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思考整理したい時は他者の話を聞くのが良いって思っている。

で、ちょうど良さそうなトークイベントがあって、オンライン(Zoom)もあったけど、久しぶりにオフライン(リアル)の場に足を運んだ。

\京都のモノづくりをアップデートするデザインとは?/

ビジネスの現場で「デザイン思考」「UXデザイン」「サービスデザイン」といった言葉を耳にする機会も増えているのではないでしょうか? これらのキーワードとともに語られる、「ユーザーにとって価値があるのは、製品そのものではなく体験である」「モノづくりから、コトづくりへ」という流れが浸透しつつりあます。

その流れに対して、
「モノづくり」が軽んじられている、あるいは古い考え方とされていないか?
「コトづくり」と「モノづくり」は二項対立で考えるべきなのか?
この京都で、「モノづくり」や「コトづくり」とどう向き合い、デザインし、アップデートすることができるのか?

https://monodukuri-design.peatix.com/

▼出演
井登友一さん
株式会社インフォバーン取締役副社長
デザインストラテジスト

北林功さん
COS KYOTO 株式会社 代表
一般社団法人 Design Week Kyoto 実行委員会 代表理事


当日の備忘録

京都のモノづくりのアップデートとか、デザインとかの話って、僕がぼけーっとしていたのか、特に印象に残らなかった。

イベントが進む中、正当性(legitimacy)と真正性(authenticity)という言葉が出てきたぐらいで、僕にとっての思考整理もできたので良い機会であった。行って良かった♪

その正当性(legitimacy)という言葉を出していたのは井登さんで、その言葉の意味を解釈する際に、対談相手の北林さんが、真正性(authenticity)という言葉を用いていた。その話の中で、北林さんが「Why now?、Why you?」という起点で整理しされていたのがわかりやすい。

ひと晩空けてからの思考整理

今の経済や物流とか便利になっているようだけど、モノづくり=クリエイティブって、とても複雑になっていて、いくつもの階層や動線を通さないと、作り手から使い手に届かないことが多い。

一見、大事な人に美味しいごはんを作るのと、仕事としてモノづくりを行うことって同じように扱えないようだけれど、作り手が使い手のことをイメージできないようになると、中身のないモノが生産され、同じように使い手も作り手のことをイメージできないと、中身のないモノが消費されるのかも知れない。

人にとって価値観が異なるとはいえ、モノに内在する価値や佇まいとして、用の美や、アノニマスの美しさという尺度もあるんだけれど、使い手の知見(経験)の上でそれを捉えることができるのだろうかと思う。生産時よりもアンティークとなって、時間(モノの経験)を価値として付随するモノもある。

新しく生み出されたモノがすべて価値があるわけでもなく、プロセス、素材、人、場所、時など、いろいろな要素がそのモノの価値を定めることが多く、その要素が複雑であればあるほど、仕上げの精度への要求が高まるため、作り手の力量(技術、経験、リソース、戦略など)がそのまま反映される。

最近の事象と重ねてみる

今春から数ヶ月間、とある展覧会のサポートをする機会があったんだけれど、当初、作り手は発表できる機会を得れたということで満足していたが、プロジェクトを進めている間に、その会場を訪れる人にとっての意味を認識できるようなっていくのを目の当たりにしたことがあった。

企画の基本は目的に行き着く、北林さんが言っていた「Why now?、Why you?」といった話を作り手と何度もしつつ、作り手が言語化できていないところを整理することで、その展覧会の価値を人に伝えることもできるだろうし、それを目的として足を運んでいただくことや、モノを所有したいと思ってもらうことに繋がるのだろう。

そんな思考整理をする時には、頭の中で考えるだけでは見落とすことも多いので、文章に置き換えてみたり、マインドマップで要素の関係性を可視化したりもする。チームで進めている場合は、話をするだけでも壁打ちとしての効果もあるんだと思うし、定石である「5W1H」を用いることも多い。イベントやプロダクトを生み出す時も同じなんだろう。

今年の9月後半ごろだったか、参加して欲しいということで声をかけていただくプロジェクトがあって、この数ヶ月間、チームで思考整理をしていく中で、手段や戦略はどんどん様変わりしていくので、ちょっと不安になって当初の目的を振り返ってみると、枝葉のような細部を削ぎ落として本質を見出そうとしているだけだったという体験があった。

新しく生み出すということは「例え」を用いることで、人は理解を深めることもあるんだが、例えはいつまでも例えであって、そのモノではない。イベントでは、iPhoneを生み出したスティーブ・ジョブズの「携帯電話を再発明」という例えがあったが、同じような話として任天堂の開発者である横井軍平の「枯れた技術の水平思考」を思い出した。「新しさ」は唯一無二の事象ではなく、過去の蓄積の上にしか起こらない。When の判断は、日常の延長にしかできないようにも思うし、どのような日常を過ごすのかに尽きるということだ。

生み出されたモノは時間とともに認知も広がるが、その多くは成熟を待たずして、役目を終えるか、陳腐化する。… モノづくりは儚い。
一方、時間と共に成熟していくモノはその中で、モノそのものや状況の読み替えが行われるなど、継続的に手を加えていくことになるのだろう。アップデートってそういう言葉だった♪

僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。