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短編『現し身(うつしみ)』

自他ともに認める遅刻未遂チャンピオンは、
今日も一人、学校の廊下を駆ける。

月曜日はやっぱり、学校に行くのが億劫。
眠い目をこすりつつ、走る。
「よし。教室はすぐそこ。このままいけばすべり
込める」

彼女は、階段を上った先にある年季の入った振り子時計を一瞥し、今の時刻が8時50分であることを
知った。
朝のホームルームまであと10分ある。

1年B組の教室は、階段から見て右側の、
手前に見えている。
さすがに前の扉から堂々と入るのは気が引けるのか、教室の後ろにある引き戸に手をかけ、
ガラガラと開けて中に入った。


「あ、望海(のぞみ)。おはよ」
教室に入ってすぐ、私は窓際の一番後ろの席に
座っていた友人に声をかけた。 
望海は、呆れたような様子だ。

「萌香(もえか)、またなの? これで今月20回目だよ。この前、もう遅刻しないようにしなきゃって言っていたのに」

「今日はホームルーム前に教室に来たから別に
大丈夫でしょ。ギリギリセーフってことで。
ていうか、よくそんなに数えてたね」

「見ているこっちがヒヤヒヤするわ」

退屈な数学や現代社会、古典の授業と、楽しみに
していた体育の授業を終え、大好きな昼休みの時間になった。
クラスの女子が机を寄せ合いグループを作るのを
横目に、私は望海の隣に座って弁当を食べ始めた。

「昨日は楽しかったね。望海と映画見に行ったの、初めてじゃない?
待ち合わせの時間に少し遅れてごめんね。乗っていたバスが遅延しちゃってさ」

 望海は、きょとんとした顔で言った。
「何言ってんの? 萌香、ちゃんと時間ぴったりに、映画館の前で待ってた。いつも遅れてくるのに、どうしたんだろうなーって思ってたよ」

「そうだったっけ」

「そういえばさ、二人でキャラメルポップコーンのLサイズ頼んだけど食べきるの大変だったね。映画見ている最中もずっと食べて」

「え? 私はメロンソーダ頼んで、萌香はコーラ飲んでたよ。ポップコーンなんて食べてないし」

「そ、そうだったっけ……?」

「あ、見た後にさ、映画館の横にあるゲーセンで
クレーンゲームしたよね。望海がネコのぬいぐるみほしいって言って。あれ5回で取れたの地味にすごくない?」

 不安を募らせながらも、思い出を片っ端から話していく。しかし望海の表情は固いままだった。

「映画見た後は、二人で最近できたカフェに行ってタピオカ飲みに行ったじゃない。萌香は抹茶のやつ頼んで。……さっきからさ、うちら全然会話かみ合ってなくない? だれか他の子と間違えてないよね?」

「そんなわけない。あのとき、望海はちゃんと一緒にいたもん」

気まずい空気が、二人の間に流れた。
 
望海は、机の横に掛けてあった紺色のスクールバッグの中からスマホを取り出し、スクリーンショットを萌香に見せた。

「望海がInstogramのストーリーズに映画のポスターを映した写真載せてたでしょ。私もその映画見たいと思っていたから、『一緒に行こう』ってLink
送ったんだよ」
「ほら、これ萌香のアカウントでしょ?」
 
差し出されたスマホには、「もえか」という自分と同じ名前のアカウントが表示されていた。
しかし、このアカウントは自分のものでは
なかった。

アイコンの画像が違うのだ。
私はこの前アイコンをネコの画像に変えたが、
「もえか」のそれはスマイルマークのラテアートが施されたカフェラテだった。

「ねえ、これ私のアカウントじゃないよ。
この前アカウントの画像変えたばかりだし」

「え、マジ?」

「望海。この『もえか』って子、友だち紹介してよ。また迷惑なことされたら嫌だし。
邪魔しないでって、釘刺しとかなきゃ」

 私はスマホを手に取り、紹介されたそれを友だち登録した。もしかして、望海のLinkには私と、
『もえか』という私の偽物の、2人分のアカウントが間違って登録されているんじゃないの?

