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「沖館の農民と安田村の農民が一本松で決闘した/万太郎堰」


青森市の金沢地区の西
かつては田んぼが連なるその中に
一本松が凛と立っていました。

その脇を流れているのが万太郎堰(まんたろうぜき)。

堰沿いを辿って南に向かう通りは
昔の浪館道(旧浪館道)でした。

萬太郎堰の本流は、
青森市の大野の境から沖館、
篠田をとおり陸奥湾に流れます。

その川は、遠い昔、寛政の頃
沖館地区に住み着いた大阪城の落人
浅利萬太郎が田に水を引く為上流から流れを引っ張り作ったものだそうです。

沖館の田んぼは時に干あがるので
食べるものもなくなるありさまで
水を確保しようと水路を作ったのです。

これに対し上流に住む安田村の者達は不服を唱えました。

そして上流の安田村と浪館の農民同志が水争いで戦うことになったそうです。

多い時には250人程の農民が
それぞれ農具を持って争い死傷者も出たそうです

ちょうどぶつかりあったとされる場所が
一本松のあたりなのだそうです。

人はその戦いを
一本松の決闘と呼びました

沖館の農民と安田村の戦いは
時代をまたぎ
昭和まで続いたようで
東京高裁までいくこととなり
結果は安田村に軍配が上がったようです。

ちなみに、今の沖館地区辺りは
万太郎堰を作った
浅利萬太郎が庄屋だったそうです。

そして、沖館から油川方面に
向かうとある
新田地区は
浅利萬太郎の子孫の方々が
荒地を開墾したのだそうで

今もかつての万太郎の名を残した万太郎堰から沖館川に脈々と水が流れています

一時は川に魚も住めないくらいに
汚れた時期もありましたが

沖館川の水質を戻そうと
近隣の学校の生徒さんが近年
クリーン作戦を行い
多少水質も綺麗になってきたようですが
たまに、思いもよらないものが
川に浮かんでいて驚かされます。

故郷の自然は大事にしたいものです。


記事編集者/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)

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