ひらがなだけのぶんしょう
ぶんしょうをかいているなかで、すこしかんがえたことをためします。もし、ぶんしょうが、すべて、ひらがなだけで、かかれていたとしたら。
あるいみ、これは、にほんごにたいする、ちょうせんです。
じつは、いぜんに、だれかの、ぶろぐで、こんなことがあった。
ちょうせんご、はんぐるには、にほんごでいうところの、ひらがなやかたかなの、くべつがないそうだ。
ひらがなが、ずっとならんでいるようなものだ。
それをきいて、ぼくは、すべてひらがなで、ぶんしょうを、かいてみると、どんなことになるのかな、とおもった。
たぶん、ぼくと、ねんれいが、ちかいひとは、そんなに、ていこうかんが、ないかもしれない。
ぽけもん、という、げーむがあったからだ。
ひらがなが、ならんでいるだけのぶんしょうに、なれているかもしれない。
まぁ、よくよく、ぐーぐるで、がぞうけんさくをしてみると、ぼけもんは、かたかなとひらがなのせかいだった。
こんどは、そういうのもためしてみるかな。
いずれにしても、このぶんしょう、よみにくさはある。
てきどに、かんじとかたかなはひつようだ。
たぶん、いまのじだい、にほんごにおいて、かたかなのりょうがふえているとおもう。
こんぴゅーたーやあいてぃのことばが、どんどんふえているからだ。
かんじがつかわれてことは、だんだんとへっていくだろう。
あと、わたしは、よそうしていることがある。
にほんへやってきた、がいこくじんたちが、にほんでながくすむようになると、かんじをつかうことが、もっともっと、へるだろう。
そうやって、にほんごのぶんかが、すこしずつかわっていくだろう。それにたいして、さみしさはあるけど、かわっていくことへの、こうきしんもある。
ぎゃくに、ひゃくねんくらいまえは、かんじばかりだったのだから。
そういう、にほんごにたいするちょうせんも、わたしのなかでは、ひとつのてーまです。
それでは
さいかちひろ
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