「ちょっと、スマホ貸して」
彼女からスマホを借りて、友だちリストを見ていく。しかし、それはなぜか消えており、
私が今使っているアカウントのみが残っていた。

「何で。消えてるの……?」

「じゃあ、うちらは誰と遊びに行っていたんだろう?」

 
 「この角度から描こう。この方が光の当たり具合もきれいな気がする」

例のアカウントから何かメッセージが送られてくるのではないかと心配していたが、特に何もなく
放課後になった。今日も美術部で、作品をつくる
ことになっている。
もうすぐ県の秋季美術展が控えているからか、
みんな、何だか慌ただしい。
 
私はピンクと白のバラと、実のついたラズベリーを花瓶に飾り、その手前に紙を置いて描き始めた。

まず、一つ一つの花と花瓶を、鉛筆で縁どって
ゆく。たそがれ時に見える人影のように、ぼんやりとした輪郭を写す。

そして、この輪郭に薄く、色を載せていく。
よく見ると、ピンク色のバラはほんのりクリーム色をしている。パレットにカーマインと、パーマネントイエロー、ホワイトの絵の具を出して混ぜ合わせた。
 
ふいに、着信音が響いた。何だろうと思ってスマホを取り出すと、『もえか』からメッセージが届いていた。

「今ここにいるよ 5」

写真には、どこの教室かはわからないが黒板が
映っている。誰かの机と椅子を映した写真が、黒板に貼られていた。

何かのいたずらか?
私は絵筆とパレットを机に置いて席を立ち、教室を片っ端から覗いていった。

まず2階の教室と、理科室、家庭科室。
理科室では科学部、家庭科室では調理部が活動している最中だったからドアのガラス窓から覗くことしかできなかったけど、それは見当たらなかった。 

1階に戻り、さっきと同じようにクラスを覗いて
いく。
すると、とある教室にそれがあった。
1年B組。私の教室だった。
 
どこかに、このいたずらを仕掛けた奴がいるかも。
 辺りに誰もいないことを確認してから、教室のドアを開けた。
手前にある黒板には、写真とともに白いチョークで「5」と書かれていた。デッサンの鉛筆の跡のように、線を何本も引いて書かれている。
写真は、さっき送られた物とは違い、今度は美術室のドアを映した写真が
マグネットで貼られていた。

「……はぁ? 何これ」
きっと、何かのいたずらだろう。ちょっと気持ち
悪いなあ。
 私は黒板消しを手に取り、「5」をきれいに
消した。
写真は紙に印刷されていたものだったから、丸めてゴミ箱へ放り込んだ。
嫌なものを見た私の記憶も、同じように丸めて捨てられればいいんだけど。

「萌香、どうしたの? 絵を描いている途中に、
いきなり出ていくなんて」
 美術室に入った途端、2年の藍果(あいか)先輩が声をかけてきた。
 先輩と呼んではいるが、昔からの幼馴染みだ。
藍果先輩は家のはす向かいの一軒家に住んでいて、小さいころからよく遊んでくれる人だった。美術部に入ったのも、先輩が部活に入る気のなかった私を根気強く勧誘し続け、私が根負けしたからだ。

「何にもないですよ。親から連絡が来ただけで」

「そうなの。それじゃ、美術展に出す作品、一緒に仕上げちゃおうよ」

「すいません。今日は5時になったら帰ります。親から早く帰って来いって言われたんで」


「ただいま」
「おかえりなさい。今日は早いのね」
「うん、部活がいつもより早く終わったんだ」

 部活が早く終わった、というのは嘘である。
さっきの事件で作品の制作に集中できなくなった
から、無理やり切り上げてきたのだ。

「あんた、もうすぐ中間テストでしょ? 今日の
復習でもしといたら?」

うざいなあ。
はいはい、と適当に相槌を打って、2階にある自分の部屋に行った。

勉強机の前に置かれている椅子に腰かけ、
壁に貼られたカレンダーにふと目をやった。

金曜日は、部活は休み。
望海は帰宅部だから、一緒に遊びに行けるだろう。

放課後、どこに行こうかな。
そうだ、この前行った映画館のすぐ近くに、
新しく雑貨屋さんができたっけ。
 
私は望海にメッセージを送った。
コーギーに似た犬が首をかしげているスタンプも
一緒に。 
返事は、すぐに返ってきた。

「いいね。私も行ってみたいと思っていたんだ」

画面の中の女の子は笑顔で、手でOKサインを
つくっている。

6時限目の生物が、やっと終わった。この後楽しみなことが控えていると思うと、ちょっとだけやる気になれた。でも、後半は睡魔と闘っていて授業の
内容をほとんど覚えていない。
帰り支度をしている望海に、私は声をかけた。

