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あんな家こんな家

stayhomeの暇つぶしのコラムを読んでいて、これまでに住んだ家の間取りを書くというのに興味を惹かれやってみた。

振り返るとこれまでざっくり10ヶ所以上の場所に住んだ。
実家も引っ越しが多かったし、独り立ちしてからも、流れを変えたくなると更新を待たずして引っ越しをしていた。

今住んでいるのは築40年近いテラスハウス。 

かつて住んだ家の間取りを書いてみると、水回りなどびっくりするほど思い出せない。家具の配置も曖昧。
特に思春期以降は、一人部屋のない家を早く出たかったし、バイトや仕事に忙しくしていたため極端に家の記憶がない。

逆に幼時〜学童期に住んだ団地のことは、ほとんど家のまわりだけが世界だったし、砂の天井の柄や近所で飼われてたペットの名前、当時の住所や電話番号もいまだに覚えてることに驚いた。

あの部屋に住んでいた時にあった、あんなことこんなこと、情景と出来事が結びついている部屋のディティールはどんどん蘇り、間取りからいつのまにか人生を振り返っていた。

一人暮らしの部屋に、あの人が遊びに来たとき電気傘を褒めてくれたな、メダカを飼おうとして水槽の中に水草まで浮かべたのに結局飼わなくて水草だけ増殖したな、いつもインターFMを聴いてたな、など淡い思い出から、上手にできなかった仕事、疎遠になった友人、痛い思い出も蘇る。

18歳で就職して、高校時代に借りた奨学金の返済もあったし、絶えず働いていた。働かざるもの食うべからず、誰にも頼ってはいけないと思っていた当時のわたし。
そんな頑なに、そんなに身体を壊してまで、がんばらなくて良いのに‥と昔の自分に声かけてあげたくなる。

でも、家電はラジオのみという貧困から始まった一人暮らしも、毎月のお給料で少しずつテレビ、冷蔵庫、洗濯機と家電が増えていくのが高度成長期のようで楽しかったし、死にものぐるいで働いたから奨学金も予定より早く返すことができた。

若いうちの苦労は、しなくて済む方が断然良いけど、過ぎてみると悲壮感がないのは確かで、少しは自分の糧になっていると思う。

でもそうやって結果オーライになったのは、誰にも頼ってないつもりでいても、実はたくさんの大人(成人ではなく本物の大人)のさりげない優しさに助けられまくっていたからだと今になって気づく。

15年後に相手が気付く優しさ。。
私はまだ本物の大人にはなれていない。

物件探しのコツ

不動産サイトを見て、あちこち部屋を内覧させてもらうのは、趣味と言っても良いぐらい好きだった。風呂なし物件、シェアハウス、いろいろ見た。

引っ越しを重ねるうちに好みの物件を探すことにも長け、平屋、メゾネット、ルーフバルコニー、専用庭、定期借家などの物件をフリーワードで探したり、特に特徴はなくとも“築年数が古い順”に並べ直すだけで安くてレトロな掘り出し物件に出会えることも発見した。
昭和のかわいい建具、照明、タイルなんかをみるとそれだけで住みたくなってしまう。

これまでに見たなかでNO1だった家は、中学時代の友達家族が住んでいた立川の米軍ハウス。 

夏休みに泊まりに行くと、家の中すべてが映画に出てくるみたいにおしゃれで衝撃的だった。
広い家の中にはトランポリンやドラムがあったり、夜にはご近所さんがわらわら集まり、はしごで屋根の上に登って昭和記念公園の花火を観賞したり。家だけじゃなく、暮らしすべてにカルチャーショックを受けた。

NO2は、クレーム対応で行った港区の高級ヴィンテージマンション。一生住むことがないだろうと思い、仕事中にもかかわらず敷地内を散策して帰ってきた。便利な立地なのにパワースポットというぐらい緑も多くて空気が軽い。
あんな気持ちの良い場所に住むってどんな感じなんだろう。純粋に、お金持ちになりたいなと思った。

「こんな家に住んだ」という小暮ひでこさんのエッセイも家に対する思い入れや、楽しげな人生がにじみ出ていてうっとりする。

そして今でも良い物件があると、引っ越しの予定もない姉に送りつけて住めばいいのに!とすすめるお節介をしてしまう。

今の家に対する愛着はあるけど、8年近く住んでそろそろ流れを変えたくなってきた。

老朽化とともにどんどん取り壊され、空きが出ることのほとんどない米軍ハウス。
いつか縁があって住める日がきますように。








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