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「雲谷のお話」 〜萱野高原の茶屋の長生きのお茶を考えた人


八甲田山の手前にあって
青森市街地からよく見える三角形の山。

雲谷

雲谷の起源は

1631年
川越源右衛門さんが弘前藩に任されて

関白をはじめ、有力諸大名への献上品などなどの
馬を育てる牧場として利用された場所

ちなみに、この他にも弘前藩の
優良な馬を産出していたところが
津軽五牧と言って

津軽坂(鶴ヶ坂)、滝の沢・入内・枯木平・雲谷

この五箇所に弘前藩の牧場があったそうです

馬は弘前藩外交において重要な役割を果たしていたそうです。

なので戦前まで雲谷地区は
農家の馬の放牧地として利用されてきました。

今でこそ
青森市民が気軽に訪れることができるスキー場雲谷ですが

はじめは牧場だったのです。

スキーですが

青森市民がスキーをするとしたら

浅虫が“市民スキー場”だったそうです。

浅虫スキー場建設は昭和3年ごろのこと

浅虫温泉を南津軽の大鰐スキー場のようにしようと
スキークラブ、営林局の林友クラブに調査依頼を行い

三か所のスロープ、ジャンプ台を持つスキー場が完成
眼下に海を見下ろしながらスキーができると当時は話題になったそうです。

その後、
青森市浅虫が“市民スキー場”として利用されていましたが、
スキー人気も出てきて狭めに感じられるようになって
場所を戸山に移したそうです。

一方、雲谷はというと
1934(昭和9)には当時の大実業家で
青森商業銀行(現みちのく銀行)頭取など務める
大坂金助さんが
プライベートでヒュツテを建て
スキーを楽しんだと記録にあるのみで
いまのように市民がスキーをする場所ではありませんでした

地元の人や、
一部の人がスキーをたまにすることはありましたが
青森市民がスキーを楽しむ場所ではなかったんです

そんな雲谷に 
運動具店イシダスポーツ社長が
仲間の協力を得
ロープトウを設置、
雲谷スキー場がオープンしたのが1959年12月です

本来、行政がやるべきような事を
私財を投げ打って
個人の力が原動力となって出来た
当時を振り返って石田社長が振り返って話す
古い記事を見つけました。

それが雲谷スキー場なんだそうです。
うそみたいな本当の話です

その後、雲谷スキー場は
青森市からも近いことももちろんあって
スカイランドなどの施設も来
娯楽の場と定着して行きます



1969年11月雲谷スカイランドホテルが開業、翌年の4月にパノラマタワーや
ジェットコースターがオープン
青森でも珍しいジェットコースターなどを楽しむ為、多くの市民が訪れましたが約30年前に廃業しました。

記憶が曖昧ですが、施設のトラブルで消防のレスキュー隊も出動したこともありました。
子供心になぜかきしむジェットコースターの音が怖かった記憶がありますが、今思い返すと妙に懐かしいです。
現在は遊園地は無くなってしまいました

スキー場も
駐車場が狭いうえ、
施設が時代に対応できなくなったことなどの声が強まり
1998年4月、通年観光を目指したモヤヒルズとして衣替えし、全面開業しました

この雲谷から
十和田湖方面へ進むと萱野高原の茶屋も市民の憩い場です

ここのお茶は飲むと長生きするといわれてますが

このお茶の起源は

雲谷牧場を作った川越源右衛門が

雲谷の牧場で働かせている牧夫の健康維持のため、

畑で採れた雑穀と山で採れたきのこ等を配合し、焙じて飲ませたのが起源とされてるそうです。




雲谷スキー場の記事参照は以下から行いました
https://www.toonippo.co.jp/photo_studio/110mountains/aomori/moya/index.html

参考文献〉青森市史第十巻社寺編  保食神社境内由緒書

街グルメ青森
記事編集/鈴木勇(サイゴン、わやわや店主)

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