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さて、「バベルの図書館」という短編小説についてご存知でしょうか? それはアルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの代表作、『伝奇集』の中に収められた一編です。 題名の通りバベルの図書館と呼ばれるその不思議な空間が舞台となるのですが、そこは大量の本で敷き詰められた幾つもの書庫から成り立っており、一つ一つの書庫は上下と前後に果てしなく繋がっているのだと言います。換気口を中心に円形に配置された書庫は、その一直線上に無限の広がりを持ち、またその上下方向に同様の書庫が無限に連なっ

    • #0010

      2000年代以降を代表する映画人と言えば、サフディー兄弟にジョーダン・ピール、セリーヌ・シアマなどがいると思うのですが、彼らに合わせてウェス・アンダーソンの名前を挙げることも可能でしょう。 印象的なビジュアルとウィットに富んだ台詞回しで世界中にファンの多い映画作家であり、特にその名を世界に知らしめた『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』が2001年発表だということも相まって21世紀の映画人として特に強く意識されることと思います。 しかしながらそれは必ずしも良い意味に於いてばかりで

      • #0009

        イギリス映画のアイデンティティーというものを考えた時に、大きく分けて1)ハイ・カルチャー、2)リアリズム、3)ラディカル、という3つのカテゴリーから考えることが出来るのではないかと思います。 ハイ・カルチャーとは文字通りハイ・ソサエティ(上流階級)の人々が生み出したカルチャーのことで、コスチューム・ドラマであったり、『ラブ・アクチュアリー』(2003)のようなコメディ、007フランチャイズなどジャンル的には多岐に渡るかと思いますが、共通してポッシュな英語を話し(実際のイギリ

        • #0008

          60年代というのは映画史を考える上で(映画史だけに留まらず広くカルチャー全般に関して言えることかも知れませんが)、本当に面白い年代だという風に思います。 フランスではヌーヴェル・ヴァーグが吹き荒れ、1968年カンヌ国際映画祭粉砕事件に至るまで政治運動が盛り上がっていきます。東欧各国や南米でもこうした動きと呼応して民主化を後押しするような映画作品が作られていくでしょう。 アメリカでも政治運動とカウンター・カルチャーは盛り上がりを見せ、ハリウッドに関しては表現の規制緩和が進むと

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          #0007

          カウンター・カルチャー、これを社会の中に於いて大勢を占める集団とは大きく異なった観念に基づき行動を起こしたり作品を発表したりする、反体制的/革新的な文化運動の総体である、という風に定義しましょう。 この定義に鑑みれば60年代のイギリスで吹き荒れていたのは正しくカウンター・カルチャーに他なりません。それは「スウィンギング・シクスティーズ」という名前で呼ばれていましたが、その実態はロンドンのハイ・ソサエティに集中したヴィクトリア朝的なクラシックなイギリス文化から無階級的な文化へ

          #0006

          仮に世界最初の映画が『工場の出口』(1895)だとするならば、2024年の今日、映画はその歴史から1世紀と29年という年月を持っているということになり、その期間の間には当然数多くの流行と、そしてその没落がありました。 今回注目するのはその中でもバイカーズ・カルチャーについてであり、1981年公開の『ラブレス』について観察することで如何に映画というカルチャーが時代的な影響を強く受けているのか、そして時代性をそれ自体が保持しているのか、という点について考えていきたいと思います。

          #0005

          マルセイユ事件について聞いたことはあるでしょうか。 時は1772年6月のこと、主役となるのはかの有名なマルキ・ド・サド侯爵です。下働きを連れた侯爵は4人の娼婦を囲い込み、下男を交えて倒錯的な性行為に耽りました。曰く娼婦を激しく鞭打ったり、或いは娼婦に自身を鞭打たせたりするなど。曰くアナル・セックスを強要するなど。曰く刺激性の媚薬を娼婦に飲むことを強要するなど。その行為の苛烈さ故というのも勿論のことながら、特に飲まされた媚薬を毒薬だと勘違いしたことが決め手となって娼婦は後日警官

          #0004

          映画史を語る上で60年代とは最も重要な年代の1つと言って間違いないだろうと思われます。それは混沌の時代であり、変革の時代であり、そして復活の時代でもありました。 特にハリウッドという界隈に限って考えてみると『クレオパトラ』(1963)の記録的な大失敗に見られるように従来のスタジオ・システムが破綻していることが目に見えた、「終わりの時代」であると共に屡々”Hollywood Renaissance" とも呼ばれる「再興の時代」でもあったのでした。 そんな時代を象徴する映画とし

          #0003

          映画批評の中で、何だかよく分からない表現に出会ったとき「あの映画は実験的だった」とか「あの映画は前衛的な表現をしていた」とかいう言い方がされることがあるかと思います。映画に限らず音楽や舞台でも似たように言うことがあるでしょう。 それではこの実験的/前衛的という言葉に関して、両者の間にどのような違いがあるのか、ないのか、考えてみたことはあるでしょうか? 結論から言えば映画の中で両者の間にほとんど違いはなく、「小さなスケールで製作された非商業的で、多くは非物語的な映画」というく

          #0002

          Barbara Rubin(バーバラ・ルービン)という女性がおりました。おりました、というのは既にその生涯を終えてしまっているからこう書いているのですが、彼女の短い人生と、その中でも特に短い映画界での活動は今では思いだしたように語られるばかりとなっています。 しかしながら彼女は1960年代のNYアンダーグラウンド/アヴァンギャルド映画、否、映画という枠組みを超えてカルチャー全般に於いて非常な影響力を持っていた女性であり、混沌を極めたシーンの、その全ての混沌を一身に引き受けてで

          #0001

          スープ缶とドル札、エルヴィスにマリリン、音楽と映画、銀髪と眼鏡。 自分の身の回りを悉く「自分色」に染め上げて行ったアンディ・ウォーホルというアーティストはあまりにも強烈な印象を周囲に残し、何だか空っぽなのに尊大だという、つまりはアンディ・ウォーホルだとしか表現出来ない不思議な偶像をその生涯で作り上げてみせました。 そのレガシーは凄まじく、現代でも最も人気のあるアーティストの1人でありその作品は高値でやり取りされ、世界中のどこかで常に回顧展が開かれる。ファッションの一部として