「ごめん、生物の授業のノート貸してくれない? 明日、朝いちに返すから。ノート取りきれなくてさ」

彼女は、はぁ、とため息をついて言った。
「また? 仕方ないなあ。なんでいつも私に頼むのよ」

「だって、望海のノートの字が一番見やすいし、
イラストとかも書いてあるから読みやすいし。
まとめるのが上手いんだよね」
 
「そ、そうかな。はい、これ生物のノートね」

そう言うと、彼女はまんざらでもなさそうに呟いた。ちょっと照れているようにも見える。

「いつもありがとう。テストで赤点取らないで済んでいるのは、望海のおかげだよ」
  
 駅へ行くと、そこは多くの人でごった返していた。私たちと同じ制服を着た高校生だ。
とても賑やかで、アナウンスもよく聞こえない。
--1番線に、各駅停車‐‐行きが参ります。危ないですから、黄色い線まで下がってお待ちください---

どうにか電車にすべり込んだ私たちは、車内で
息を切らしていた。
「間に合ってよかったね」

「萌香が『一番早く来る電車に乗ろう』って言う
からびっくりしたよ。せっかちだね」
 
「だって、友達と過ごす時間は少しでも多い方が
いいじゃない」

車内を見渡すと、空いている席は無さそうだった。乗客は皆、スマホの画面を見ていたり、
イヤホンを耳に挿して目を閉じ、音楽を聴いて
いたりしている。
 
仕方ない。このまま立っていよう。

「いつもこんなに混んでるの?」
「そうだよ。帰りのホームルームが長引いたとき
とかだと、そこまで混んでないんだけど」
私は学校の近くに住んでいるから普段は徒歩通学だけど、望海はこの電車で通学している。

電車に揺られながら話をしているうちに、
映画館の最寄り駅についた。
雑貨屋は、ここから歩いて10分くらいの所にある。
歩いていると、ある店に目がいった。
どうやら、クレープの店のようだ。

お腹空いたし、食べたいな。

そう思っていると、望海が言った。
「ねえ、クレープ食べていかない?さっきから
お腹空いててさあ」

「私もちょうどお腹が空いてたとこだよ。
食べよう!」

「せっかく頼むし、半分こしよう。どれにする?」

二人で話し合った結果、バナナキャラメルホイップ味と、ハムチーズ味を食べることになった。
店の外のベンチで、二人並んでクレープを食べた。

望海は、口にホイップクリームをつけたまま、
黙々と食べ続けている。

よほど、お腹が空いていたんだろう。

ハムチーズ味のクレープにかじりついた瞬間、
ふと日曜日の事を思い出した。

今、目の前でクレープを食べている彼女は、
本当に望海なのだろうか。
もしかしたら、この人は望海ではない?
いけない。何でこんなこと考えるんだろう。

私は今思ったことから気をそらそうとして、
彼女に話しかけた。
「バナナキャラメルホイップ、少し分けて。
しょっぱいのを食べてると甘いのも欲しくなる」
 
「いいよー。その代わり、それ分けてよ」

「口に、ホイップクリームついてるよ」
 と呟くと、彼女は恥ずかしそうに言った。
「え、マジ?  食べるのに夢中で気付かなかった」 

未開の地に踏み込んだ冒険家のように、
私はスマホのマップと目の前にある店を見比べて
言った。
「ここで間違いない」
「ついに来たね」
  
雑貨屋だと思っていたら、実際はアンティークを
取り扱う店だったようだ。
アンティークなんて、高くて買えないよ。
店の前には、古びたトルソーや錆が目立った薬の
看板、針金でできた鳥かごなどが飾られている。 

店の前にあるものを眺めていると、店員の女性が
声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。中も、見ていきませんか?」

店の中は、多くの雑貨であふれかえっている。
調理道具や食器、文房具など、持ち主のもとを
離れたものたちが整然と並んでいる。
私たちは、宝さがしをするようなひとときを
過ごした。

店内を見て歩いていると、私の目はあるものに
釘付けになった。持ち手に、向かい合わせになった二匹の鳥の意匠が施されている鍵だった。
藤で編まれた茶色い小さな籠の中に、ボタンや
ブローチなどと一緒に飾られていた。

