エネルギーは保存せず14

人生の意味、というのは当然財浄のような、冷めた人間すらも、一度は己に問うてみた事があるものだった。人生の意味について、熱く語るのが大学生だと思っていたけど、現実は財浄にはそんな機会は一度も無く、そのまま就職してしまえば、回りにいる大人は、そんなテーマからあえて、遠ざかる事自体が会社で働く目的なんじゃないか、と思えるぐらい、哲学少年の議論のようなものが敬遠される空気があった。

「あなたがいなくなっても会社の周りの人が困らないように考えて行動する事。それが社会人ってものよ」

会社に入って、机が散らかって、回りから顰蹙を買っていた財浄に、契約社員として長く務めていた昔はさぞかし綺麗だったろう、お局様気味な綾子さんは、ピシッと言った。

そんなふうにして始まった社会人生活は、たしかに何か変だった。だんだんわかってきた。「死」が無い事になっている。会社はつぶれない事になっている。永久に。

しかし実際にはこの東京という街は、毎日店がつぶれ、通勤電車で人が自殺をしている。

そういうのが目の前にあるのに、無いことになっている。これを体に染み込ませる事だけで、大体最初の1年は終わり、その頃には多少仕事ができるようになってきたな、とか言われる代償としては、何かあまりにも大きなものを忘却する。

俺は何のために生まれてきたのか。

そんな事、若者でも、今どき言ってたら、

「なにあいつ、きもい」

とか言われる事を皆理解している。しかし、鍛冶さんのように、50歳過ぎても当然その問いかけに進展は無いのが普通なはずだ。誰も、そこについて語らないだけで、全く思春期の頃に思った事から進歩が無い。

財浄は、夜の川沿いの道、たまに橋を渡ったりしながら、バイクでブルートゥースのイヤホンで音楽を聴くのが好きだった。この日は、のん、と名乗る女優さんがキリンジのエイリアンズという曲をカバーしているのを偶々ユーチューブでひろったものが何となく気に入り、ずっとリピートしながら帰り道、気持ちよく遠回りしていた。

そうさ僕らはエイリアン・・か。

俺は昔の事をいつからか、積極的に忘れるようにして生きているな、と思って、試しに昔の事を順番に思い出していった。

高校時代、中学、小学、幼稚園の頃、テトリスのブロックがランダムに抽出されて無作為に落ちてくるように、なんの脈絡もない思い出が次から次へと思い出され、しかし、断片的なイメージ、後付のようなストーリー、どれも本当にそんな事があったのだろうか、と疑うような記憶のブロック。

そうだ、幼稚園の頃だろうか、それよりも前なのだろうか。いつも同じようなイメージを持っていた。今思えばあれは星で、星が一杯整列していて。

なにか、願いを叶えたいような願望が、あんな小さい時からあって、その願いの内容によって、俺は星の中から、その願いを叶えるのに適したものを選び指名する。星は指名されて喜ぶように活発になり、宇宙へそのまま駆けていく。なんで、あんなイメージを持っていたのだろう。テレビかなにかの影響だったんだろうか。

ああ、意外と今でもそのイメージ自体は覚えているものなんだなぁ。

財浄は、雨上がりの涼し気な気持ちいい風を受けながら、目で見えているホーチミンの夜景と、また別の自分のイメージを同居させて少しテンションを高めながら走っていた。

ああ、ああいう色してたんだよなー。薄紫の星、腐った水色みたいな星、蛍光色の緑のもあったあった。あの頃、なにを俺はこの星たちにお願いしてたんだろう。そんな願望があった、という事自体が信じがたい。

そうこうして星の行列を懐かしんで、この半分トランス状態となった頭をそろそろ切り替え、我に帰ろうと思ったホンのゼロゼロコンマ1秒ぐらい、星の行列に、見たことのない、いや、俺の記憶にはあるはずのないものがいた。

なにかは、すぐ分かった。

猫だった。

猫がなんでいるんだ。

なんで俺の幼少期の星の羅列に、猫はいなかったはずだ。

星サイズの猫が、星の行列に混じって、だらけて座っていた。

西洋の猫というのを実際に見たことは無いが、おそらく日本でよく見るような猫ではなく、買うと高そうな毛の長い、異様に太った猫がいた。