと同じであり、それぞれがまた繋がっている。

それは、オモシヨイ瞬間でもあるのです。
バーテンダーという仕事の。

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排泄介助の途中で、『ふとした感じ』で声を掛けられたのだけど、僕にはそれがなんとなく嬉しかったという話。

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