短編【カモフラージュスポットライト】



ビル群とその間を真っ直ぐに進んだ先に見えていた青い空が突然遠近感を失った。

ビルの壁、窓ガラス、アスファルト、走る車、その先にある空。それらが放っていた色のひとつひとつが独立した、ただの色の塊になる。

その塊が色の濃度を上げ、一斉に、目に飛びこんできた。

眩暈がして足を上げられない。
歩道橋を歩く人たちに背を向け、僕は足を引きずり手摺に手を伸ばし、しばらくじっとして呼吸を整えようとした。

歩道橋の下の道に目をやると信号に合わせて東西南北へと動く車の流れが見える。車の動きはスローモーションになったかと思えば、次の瞬間にはコマ送りのようになる。車はまだらにその位置を変えた。

更に眩暈を覚えた僕は後ろを振り返り通行人たちの方に目を向けた。

数多の老若男女が歩いているなか、ある女性に目が止まった。
女性の横には彼女の手を握り、頼りない足取りで歩く子がいた。
「寒いねぇ」
女性はその子に笑顔を向ける。
「さーぷぃねぇ、さーぷぃねぇ」
子どもは満面に笑みを浮かべ女性を見上げながら拙い口調で繰り返していた。

この女性から世界の全てが始まった。そして、今もあちこちで世界が始まっている。
足を上げてみた。歩けそうだ。少し正気も戻ってきたように思う。顔を上げ人の流れに紛れ込む。

歩き始めてすぐ、「マナーを守りましょう」という文字が目に入った。
その中の「ま」の文字だけが大きくなる。
「ま……  Ma…… マ……」
頭の中で、文字としての「ま」と音としての「ま」、そして意味としての「ま」がまとまらず、バラバラになっていく。

「ま」は大勢の人たちによって、「ま」として認識され、共有され、使用されてきた。「ま」を生み育ててきた数多の人間がこれまでにいて、これからも、い続けるのだ。

他人の所有する土地、建物に無断で立ち入っただけで罪になる。他人の金を断りなく拝借するのは窃盗罪だ。他人の配偶者と関係を持つのも罪に問われ、他に恋人がいるとわかっている相手と関係を持つのも気が悪い。
他人が所有しているとされるものを無断で自分の所有物かのように扱うのは基本的にはあまり歓迎される行為ではないだろう。

前後左右から押し寄せてくる人たちは顔も形も目的も、思想も思考も、趣味も嗜好も各々異なる。
それなのに「ま」を「ま」として共有している。
「ま」を俺だけのものだと主張する日本人はいない。「ま」を独占したって意味がないからだ。「ま」はみんなと共有して、みんなで使用してこそ「ま」なのだ。

沢山の人が歩いている。自分の意識と肉体の一貫性を信じ、意識も肉体も自分の所有物であり自分は他人とは異なる存在だと信じている数多の個人が行き交っている。

ではその一人一人の思いの総てを誰が引き受けるのか?
そんな存在は必要なのか?
引き受ける存在は不必要だとするなら、そんな世界で秩序を保ち安心して生きているこの群れの強さはどこからくるのか?

涙が溢れてきた。
慌てて下を向き立ち止まる。
わかったぞ、わかったぞ、わかったぞ。
自分はこれまでずっとこの群れには属していなかった。僕の全ての苦しみの原因は自分も群れの一員だと勘違いしていたことにあったのだ。

涙が止まらない。

足元にはアスファルトがあり、その下には土があり、大地につながっている。大地は海の底を通り別の大陸を抜け、また僕の足元に戻る。

この大地を踏みしめたときに僕は大地とつながり、それは世界とつながることを意味する。僕が大地を踏む振動は必ず何かの形で全世界に伝わっているはずだ。

自分は今ここにいて、空を見て、ビルを見て、人を見て、大地を踏みしめている。
僕なんて存在は、ただそれだのことしかしていない。
でも、それだのことしかしていない自分の気持ちは、今確かにここにある。それがとても尊いものに思えてきた。今ここにある気持ちの尊さを思うと更に涙が溢れてきた。
僕は今ここに在る。それで良い。

涙は止まらないまま、号泣に変わっていた。僕はまた歩き始める。一歩一歩に自然と祈りが伴っていた。誰に何を祈っているのか。そんなことは知らない。知らなくて良いと思ったし、深いところでは知っているはずだとも思った。
以前のような寂しさはもう感じなかった。泣いているのがバレたって構わない。

僕はそのまま歩き、姿形を共にする得体の知れない群れの中に紛れた。

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