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大人になった途端人生が終わる

「甥っ子を見てやってほしい」

と母に言われ、面倒を見てやることが、今から10年ほど前よくあった。

「パパ(兄)もママも今日いないからこっちに来てるんだけど、ちょっと私も出かけるから、この時間だけ見ててあげて」

面倒を見るのは構わないが、私には一つだけ、疑問があった。

もう小3だろ?

私は幼稚園児のとき足を怪我し、一週間休んだことがあったが、そのとき、家で一人でテレビを見ていたのを、はっきりと覚えている。

先日、馴染みの鍼治療院に行ったとき、先生がこんな話をしていた。

「今の子って過保護に育てられてるから、一人でなんにもできない怖さあるんですよ。だからうちの娘にも、たまに一人で買い物行かせてるんです。近くのコンビニとかですけどね、でも肉まんとか、口頭で伝えないと買えないものもリストに入れて」

島根県の山陰パナソニック株式会社2022年度の新人研修は、「一人旅」だった。

ルールは、1日10人以上とコミュニケーションをとり、出会った人と写真を撮ること。

コロナ禍の影響で大学の授業がオンラインとなり、自宅から外に出る機会がなかったため、一人で電車に乗ることができない新入社員もいるからだという。

浦沢直樹作『マスターキートン』の『空へ…』という回の終盤では、飼い慣らした大鷹を山へ放ち、自然に戻そうとする件があるが、その大鷹は、どこへも飛び立たず、飼い主の元へ戻ってきてしまうのであった。

キートン「人に飼い慣らされた鷹を野生に戻すのは、大変なことなんだ。無理やり放しても、その鷹は猟を知らない。すぐに死んでしまう」

25年前に比べると、少子化により、減りゆく若者はこれからの未来を担う存在として、社会の変容と共に手厚く重宝されてきた。

しかし、「もう大人だよね」と、いきなり補助輪を外されても、うまく乗りこなすことはできない。

AIは今なお進化を続け、様々なことが代替え可能になったが、それでも天災はいつ来るか分からないし、狂った人間を制御するマニュアルも、そのとき自分がどう行動すべきかも、答えは当然存在しない。

養老孟司先生は、こう話している。

「危機管理とよく言うが、管理できない状態を危機という」

大人は危機の連続だ。

頑張ってるつもりでも、たいしてお金は稼げないし、あの子は振り向いてくれないし、やりたいこともまるでできない。

いくらググっても、アレクサに聞いても、その答えは出てこない。自分の人生がどうすれば楽しくなるか、その答えはどこにも載っていない。

いや、どこかに載ってるはずだとすがりつくネット徘徊者たちを、後進組が越えていく。

少し先を歩いている“人”に聞くのがもっとも早いが、残念ながら、今の大人たちはアドバイスしてくれない。アドバイスした途端、パワハラ・老害認定されるからだ。

そのため、誰にでも言える、AIでも言えるようなマニュアルしか教えてくれない。

自分に火の粉がかからぬよう、辞めるならさっさと辞めてほしいと考えている。君がどうなろうと知ったこっちゃない。 

もし親身にアドバイスしてくれる大人がいるとすれば、それはその人にとって、有益だからだ。好きな女性には優しくするが、そうじゃない者へ積極的に関わろうとしないのと同じ。

うまくいかない、補助輪もない、やりたいこともやれない、誰も教えてくれない。ストレスなく生きてきた者はそこで初めて「できない」と直面し、苛立ちを募らせ、やがて自転車ごと破壊する。

大人になった途端、人生が終わる。

本来は逆だ。

大人になってから、人生が始まる。

もうダメだと思ったとき誰も助けてくれないのは、これまで誰も助けてこなかったからだ。誰かを助けてあげられる自分になっていないから。

一方、危機にめげずに立ち向かい続けた者には、必ず力がついてくる。

時代遅れの根性論にも見えるが、どんなに頑張っても、レベル1ではスライム一匹倒すのに苦労するのは必然。しかし10にも20にもなれば、スライムなど片手で捻り潰してくれる。そこで初めて誰かが加勢にやってくる。こいつなかなかやるやんけ。俺らが加勢したらもっといけんちゃうか。

仲間が増えると力は増し、やがて誰かを助けてあげられる自分になっていく。

城から一歩出ればモンスターと遭遇するように、危機は必ず訪れる。逃げるのも手だが、そのままだといつまで経っても経験値もお金も貯まらず、武器も買えない。

いつ勝負に出るかべき。

そのタイミングにも答えはない。

全ては自分で判断するしかない。

書店に行けば、この手の解決書のようなものがたくさん売られている。

出版社は手を変え品を変え、同じようなことを見栄えだけ変えて発売しているが、彼らもまたビジネスであり、城の外で戦う勇者。オンラインサロンオーナーもそう。

ダルビッシュは、「トレーニングをろくにしてこなかったせいで、大した選手になれないまま40代を迎えてしまったことを後悔し、神様にお願いして20歳若返らせてもらった」という設定で、20歳から生きてきたという。

そんなエピソードも、孫子の兵法も、書店の本も私たちは散々読んできた。

うまくいった者も、いかなかった者も、間近で散々見てきた。ここに自分の実体験も加えると、これは確かにそうだった、もっと早く気づきたかった、もし今20歳若返らせてもらえるのなら、必ずやると思えるのは、この3つだけ。

レスポンス、不戦勝、客観視。

ググっても出てこないこの3つの意を、自力で探すか無視するかも、全て自由である。


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