炭酸

脈絡のない文章をたまに書く場

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最近の記事

周回遅れは慣れっこ(仮)

うだうだしているうちに今年が終わってしまいそう。 少しずつ立て直そうとするものの、進んだかと思えば戻る。そんな生活を繰り返している。 周りを見ては焦ってしまう。意味がない事は分かっているのだが、他者と比べずに生きていくのは難しい。 何処かで誰かと違う事を求め続けているクセに、「普通になりたい」とずっと嘆いている。 かと思えば、今度は人生の長さを憂いたりしてみる。 幼さを引き摺りながら安全圏で管を巻く、チグハグな人間になってしまった。 私が思い描いていた、なりたかった大人と

    • 嫌いな事で生きていくのも案外楽しい

      「好きこそ物の上手なれ」なんて諺を見ると、眉を顰めてしまう。 趣味を仕事にしている人を見るたびに思うんです、「超人や…」と。 私は絵を描くのが幼い頃から大好きだった。 いや、当時は好きという感覚すらないはず。 私にとって絵を描く行為は食事と同じくらい、生活の一部みたいなもので。 ただの自慢話になってしまうが、図工や美術だけは成績優秀だった。 然し乍ら、好きだったかと問われると微妙である。 彫刻刀を扱う授業は大嫌いだな、くらいで。 中学時代、美術系の高校への進学を薦められ

      • 無低日記 一日目

        これまで軽躁状態になった末に、家出を試みた事が何度かございました。お恥ずかしい話です。 当時の私はまだ未成年で、出来る事なんて限られていました。 親戚の家に居候を続けるわけにもいかない。けれども、実家に居たら狂ってしまいそうで。 介護疲れが限界を超えてしまったのだろう。 これ以上、置かれた環境で今の自分に何が出来るのだろうか…。分からなくなるばかりだ。 やれる事はすべてやり尽くしてしまった。すべて無駄でしたけど。 遠くへ行きたいと願い、二度と目覚めませんように、と祈りな

        • 落ち着かないのさ

          季節の変わり目は、精神がグシャっとなりそうです。 何故かと問われても、しっくり来る答えが未だに見つかりません。 特に冬は嫌いで。布団と同化していたいのです。 鬱が重いので、身体が言う事を聞かない。 冬の季語は鬱。 サクッと冬眠もできない人間こそ最も〝ざんねんないきもの〟だろうが、などと嘆いております。 ただの甘えと言われてしまえば、それまでです。 久しぶりにお酒でも呑んでしまおうか。 なんて考えが過っても、十秒も経てば「呑んだら太るので困る」という強迫観念から呑む機会

        周回遅れは慣れっこ(仮)

          三行日記と好きな先生

          小学校四年生の時に赴任してきたA先生。 彼女は凛としていて、ショートヘアがよく似合う。 話した事もない時から、何故か好きだった気がする。 ついつい目で追ってしまう、そんな存在であった。 一〇歳にして「一目惚れ」とやらを初めて体験した。 A先生とは特に話す機会もないまま、一年が経った。 四月。仲の良い子とは皆、クラスも別れてしまった。私は途方に暮れていた。 その時点では、担任が誰になるかは分からない。 だが私にはどうでもよいのだ、そんな事は。 俯きながら、同じクラスの生

          三行日記と好きな先生

          苦労はかっこつかないね

          恐らくまともではない家庭環境で育った私は、10代のうちに可笑しな体験をそれなりに積んでしまった(それらはほんの数年前の事だが)。 私はそれを面白体験として誰かに話す事もあったが、他人様からは苦労したね〜という生温かいお言葉を頂戴する事が多い。 相手には気を遣わせてしまうし、私は私で、己のユーモアが欠如している事実を叩きつけられションボリしてしまう。こんな地獄の煮凝りを作り上げてしまった経験から、身の上話はほぼしないようになった。 それならもう思い切って、此処では苦労人ヅラ