思わず手に取ると、鳥の意匠が日の光に照らされ、ステンドグラスのような輝きを放った。淡い翡翠のような色をしていて、木漏れ日のようだ。

店員が話しかけてきた。

「これはフランスの蚤の市で買い付けてきたん
です。私も、この鳥のデザインに一目惚れしました。今から50年以上前に、ある宝石商が作らせたと聞きました」

きれいだな。持って帰りたいな。
そう思って値札を見ると、6700円と書かれていた。
私のお小遣い約2か月分か……
   
「ちょっと見て!」
望海は、籠の傍らに飾られていた皿を指さした。
それは直径30センチ位の大きめの平皿だった。
縁は瑠璃色で、皿には青色と水色の小さな花が無数に描かれている。
「これは東ドイツで作られた皿ですね。青色の皿はあまり見られないので、珍しい品です」

「普段使いするのがもったいないぐらい可愛いよね。私だったらキッチンにでも飾るかな。
色々見せてくださってありがとうございました」

「アンティークに興味を持っていただけたら嬉しいです。ここにあるものはみんな、持ち主の分身のようなものですから」
  
分身のようなもの、か。日本にも、物を100年使い
続けたらそれに魂が宿るなんていう話もあるっけ。

「萌香、さっきのお店、また行こうね。
私、あのお皿欲しい。あれは5500円だから、
貯金すれば買えるかも」

ちょっと頑張れば手の届く幸せ。私は今まで、手に入れようと思ったっけ。最初から「自分には手の届かないものだ」と決めていれば楽だけど、
「手に入れとけばよかった」と後で悔やむことも
覚悟しなければならない。

 私は、どっちを選ぶ?

「私もさっき見た鍵が気になるんだけど、
買うかどうかはもうちょっと考えてからにするよ」

「えー? アンティークは1点ものだから、
見た時に買うかどうか決めないとなくなっちゃうよ?」
  
一人、駅前のバス停でバスを待っていると、Linkの着信があったことに気づいた。
誰からだろう。
藍果先輩か、さっき駅前で別れた望海だろうか。

バス停には時折木枯らしが吹いてくる。
体も、心までも冷えきってしまいそうだ。
かじかんだ手でスクールバッグの中を探り、
スマホを起動する。

スマホの画面には『もえか』からメッセージが表示されていた。

『今ここにいるよ 4』

メッセージとともに、写真が2枚送られてきた。

1枚目は私が乗っていた電車の車内の写真。
時刻は午後5時20分。望海と雑貨屋にいた時だ。
2つ目は、私がいつも通学に使っているバス停の写真だった。時刻は1分前。

何これ。気持ち悪い……。
誰かにつけられてるの?ストーカーじゃん。

写真を送ってきた時刻から察するに、『もえか』という人物……私のふりをした怪しい奴は、まだバス停にいる可能性が高い。
私の後をついて行ったそれは、私が駅の方へ向かうのを確認してから、先回りしようとしてまず最初に駅へ行ったのではないだろうか。いくら待っても私が帰ってこなかったから、家の近くにあるバス停へ移動したのだろう。でも、なんで私の帰宅ルートを知っているんだろう。

今日はバスには乗らないで、電車で帰ろう。
電車だとちょっと遠回りになるけど仕方ないや。
 私は席を立ち、駅の中へ入っていった。
   

東側の窓から朝日が差し込み、部屋を明るく染めてゆく。ベッドに寝ころんでいた萌香はそれに気づき、うっすらと目を開ける。

その瞬間、充電してあったスマホから大音量で、アラームが鳴り響いた。
「うるさいなあ。アラーム聞くたび憂鬱になるわ。朝なんて来なきゃいいのに」

アラームを解除すると、Linkにメッセージが届いた。

 『今ここにいるよ 郵便受け見て 3』

メッセージのみで、画像はなかった。
言われたとおりに、玄関まで行き、郵便受けの中を見た。郵便受けには、ピンクの花柄の封筒が入っていた。宛名など、『もえか』の手掛かりとなるようなものは、ない。

