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浅虫水族館とキディーランド、浅虫のお話

浅虫水族館とキディーランド
「浅虫では昔、塩を作っていた、そしてスキー場もあったんです」

海岸近くに温泉街がつくられている浅虫温泉ですが
昔、浅虫では塩を作っていたことはあまり知られていないようです。

塩を作るいきさつは
明治の時代の1879年
温泉の熱を利用して
良質な塩を製造する為

青森県の勧業課が製塩場を作ったことがきっかけで
海が近く、背後に山があって
燃料の補給にも恵まれ
一時は、製塩場の食塩は浅虫温泉の土産として
温泉客が買ったそうですが
この塩を作る事業は
明治新政府が仕事が無くなったサムライ、旧武士層の生活救済のために行なった旧弘前藩士族施策で

結果としてうまくいかなかったようです。

又、浅虫温泉には以前はスキー場もあったのも
知られていないと思います

海の景勝地、避暑地として有名になった
浅虫温泉を
冬にも賑やかに発展させようと有志が集まって
スキー場建設をしたのが
昭和3年ごろのこと
浅虫温泉を南津軽の大鰐スキー場のようにしようと
スキークラブ、営林局の林友クラブに調査依頼を行い

三か所のスロープ、ジャンプ台を持つスキー場が完成

眼下に海を見下ろしながらスキーができると当時は話題になったそうです。

その後、
青森市浅虫が“市民スキー場”として利用されていましたが、

次第に
手狭になったため

場所を戸山に移し

一時使用

しかしながら

地権者との折り合いがつかなくなったようで

新たなスキー場として
雲谷峠がスキー場として利用されていく事になりました。

その後、昭和になって
モータリゼーション全盛の頃になると

浅虫水族館や遊園地が出来賑わいを見せていきます。

「旧浅虫水族館と浅虫の遊園地」も忘れられない思い出ですね

今では山側にある浅虫水族館ですが
以前、浅虫水族館は、裸岩の近くにありました。

なんでも東北大学から
借り受けてたんだそうです。

国道からこの水族館に行く途中に
遊園地とヘルスセンターがあり、
夏には貸しボート遊覧船も出ていました。

自分の記憶では
裸岩の周囲でも泳いだように思います。

県営水族館がオープンし、
旧施設は東北大学に返却
現在は建て替えられ新しい研究所になります

閉館した水族館は
昭和61年取り壊されましたが
地元浅虫では多くの町民が
別れの会を開き感謝の想いを込めたそうです。

遊園地は確かキディランドと言って
ジェットコースターに初めて乗りカーブあたりに赤い鳥居がありそれが迫って来た思い出があります。
陸奥湾を一望でき天気のいい日は下北半島まで見渡せる観覧車や
ゴーカートに乗ったりした記憶があります。

アスレチックも林の方にあったように思います

海の方には、斜面を利用したヘルスセンターがあり
絶景の陸奥湾を眺めてお風呂に入ったり、大広間で催しものがあったりしたものです。

入り口から入ったあたりにお土産のコーナーがあって
子供の頃めを輝かせて玩具を物色したものです。

忘れられないのが、ヘルスセンターのラーメン
このラーメンがとても美味しかったです。
幼ない頃に食べた味わいはどこか膨らんでいくのがおかしく思いますが、求めてももう味わうことが出来ない味を今も探してみたりもします。

いつしかキディーランドも閉園
ワンダーランドと名前も変わり閉園して
もうかれこれ20年近くなるのdしょうか

多くの思い出の残る浅虫

懐かしい家族との思い出の写真をたまに眺めています。




参考資料/新青森市史
参考サイト
https://www.toonippo.co.jp/photo_studio/110mountains/aomori/moya/index.html

街グルメ青森
記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)

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