          苦労はかっこつかないね

          何者にもなれないけど生きのばす

          途中で書くのを諦めた下書きが溜まっていくばかりだ 自分に期待しすぎているとも違うな、単に見栄を張る事に執着しているだけか 無理して背伸びをして、かっこつけた文章を書きたくなる癖が治らない 出来ない奴なりにヘコヘコと振る舞えばいいのに、それすらも出来ない臆病者だ 賢くなんかないのに付け焼き刃の言葉を並べて、そんなの虚しくなるだけで一番ダサいね 案の定、直ぐにボロが出るから、書いては捨てる行為を繰り返していた こんな事ばかりやっているお陰か、文章も上手くならない そりゃそう

          何者にもなれないけど生きのばす

          痩せを信仰していた頃の話

          高校時代、ほぼ毎日20kmあてもなく歩いて迷子になりかけてみたり、飼いなさられたカブトムシの如くゼリーだけをひたすら食べていた時期があった。 それは確か17才になるかならないかくらいの頃だった。 この頃は、体重計の数字だけが私のすべてだった。 その数字が減れば減るほど、自分の事を少しずつだが認められるようになった。 最初は、健康になりたくてダイエットを始めた筈だった。 でもいつの間にかその行為は、「自分の力で自分を肯定する手段として体重を極限まで減らす」という目的に変

          痩せを信仰していた頃の話

          五月病

          やる気が出ないし、何も考えたくない。 毎年もれなく五月病に罹っているな。 学習もせず、飽きもせず。 他人と無理やり会話する機会を作るため、始めたアルバイトもそろそろ辞めたくなってきた。 でも、辞めるのもまた面倒くさいし後回しにしている。 なんせ考えたくないのだ。 そんなのお構いなしに常に脳内は多動を極めている。 困った。 やりたい事が多すぎて、自分が何をしたいのかも分からなくなった。 だから、分からないなりに“何もしないし、考えない”をやってみることにした。 結果、何

          底なし

          通院終わりってなんだかいつも寂しい気持ちになる こんな晴れている日でも、心がどんよりしている 寂しいと色々なことを考えてしまうから、疲れちゃうね かといって 誰かに寂しさを埋めてもらおうだとか、そんな我儘は言えるわけもなく でもね 我儘な女の子の方が可愛いとかそんなこと知ってる、だけど結局なれなかったなー いつも他人様の顔色ばかり伺って それが癖になってしまった、そんな人間に可愛げなどないなー と、少し自分が哀れに思えてきた でも誰かに頼りたくなくて、お酒を呑んで寂しさを

          底なし

          なんとかなる

          「なんとかなるよ」だなんて。 どうしようもなく不安な時にそんな事を言う大人は無責任だなぁ、と考えていた。 だがつい最近、受験を控えている妹の相談に対しまったく同じ言葉を投げかけそうになった。 言いかけた後、なんだかザラっとした自己嫌悪に襲われた。 別に「なんとかなる」って悪い言葉ではない、とは思う。 過去の私にそう言ってきた大人に、悪意など感じられなかったから。 然しながら私自身は楽観的とは程遠い人間で、いつも最悪の事態を想定しながら生きている。 こんな悲しい予防線を張ら

          なんとかなる

          17才の日記より

          最近は抑鬱状態が続いており、実家に居ても家事すらままならない自分に苛立っている。しかし身体が動かない、悔しい。手伝ってほしいとお願いしても当然、無視されるのみで日に日に食器が溜まり異臭を放つシンク…。 (テレビに出てくるゴミ屋敷を見る度に親近感が湧いてきます) こんな所に居たら私は気が狂ってしまうと思い、親戚に片っ端から電話をかけ父方の祖母の家に数日間だけ居座らせてもらうことになった。 父親とも久々に再会した。会う直前に連絡を取った時には私を物凄い心配して気を遣っているよ

          17才の日記より