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3話 東日本大震災に駆け付けたヘリパイロットの隔靴掻痒記 3.11とその前後


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 発災の二日目、3月12日15時42分花巻空港に着陸した。写真は西側エプロンの駐機場へタクシーバック中をキャビンクルーが撮ったもの。正面は北で左右に写る山はそれぞれ南北に連なる。奥羽街道を「中通り」と云うのはこの意味だ。他の防災機も三々五々集結している。近傍から駆け付けたヘリは既に任務から帰投しているのもあるようだ。下の写真は燃料補給を終えたその日の16時20分。日没は17時38分。海岸線まで30分弱を要するから、もうこの日の任務は無理だろう。

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 大規模災害にあって、このように全国の防災ヘリコプターが集結し、そこを拠点として活動する場所のことを、ヘリベースと云う。そのヘリベースの指揮所に向かう。大規模災害時にはこのように全国から派遣された緊急消防援助隊航空部隊は、それを受けた都道府県知事が統括運用することになる。
 その知事の下に災害対策本部が設置され、その中に航空運用調整を行う部門があり、その統制を受け当該都道府県の防災航空隊長がヘリベースで指揮をとることになっている。
 そのヘリベースの指揮所(県の防災航空隊事務所)に出向いた。ヘリベース指揮者からは、
①今日はゆっくり休んで明日からの活動に備えること。
②明日は07時からのブリーフィングに間に合うよう出てくること。
を、伝えられた。

 えっ、明日の日の出は05時48分なのに07時からブリーフィング。なにごとかと思いはしたが、そうか既に入っている機体が未明からの任務に就くのだろう。そこまで私たちに気を使う必要はないのに。と思いつつも、岩手県の沿岸線は陸前高田から角の浜まで180kmもある、明日の活動空域について質問をしたら、まだ何も決まっていません。明日までまってくださいと返された。

 近傍の体育館を準備しているので使われるならどうぞ、と云うことで山登りザックに放り込んできた宿泊セットを背負い、クルーみなでぞろぞろと徒歩移動。後発の航空支援車はここまでの道を通行できるのだろうか。車が着かねば不便なことではある。消防防災組織では衣食と寝床は自前が原則なのだが、体育館ではお握りや水、暖房用のストーブなどは準備していてくれた。ありがとう。

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 余震は頻繁で何度も携帯電話のアラームが鳴り、その直後に大きな揺れがくる。体育館が不気味にぐらぐらゆれる。ストーブの火はあるけれど大きな空間だ。寝袋の背中の床の冷たさ。入眠を努力する。

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発災から3日目、さあ飛ぶぞ、えっ!

 発災から3日目の早朝、先ず駐機場に向かう。機体に雪が被っていたら飛行準備に時間を要するから。幸い一部の凍結のみで飛行前点検に余分な時間はかからなかったが、唖然としたのは、こんなに天気がいいのにまだ全機がエプロンに駐機してあることだ。未明の任務がなかったのだ。なんだこれは。地震ではなく地面が揺れる思いがした。 

 07時00分定刻に「全体」ブリーフィングが始まった。なに、やっぱり全機がまだ飛んでなかったのだ。気象の現況と予報について説明の後、突然個別の機体ごとの任務を付与された。いやに具体的な任務だ。ヘリによる偵察や、災害対応全体を取り仕切るべき要員による偵察や現地調整の任務もないようだ。いらいらしながらともかく任務を付与されたので、それは飛ばなくてはならない。

 私たちの任務は釜石行きだった。中学校のグランドに負傷者を集める?負傷者がいる?から近傍の医療機関まで運べと云うのだ。

発災3日目の第1任務

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 釜石は花巻空港から70km東の海岸線だ。
 ここの高台にある中学校に負傷者がいるらしい。経路間中央には4000ft級の南北に走る山地が、花巻の奥州街道中通りと被災地の浜通りを隔てている。季節風は吹き荒れ、峠やそれに連なる凹地はベンチュリー効果で30m/秒の西風が機体を下降気流に巻き込こんでくる。
 東北の浜通りの冬はいつもこんな環境で、この空域を低空で活動する空中勤務者を翻弄する。でもそんな悪気流はやせ我慢すればよいのだが、やせ我慢もできない問題がる。それは花巻に戻るとき、その強い西風に向かって飛行しなければならないことだ。

 航空機は相対流に対して飛んでいる。ヘリコプターの速度は60m/秒くらいだが、気流が悪い時には50m/秒程まで減速する。30m/秒の風が向かってくる環境で、そのヘリは対地速度30m/秒、減速しているなら20m/秒でしか前進できない。普段の倍以上の飛行時間が必要であるということになる。おまけに雪雲はいつ峠を閉ざしてしまうかの心配がいつもつきまとう。であれば現場のクルーの判断はどうなるか。必要十分以上の予備燃料を設定するだろう。それは任務機会を減ずるものなのだ。

 花巻の出発前に無線中継兼務の天候偵察機を峠の上に在空させてくれと要求したが、即座に却下された。こんなに使うことのできるヘリコプターが所在し、任務配当されない機体もあるのに、なぜ中継機を上げられないのか。それはおかしいとだけ告げて、議論の余裕もなく飛行準備に入ろうとして、また吃驚。航空局に提出するフライトプランは自前で処置しろとのこと。眩暈がした。しかたなく携帯電話で島根県の防災航空隊に電話して、そこの運航管理者に処理してもらった。原隊が派遣したヘリコプターの状況を把握するには便利だが、電話通じない、通じにくい環境ならどうするの。そもそも航空局にアクセスできなければ飛ばさないの?あくまで平時の取り決めでことが運ばれてゆく。

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https://note.com/saintex/n/n848c8bb9ab3c

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