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佐伯藩、春の渡御行列。

佐伯の春、年に一度の「渡御行列」がある。

臼坪・五所明神社

いわゆる「神幸祭」といわれるもの。

では、神幸祭とは何でしょう??

神幸祭は、神社の祭礼のひとつ。
一般的には、「神霊の宿ったご神体を神輿(みこし)に移して、地域を練り歩き、御旅所に渡御すること」をいいます。

ちなみに、往復の往路を「神幸祭」。帰りの復路は「還幸祭」といいます。

つまり、往路復路のそれぞれが祭礼であります。そのため、多くの場合で2日間に渡って行われるのが、この神幸祭であり、還幸祭でもあります。(この日は、初日の神幸祭です。)

さて、この佐伯市において、まちなかで実施される神幸祭・渡御行列は、どちらのお宮のものかといいますと・・・、それは「五所明神社」の祭礼であります。

内町
船頭町

五所明神社は一の宮の位にある、かつての佐伯藩の総鎮守の神で、佐伯市の広範囲に氏子崇敬者を持つお宮であります。シンプルに言い換えれば、佐伯藩全体のトップに位置する神社である、ということです。

中村
船頭町
船頭町

五所明神社の創立は、806年
佐伯周辺では最も古いお宮でもあります。なんと平安時代からですね。

神輿
中村
内町
神輿

お宮の名前は、加茂・春日・稲荷・住吉・梅之宮の5神社の分霊をお迎えしたことから、「五所明神社」と称するようになったという。

ちなみに、佐伯藩の藩主・毛利家のご先祖を祀る「毛利神社」。(もとは城山の山頂の佐伯城跡にあった神社ですが、)じつは「五所明神社に合祀」されています。言われてみれば、毛利家の矢筈の家紋が、神社の境内のあちこちにありますね。

渡御行列の先頭
毛槍
猿田彦
稚児

五所明神社の祭典は、年に3回。
4月5日頃の春祭(神幸祭)、7月15日の夏祭、12月15日の冬祭(綱切神楽・湯立神楽)となっています。

佐伯市の春を彩るイベント「さいき春まつり(さいき桜まつり)」の起源は、この五所明神社の春季例祭「神幸祭」でもあります。

神輿・臼坪
神職

さてさて、みなさんの「疑問」を引っ張ったままで失礼しております。どこに向かっているのか?についてです。

神輿

神社から御旅所に向かう「渡御行列」でありますが、その御旅所とは・・・

船頭町にある「住吉神社」になります。

中村

住吉神社には、三ノ丸御殿があります。
かつての藩政の中心であった建物で、佐伯城三ノ丸から住吉神社に移築され、今では「住吉御殿」と呼ばれています。

藩主・毛利公が祀られる「五所明神社」から、その神輿は行列を率いて、かつて毛利家が築いた「三ノ丸御殿」へと向かうという構図となっています。なんとも感慨深いです。

内町

行列は進みます。
多くの渡御行列では「主体である神輿(神様)」の前方には、露払いで「行列の先導役」がつきます。御幣・笠鉾・獅子・幟・太鼓などです。

そして、神輿の後方からは、山車が追いかけます。これがじつににぎやかです。

船頭町

そんな渡御行列ですが、1702年2月のこと。
佐伯藩においては、藩主より「ある通達」がありました・・・

それは・・・、「練りもの行列を出されよ」
というもの。

当初はシンプルなものだったのでしょうか。あるいは、江戸の時代に入り、平穏の時代、文化が花開いてきた時期に、藩主が号令をかけたということでしょうか。

この指示によって、臼坪・中村・内町・船頭町に山車が作られたということです。かつての山車はどんなものだったのでしょうね。

渡御行列の先頭
神輿・臼坪

山車ごとに、その意匠や威勢を競い合ったりしたのでしょうか。

神輿
中村

ところで、「練りもの」に対する藩主の想いは、どんなものだと思いますか?どんなことを期待して、指示を出したのでしょう・・・。

内町
船頭町

いよいよ、渡御行列も大詰めです。大手前を通過して参りました。当日の写真はここまでです。この先はぜひ、みなさんに直接現場でご覧いただきたいです。

住吉神社

さあ、こちらが御旅所・住吉神社。渡御行列のゴールです。こちらで神事を行い、翌日には還幸祭として、五所明神社に戻っていきます。

住吉御殿

時代は違えど、五所明神社の「練りもの行列」は続いています。


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