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佐藤さとるさんと有川浩さんとコロボックル物語

本文は2016年にFacebookに記した本との思い出です。

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 佐藤さとるさんの本との出会いは、昭和48年(1973)。
 有川浩さんの本との出会いは平成25年(2013)だ。
 お二人の感性は似ているなと感じていた。有川さんがコロボックルのその後を書くと知ったのが平成28年(2016)。そのとき下の思い出をFacebookに書き留めた。
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 佐藤さとるさんの「コロボックル物語」に出会ったのは、1973年に陸上自衛隊航空学校宇都宮分校を卒業し晴れてウイングマークを胸に、初めての飛行部隊の八尾に赴任した20歳代前半のことだった。サンテクジュペリより好きになってしまった。胸はときめき素晴らしい童話との出会いに感謝した。
 佐藤さとるさんの本は、八尾の志紀駅近くの細い通りの小さな書店、志紀書房での出会いだった。志紀書房は、長身で、でも瘦身の初老の店主と、明るいでも落ち着いた奥さんと二人交代でまもっておられた。店主はいつも老眼鏡をかけて本を読みながらレジに座っていた。

 本との出会いも人との出会いと同じものを感じるのだが、縁だと想う。本に見つけられたと感ずることもある。村上勉さんの挿絵にも魅せられた。ともかく直ぐに、すぐにというのは本を見つけたその書店の中と云うことだが、で引き込まれてしまい佐藤さとるさんの本を、その場であるだけ全種類購入したものだ。いまなら大人買いと云うのだろう。
 その後その書店で未読の佐藤さとるさんの本は全巻注文した。物語には背高さんと子供たちからあだ名をつけられた青年が登場するのだが、彼の感性や知恵に基づく行動が眩しくて、背高君のような感性や感動を自分も持ちたいと、そしてそんな感性を年をとっても持ち続けたいと憧れた。

 そんなこともあり親しくなった書店主は、僕の顔を見ながら私にとって初めてのジャンルの本をいろいろ教えてくれた。給料日には本屋に行けとは私が初めて仕えた飛行隊長の指導方針でもあった。昭和40年代後半の物価で月に1万円は本代に使っていた。本の置き場に苦労した。引っ越しはもっと苦労したし、本の処分は愛犬愛猫との別れのような気分にもなった。

 自衛隊を定年退官し再就職先の島根県防災航空隊の単身勤務を終え岐阜に戻ったとき、妻が有川浩さんの「阪急電車」面白かったよと一冊の本を差し出した。娘も息子もすでに彼女のファンで家には彼女の本が何冊かあった。彼女の感性は佐藤さとるさんかなと感じ、彼女の本もわくわくして読んだ。そうしたら彼女、有川浩さんは佐藤さとるさんの「コロボックル物語」を受け継いだと云うではないか。

 そうそう素敵な家族と出会いその家に招かれたときなど、その子供さんへのプレゼントにコロボックル物語の全集を抱えていったことが何度かありました。下のリンクの、有川さんの記事を読んで、ぼくも少しは彼女の想いを応援できたのかなと。
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2016年03月06日(日) 有川浩 エンタメの未来が危ない!
作家・有川浩が決意の緊急提言「新刊本を買う意味」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47847

⇧でも最近は電子図書も利用しています(汗)⇩

「武漢熱騒動と電子図書」はここ

ピアノ練習曲ブルグミュラーと
有川浩「だれも知らない(知ってる)小さな国」の読後文はここ


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