封筒を開けると、1枚の写真が入っていた。
写真には、一軒家が写っている。
それが、自分の家だと気付くのに、それほど時間
はかからなかった。

「嘘。これ、うちの家じゃん。なんで知ってんの!」

「やばい。このままじゃ何されるか分かんない。家にいない方がいいかも」

近所に頼れる人は……いる。
私は、藍果先輩にすぐさま電話した。

「藍果先輩。急にすみません。今日、泊りに行っていいですか」

「どうしたの、いきなり」

「変なLinkが来ているんです。さっきも、私の家を撮った写真が送られてきて。変な奴にあとをつけられてるかもっ」

「分かった。すぐうちに来な。話聞くよ」

お母さんに、藍果ちゃんの家でお泊り会することになったから、と言ってからリュックに着替えなどを詰め込んで、藍果先輩の家へと向かった。

インターホンのボタンを押すと、中から藍果先輩が出てきて
「いらっしゃい。待ってたよ」
と出迎え、自分の部屋へと通してくれた。

「あんなに急いで、どうしたの。何があったの?」
 二人分のお茶とお菓子を持ってきて藍果先輩は
尋ねた。

「1週間くらい前から、知らない人からメッセージが届くようになっちゃったんです。いつも『今ここにいるよ』って書いてあって、メッセージの後には数字がついてて。数字は、カウントダウンみたいに、5、4、3……と続いているんです。写真も、学校の中、いつも使ってるバス停、そして私の家を写したものが送られてきました」

 Linkのトーク画面のスクリーンショットと、
さっき届いた家の写真を見せると、
藍果は顔をこわばらせた。

「何それ。ヤバくない? 最近、何か変わったことあった?」

「同じクラスの友達から、私と同名のLinkアカウントを紹介されて、フォローしました。それから、こんなことが起こり始めて」

「そのアカウント、すぐにブロックしなよ」

「でも、大丈夫かな。ブロックした後も連絡が来たらどうしよう」

 おろおろしていると、藍果先輩は冷静に言った。

「とにかく、今うちらができる対策としてはそれしかない。スクリーンショットと手紙は後々、証拠として使えるかもしれないから、嫌だろうけどとっておいて」

そう言うと、先輩は私の手を握った。
「この土日はうちに泊まっていきな。ここにいれば、絶対大丈夫。私もいるから」

「2日も泊まっていっていいんですか」

「さっき、うちのお母さんに連絡しておいたから。今週はお父さんも出張で家にいないし丁度よかった。うちらの仲でしょ。小さい頃はたまにお泊り会とかしてたじゃない」

「よかった。ありがとう」

 夕食をいただいた後、先輩の部屋に戻って、
お菓子をつまみながらパジャマパーティーをした。先輩は、今も昔も変わらず気さくに接してくれる。それだけでも、心の奥底にある不安が和らぐ。

「部活には慣れた? 入ってもらってから1か月
経ったけど。あのときはいきなり『幽霊部員でもいいからお願い』なんて強引に誘ってごめんね。
ほら、萌香って、昔から絵を描くの好きだったからさ」

「水彩絵の具とか木炭とか、いろんなもの使って
絵描いたりできるから楽しいですよ。初めて使う
画材もたくさんあって面白いし。何より、部活で友達ができたのがうれしかった。今までは一人で描いてたから」

「今までは、黙々と漫画とアニメの模写してたもんね。今もやってるの?」

「丁度、スケッチブックとペン持ってきてますよ。見ますか? 描きかけのやつ、今ここで仕上げちゃおうかな」

 月曜日の、古典の授業のときにラフ画を描いた。古典のノートは縦書きだから、縦線が目印になってバランスのいい絵が描けるのだ。 

金属のリングで綴じられたスケッチブックを何枚かめくり、描きかけの絵を探す。
私が考えたオリジナルキャラクターだ。
黒髪はセミロング位の長さで、前髪は右で分け、
大きめのヘアピンを何個か着けて留めている。
制服は校則ギリギリというところまで着崩している。例えば、スカートは膝より上。ブレザーの
リボンタイは着けておらず、ブラウスの上には
ベストを着ている。

紙に描かれた彼女は、まだシャーペンで下書きしたままだった。シャーペンの線は少しかすれていて、そのままにすると、彼女は最初から存在しなかったかのように消えてしまいそうだった。
顔から順にペンを入れていき、少しずつ輪郭を
明らかにしていく。

全ての線にペンを入れてから、下書きの線を消し
ゴムで消した。
下書きの彼女と、ペン入れをした後の彼女。
二人もいらないや。

「描いているうちにだんだん自分の癖がでるのかな。何か、この子って萌香に似ている気がするんだよね」

「え? そうかな」

先輩は、キャラクターを指さして言った。

「この着崩し方とか、普段の萌香そっくり。
よく見たら顔も似てる」

「そういわれると、スカート短めにしてるし、
リボンタイも窮屈だから外してスクバに着けてるな」

二人で黙々と、A4サイズのスケッチブックいっぱいにイラストを描いていると、スマホの着信音が鳴り響いた。もう時刻は午後8時を超えている。

こんな時間にLinkでメッセージを送ってくるのは、望海くらいだ。望海であってほしい。

しかし、そんな一方的な期待はすぐに裏切られることとなった。スマホのロック画面には、『もえか』からのメッセージが表示されていた。
思わず悲鳴を上げると、
先輩が画面をのぞき込んできた。

