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ラングニックがライプツィヒを去る

ラルフ・ラングニックのライプツィヒでの時代は終わりを告げる。

すでに『ビルト』が報じていたように、ライプツィヒとラングニックは別々の道を歩むことになった。

ラングニックは“レッドブルグループのスポーツとサッカー普及部門の責任者”としてもう1年契約が残っていたが、ラングニック本人の希望により、契約が解除された。

その背景には以下のようなことがある。

ラングニックは昨季、ニューヨークとブラガンサ(ブラジル)の拠点で人事やインフラの面で多くの成果を上げた。

ラングニックはライプツィヒでの自分の仕事は終わったと感じていたようだ。

加えて、ライプツィヒのオリバー ミンツラフCEOがは先日、レッドブルの“サッカー部門責任者”に就任した。

これによって、ラングニックの責任の所在がはっきりしなくなったのも事実だ。

ラングニックは新たな挑戦を求めていた。

先週、ミランへの監督兼スポーツディレクターとしての移籍は失敗に終わっていた。

ミランとの交渉の過程で、ラングニックはすでにライプツィヒとの契約解除の可能性を検討していた。

だが、ミランは、再開後チームを復調させたステファノ ピオーリ監督との契約を延長。

今ではミランがラングニックと一緒に仕事をするための根拠が見えなくなっていた。

ラングニックは、「今こそレッドブルでの仕事を終わらせるべき時だと感じた。すべての従業員、そして特に(投資家の)ディートリヒ マテシッツのサポートと信頼に感謝したい。彼は私に、長年にわたってここで特別なものを築くチャンスを与えてくれた。レッドブルのサッカー部門は世界的にも非常に成功している組織であり、世界的にも非常に優れたポジションにある。これに貢献できたことはとても名誉なことであり、私を誇りに思う。レッドブルの今後の活躍を祈っている」と語っている。

現在のライプツィヒを形作ったのは、ここで8年間働いたラングニックの功績と言っても過言ではない。

ラングニックは2012年にザルツブルクとライプツィヒのスポーツディレクターとしてクラブにやって来た。

ライプツィヒはレッドブルからの惜しみない資金提供を得たにもかかわらず、3部への降格で2度も失敗したこともあった。

ラングニックの指揮の下、クラブはピッチ内外で明確な哲学を手に入れた。

2016年にはブンデス1部に昇格し、ブンデス1部初年度となった16/17季にはラルフ ハーゼンヒュットル元監督(現サウサンプトン)の下で2位でフィニッシュし、チャンピオンズリーグ初出場も勝ち取った。

18/19季にはDFBポカールで準優勝を果たしている(決勝でバイエルンに0-3)。

ラングニックは「ここが私の新しい故郷になった」と語っており、当初はライプツィヒに留まりたいと考えていた。

だが、今後は彼の教育プロジェクトの整備にも力を入れていくこととなる。

ラングニックは最近、ここザクセン州だけでなく、多くのプロジェクトを立ち上げている。

ラングニックはまだ新しい仕事のオファーを受けていないが、最近ではイングランドでの活動に常に惹かれていた。

国内外でのラングニックの評価は非常に高い。

遅かれ早かれ、ラングニックはサッカービジネスに戻ってくるだろう。

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