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ケアトランスレーターって何?

1.ケア・トランスレーションの概念

仲の良いかつての上司との話の中で、
『ケアトランスレーターって必要じゃない?』という言葉が出てきたのはもう数年前のこと。

トランスレーターとは、翻訳家のことで

それは両親の闘病生活を経た、患者家族としての彼から出てきた気づきだったと記憶している(彼自身、訪問看護の会社の経営者であるのはもちろん気づきの大きな要因としても)。

生活運営に必要なサポートとしての介助や介護であれ、病状からの回復に必要な処置や治療であれ、それらを受ける人や周りの人のほとんどが、寝耳に水、考える余地なく、その立場に陥るのであり、例えば痛みや苦しさ、そして不安や混乱の中、同意を得るための説明や時に、説得を受けることになる。

状態の説明にせよ、同意の確認にせよ、だれだってその場におかれたら、事情の理解や判断が難しいのはもとより、
『自分がわかっていないこと』を伝えることすら難しい状況もある。

だから、そんな時に、

『状況全体を俯瞰的に把握し、
押しつけるのではなく、
突き放すではなく、事情をちょうどよく伝えてほしいし、混乱をしっかりとわかってくれる人

がいたら嬉しい。

色んな事を知っているはずの家族であれ『わからない』事情が山ほど出てくる。長年積み上がった感情の澱があればあるほど『伝えにくい』こともあるだろう。

『ケア・トランスレーター』とは、まさにそうした「介護に関して、サービス提供者とサービス利用者の間で意思や意図の翻訳を行う人」で根本的機能は【橋渡し】だろう。
(医療、治療における同様の事情については割愛する。きっと、既にそういうことになってるんだろうから。)

おそらくそんな話をしたのだ。

さて。あれから数年経ち、
変わらず、介護や福祉業界で身の回りを見渡してみて『ケア・トランスレータ―』という職種はともかく『ケア・トランスレーション機能』は確かに有益だなぁと僕は考えている(資格も職種も増えているし業界の在り方も変化しているが、その機能性がむしろ増していっている印象)。

2.ケアマネジャーが既に担ってない?

さて、ここで『ケア・トランスレーションて、ケアマネジャーが既に担ってるんじゃないの?』という話が出てくるだろう。

その問いに対しては
『高齢者介護/介護保険サービスに関しては、おそらく、そう!』という言い方になろうか。

ケアマネジャーの役割には、確かに意思疎通の仲介や、状況の説明、本人意思の確認などがあるんだろうから。

でも、できることならば(介護保険サービスだけではなく、障害福祉においても児童福祉おいても)介護・福祉、どの立場の人(直接介助にあたる人であれ、運営側であれ)でも備えておきたい【機能】であり【心構え】【心遣い】の様なものが「ケア・トランスレーション」だなと思う。

その意味で『ケア・トランスレーター』という新しい資格や職種をつくるような話ではなく、『ケアについての翻訳の役割を担う人』欲しいんだよねということなのだけど、
それは、次の点を考えると、なおさらである。

3.利用者のみならず、働く側も対象

(これ、もはや狭義の『ケア』という範囲からはズレはするけど)翻訳を必要としているのは利用者側とサービス提供側の2者間においてだけでなく、職能/職歴によりナレッジや経験値、認識の浅薄・濃淡がでてしまい「わかりあえない」多職種協働の状況においても同じだ。

例えば、高齢介護に携わっていても障がい福祉には明るくない場合や、医療サービスからの引継ぎを受ける場合、等。

そして、同一組織内でももちろんよく見られる話として、運営する上司の意図がうまく伝わりきらない、実働している職員の意識がうまく認識されていないケース、等。

こうした悲しき誤解は総じて、非生産的・非建設的で、結果として『ケア』そのものに向けられるべき、そして、その先にある課題解決に活用されるべきエネルギーがロスされ、焼け石に水かけた後に立ち上る湯気の如く、白煙あげて立ち込め周囲の景色を不明瞭に変えていく側面がある。

4.さて・・ケア・トランスレーション考

さて、ケア・トランスレーション≒ ケアに関しての翻訳する人がいたらいいよねという事情について書いてみたが、

これら事情の根本には、それぞれの業界・職種・分野それぞれが有する、〇〇リテラシーに関する高低差をシームレスな動線誘導する役割/コミニュケイティブな存在が欠けているということがあると思う。

〇〇リテラシーの高低差の具体例は
例えばお互いの知識や認識のレベル差であり、

例えば相手の様子から本音を見極めることの可否という非バーバルなやりとりの部分であり(利用者と提供者の間でのサービス説明、同意を得る場面、等)

例えば互いの役割の違いや立場の違いを認識していないことからくる誤解であったり(事業者間での有機的連携の難しさ)

例えば、共有ミッションとオペレーション分担の認識不足、確認不足(同一組織内での不具合)、そして立場の違いに対しての不寛容もその一例か。

これらの段差を無くして上手いこと流す役割がいたらいいなー、というお話である。

あー、そうそう。

「リテラシーの欠如が課題だよね」と結論づける場合、知識や認識が高い側が低い側を問題視するケースをみることが多いが、それ自体、
視野狭窄の結果に感じている今日この頃だ。

それぞれ立場の違いを超えることは難しい。だからこそ、理性的に、お互いの違いをむしろ知性的革新に変えて、推進力に変えていく、そんな役割。

『ケア・トランスレーション』とは、今さら言う必要ないくらい、当たり前の機能であり、【コミュニケーションのリネーム (呼称変更)】という要素もあるけれども、

相手も、自分も、そして他の「誰か」のことも尊重する技術であり
何度も奥に深掘りされる必要がある「機能」であり
これからより重要視される、関わる誰もがもつべき
『心構え』かもしれない。

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先日、クラブハウスで、福祉経営者の方々のお話を聞いている中で、翻訳者『ニーズ』についての話題があり、数年間、考えていたことを小さくまとめるきっかけを頂いた。

特にこのコロナ禍の時代において、お互いの意識や状況を能動的に表現すると共に、時に客観的立場からやりとりを橋渡ししていく「ケア・トランスレーション」は、もっと重要さを増していくのではないか。

だからこそ、今、ここに記しておく。

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