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【連載小説】 淋病おばさん南の島へゆく|第2章「雲の旅」(2)

色素が薄く、唇も白い。体は大きいが、日にあまり当たっていないみたいだ。
「この子がヒロキと八公。あたしの弟と甥っ子みたいなもんよ」
淋病おばさんに紹介された俺たちは、会釈をした。
「初めまして。そこの通りの向かいのバーのマスターのヒロキです」
「そこでバイトしてます八雲です」
青年はお辞儀で返す。そして穏やかな声音で挨拶をした。
「はじめまして、僕はコータといいます」
彼はこのスペースの向かいの路地でサックスの路上演奏をしていたところ、淋病おばさんに目をつけられ、このスペースに連れ込まれたらしい。コータは大学に通っていたが、いじめがひどくて学校に行けなくなったと淋病おばさんは説明する。
「この街に足を運んでいるところを同級生に見られて、ゲイだとか言われ始めたのがきっかけでした。でも僕は、ただ音楽が好きで、このへん、ライブハウスがいっぱいあるから」
事務所の入っているビルの2階から通りを覗くと、俺が思っていた以上にたくさんのライブハウスの看板がひしめきあっていた。
「そうね。この街はゲイの街だなんて言われてるけど、そんなに沢山いるわけじゃないわ。あたしは何年もここにいるけど、この街で生活しているようなゲイはそこにいる2人と数えるくらいよ」
淋病おばさんはそう言って、俺のほうを見る。確かに淋病おばさんの言う通りだ。俺はこの街にどれだけの同性愛者がいて、どれだけ生活しているのかをまったく知らない。ゲイってなんだろ。性愛だけでゲイと呼ぶにはあまりにも浅はかだ。たとえこの街がゲイの街だと言っても、そこにいるからというだけで納得できるような人間存在のようなものはないように思えた。
「学校やめるの?」
俺は尋ねた。
「やめたほうがいいでしょ、どう考えても」いじめなんて。続けて俺は言った。
「そうですね、きっと辞めたほうがいい」とコータが言う。「でも……」と続けようとするが、その先は出てこないようだった。
しばらく沈黙が続いてから、俺は訊いた。「辞めるのが嫌ってこと?」
コータは頷く。
「もう行きたくないんでしょ?」
「行っても嫌なことが待っているだけだし、行かなくなっても嫌なことは待ってます」
確かにそうだ。行っても行かなくても、嫌なことが起きる。嫌なことが起きるより、いいことが起きた方がずっといいが、なかなかそういう環境でいいことについての状況判断はできないものだ。「僕は音楽が好きだったんです。でも学校にも行けなくなって、お金親が出してるのに。ずっと部屋にこもって音楽を聴いてました。でもそれだけじゃ辛くて……」
「だからいま路上で演奏してるんだ」
「はい」
「嫌なことは起きない?」
「はい」
「じゃあ学校も休学とかしてほとぼり冷めるまで待って、嫌なことが起きない頃に行くといいと思う。それか学校変わるとかね。親に金出させてたって、申し訳ないって思うかもしれないけど、いじめとか、そんな状況親は望んでないよ。俺なんて理由なく大学やめたから、そういう気持ちあるだけで、立派だと思う」
「そんなんじゃないですよ」
「いいよいいよ。そんなかしこまらなくて」
「音楽だけが友達でしたから」
音楽からすれば、コータは音楽の友達だった。そういうの嫌いじゃない。音楽の友達の友達は友達。ニッコリ。実にいい。いじめをするやつなんか友達にも音楽にも嫌われてしまえ。
「お兄さん目頭熱くなるわ」
「そう、こういうのがいいのよ」
まるでコータと俺。ご馳走を目の前にしているようなていで、淋病おばさんは大きく頷いた。


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