「今ここにいるよ また来るね 2」

メッセージと一緒に、写真も送られてきた。薄暗くてよくわからないが、勉強机と椅子が映っている。机の右端には、私が小さいころから持っている
ウサギのぬいぐるみが置かれていた。

……これって、私の机じゃん! 

ということは、『もえか』は私の家に侵入して、
この写真を撮ったのか。
私は咄嗟に、お母さんに電話をかけた。
呼び出し音が鳴り続ける。
頼む。出てくれ。

「萌香、どうしたの? また何か忘れ物でも
したの」

お母さんはのんきな声で電話に出た。
それが、何だか癪に障る。

「あのさ、今日うちに誰か来た?」
「午前中は誰も来ていないけど。でもさっき、 
あなた家に帰ってきたじゃない。『着替え、
忘れた』って。どう? そっちは楽しんでる?」

さっと血の気が引くような感じがした。 

『もえか』は、すぐそこまで近づいてきている。
その事実を、すぐに受け入れる余裕はなかった。 

受話器を持ったまま固まっている私に、
母は変わらず話を続ける。

「ちょっと、どうしたの。もしもし?」

 こんなこと、言えない。

「うん、大丈夫。急に電話してきてごめんね」

 
あの事件から、『もえか』からの着信は途絶えた。最後に連絡がきたのは藍果先輩とお泊り会をした
ときだったから……ちょうど1か月か。

先週、県の秋季美術展が終わって、ひと段落ついているところだ。しかし、しあさってには3日間の中間テストが控えているので、部活は休みになった。

そろそろ勉強しないと、また数学と化学と生物のテストで赤点をとってしまう。

今私は、望海が書いた化学のノートの写真を見ながら、それを丸写ししているところ。
望海はわかんないところは聞いたら大体教えてくれる。丁度数分前にも、Linkで化学式の解き方について聞いたところだ。今は返事待ち中。

よくわからない単語や化学式をひたすら書いていると、スマホの着信音が鳴った。

望海、気づいてくれたんだな。
これで分からないことが解決する。
そんな気持ちでLinkを起動すると私は一瞬、
愕然とした。

『もえか』からの着信。

もえかとのチャット画面には、
『今ここにいるよ 1』というメッセージとともに、ドアの写真が写っていた。
ドアには、「MOEKA’s room」と書かれた木製のドアプレートが下げてある。

すぐそこに、いるのか。

「ねえ。誰かいるんでしょ。もうこれ以上邪魔しないでくれる?」

苛立ちを抑えきれないまま後ろのドアに向かって
呟くと、コンコン、とノックする音が2回聞こえた。

私はドアを開けた。
すると、そこには私によく似た何か……
いや、私がいた。

ヘアスタイルは黒髪のセミロングで、制服姿で、
紺色ブレザーの下のブラウスには黒いベストを重ね着していて、リボンタイは着けていない。
チェックのスカートの丈は膝より上で、靴下はルーズソックスにしている。
よく見ると、先輩の家で仕上げたイラストのキャラに似ている。

『もえか』は、私の顔を見るなり、右手を差し出してきた。
 
思わず手を取ってしまうと、彼女は私の手に噛みついてきた。

手の甲から、温い液体が滴り落ちる。
なぜか、痛みは感じなかった。

二の腕まで食われてしまうと、彼女は私の体を押し倒し、馬乗りになった。熟れた桃のような肢体に
かぶりつき、果汁までなめとる。

私の目は真っ赤な液体に塗れ、
よく見えなくなった。

「おはよー」
「おはよう。今日は珍しいのね。学校に行く1時間前に起きてくるなんて」

「今日は目がさえちゃって」
「昨日は晩ごはん食べずに寝ちゃったし、お腹すいたでしょ?」
「うーん。特にそんなでもないかな」

 制服姿に着替えた「私」は、ダイニングテーブルに腰掛けた。今日の朝ご飯は、ごはんにわかめのみそ汁、それとハムエッグだ。

「私」は手を合わせて、挨拶をした。
 
「いただきます」                     

  

 

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