始めの一歩。

こんばんわ。夏の暑さ異常ですね。心が折れます。こんな気候じゃなかった。日本が日本じゃなくなっている。そして世界中で起きている自然現象。日本だけの問題じゃないなって色々な危機感を感じますね。

母の力強い初めの一歩の勇気をもらいました。

先日、数か月間音信不通だった母と仲直りをしました。それも些細なきっかけ。市役所へパスポートの更新へ行った時、本籍地の記載が必要だったんです。本籍地を知らない私は母親に確認する必要があった。「うわ。母に電話か。嫌やな。会いたくないな。」と思っていました。仕方がないから電話しようと、後ろへ振り返った時、母親が立っていました。笑。「私はギャー。このストーカー。」と大きな声を出してしまい、母も私の顔を見るなり、顔を隠して逃げていました。(どんな親子やねん。爆笑。)

その時は本籍地だけ母親に確認し、ふてぶてしい態度になってしまいました。しかしのちに色々考えていると、会うタイミングに意味ってあるよな、いつまで親に反抗的な態度をしているんだろう。いい加減普通に戻らないといけないよな。と思ったタイミングにもなりました。その時にタイミングよく母と会う機会があり、落ち着いて母親と話すことができました。

母親自身、無我夢中で32年間子育てをし、家族を守ってきた。母にとっては子育てをすることが人生の軸で、生きがいだった。しかし色々な父親の裏切りなどもあり精神的に崩壊してしまったこと、家族がどんどんバラバラになり、自分自身の思っていた理想が違ったこと、今まであり得ない程修羅場を抜けてきて、人に恨まれるようなことはしていないのになぜそういう結果になるのか母自身も分からなかったとうつ病になっていました。それが私への依存になりどうしていいか分からずいました。「本気で死ぬつもりでいた。毎日、ここに首つったらすぐ死ねる。だけど私が死んだらだれが悲しむだろう、迷惑になるだろう。そんなことを考えて死ぬことに迷っていた。」という話などもしました。

だけど母も落ちるところまで落ちた時、自分自身がどう人生をやっていけばいいのか、どう抜けていけばいいのか、自分自身の依存と執着を徐々に手放し、自分自身の足で人生を歩んでいかない、一人で抱え込まず人に甘えてもいいんだと思えたそうです。

私自身もこれまでの人生。どんな相談も全て、母親でした。何かあれば母親に相談し助けを求めていました。友人に相談することはほとんどなかったかもしれません。私自身も母に依存し、互いが依存していた共依存であったように思います。

母は元々心強い人です。私は何か心が折れている時はいつも、たたき上げてくれるそんな人でした。だからこそ、人に甘えず、色んな責任重いことを一人で全て抱え込み、30年突っ走ってきたんだと思います。年齢と共にホルモンのバランスも乱れ、若さでカバーしていたことがきっと、色々な悪いことが重なってキャパオーバーになった、抱えきれないことをやり通して、抱えきれなくなったんだろうなと思います。

母親自身今までは色んな挑戦を諦めていました。私には社会人経験がないから、私には何の才能がないからと。だけどそんな母も、そんなことを言っていたら何も始まらない。一歩ずつ、私に頼ることなく自分自身で色々と今までしたことがないことにも挑戦することを歩み出しています。

私は母親とは違いバリバリのキャリアウーマン。子育てに没頭し、子育てに人生をついやしてきた母には尊敬しかありません。私にはできない選択だから。子育てという人生の軸がなくなりどう生きていいか分からなくなっていた母。時間はかかったけど、ようやく第2の人生を歩み始めている今。

始めの一歩を踏み出すことは怖い。人生の何かのお知らせできっと大きな出来事が起きる。そんなことを気づくきっかけだったのかもしれない。うつ病を発症し落ちるところまでおち、だけどその一歩を踏み出すことは何よりも大切。どの人生、どの段階になっても苦労は絶えない。ちゃんと乗り越え一歩を踏み出す。そういうことって何よりも大切で偉大な事だなって思います。

ここまで苦労を乗り越えてきた母。もう人生は楽しいことしかないんだろうな。と母の姿を見ていて思います。そして、私たちのためではなく、自分の人生を母には楽しんでほしい。だからこそその恩返しができるそんな私自陣でありたいな。そう思っています。

素敵な週末をお過ごしください。