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【既刊紹介】『ベルリン 分断された都市』

 スティーブン・スピルバーグの2016年の映画『ブリッジ・オブ・スパイ』に西ベルリンに住む留学生が東ベルリンに住む恩師のもとへ自転車で気軽に訪れるシーンがある。彼は東西ベルリンに壁が作られていることを恩師に伝え西側へ逃げるよう提案するが、恩師の家にいる間に東西の往来が完全に閉ざされ、彼もまた西ベルリンに戻ることができずにスパイ容疑で逮捕されてしまう。

 また2019年のドイツ映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』(原作本『沈黙する教室』 アルファベータブックスより刊行中)では壁の建設以前の東ベルリンを舞台に、西ベルリンの映画館で「ハンガリー動乱」のニュースを見た学生たちが犠牲となったハンガリー市民への黙祷を授業中にしたことで大問題へと発展する。

 この映画二作の舞台であるベルリン市は、第二次世界大戦後に東西に分断されたドイツにあってソ連が占領し、後に社会主義国家として建国したドイツ民主共和国(東ドイツ)領内にある都市だ。ベルリン市も戦後にアメリカ、イギリス、フランス、ソ連に分割占領されたが、1949年にドイツ民主共和国が成立しその首都となった。しかしベルリン市の西側は米英仏が占領を続けたために東ドイツは「ベルリンの壁」を建設。ベルリン市もまた東西に分断された。

 この二作の映画を見た時に真っ先に思い浮かべた本がある。
 ズザンネ・ブッデンベルクとトーマス・ヘンゼラーが東ドイツ時代を取材し、分断統治下のベルリン市に住む五人の市民と家族を描いたコミック『ベルリン 分断された都市』だ。

 第1話は西ベルリンの高校に通っていた東ベルリンに住む女性レギーナ・ツィーヴィッツの体験。卒業を間近に控えた彼女はこの年に西ベルリンへの往来が封鎖されたために卒業が危ぶまれた。大学進学も決まっていた彼女は将来さえも分断によって断たれようとしていたが、学校の先生たちの協力により身分証と服装を変えて西側の人間だと偽り西ベルリンへと脱出する。
 東ドイツの授業では“体制側の意見の復唱”を求められるが、西側の授業では“多様な物事に対して、個人としての意見を表明する必要”があったという。
先に述べた映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』にもやはり体制側に好ましい発言、態度を求められるシーンがあり、教育という現場に体制が深く関わっている当時の東ドイツを窺い知ることができる。
第2話ではベルリンの壁に面した西ベルリンのラツァルス病院で配膳を担当するウルズラ・マルヒョーの証言をもとにした話で、まだ建設されたばかりの壁は道路に沿って作られていたために東ベルリン側の建物から飛び降りて西ベルリンへと脱出する人が多かった(後に壁周辺の建物も撤去され壁自体に近づけなくなる)。そのためラツァルス病院には逃げていきた東ドイツの人々が骨折などの怪我で運び込まれることが多かったという。なかでも塀の上を歩いて脱出しようとした男性が国境警備の兵士から警告を受けるも止まらずに撃たれて殺されたエピソードは恐ろしい。
そのほか、第3話では東ベルリンの合同庁舎から用意周到にワイヤーと滑車で西側へと脱出した家族三人の話。第4話にはベルリン750年祭としてデヴィッド・ボウイやジェネシス、ポール・ヤングが参加したロックコンサートが西ベルリンで行われ、東側の若者たちは音楽を聴こうと壁へと集まるが人民警察と衝突して多数の逮捕者を出した出来事。なかでも主人公が子供の頃に見た東ドイツの地図には道が続いているもののその先の西ベルリンは空白でとなっていて「もうひとつのベルリン」へ関心を抱くきっかけとなったというのがとても印象的だ。そして第5話は1989年、東ドイツに住むヤン・ヒルデブラントは18歳の誕生日にベルリンの壁が開く瞬間をその場で目撃する。
 
 本書で注目すべきは分断された東西ドイツという歴史的なドキュメントをコミックの形式で描かれているということである。昨今、日本国内で翻訳出版されている海外のコミックにはそれぞれの国の作家が自国への歴史や社会、政治、文化への問題提起がなされていることが多い。例えば『未来のアラブ人』(花伝社 2019年)は著者リアド・サトゥフが幼少期に過ごしたカダフィ政権下のリビア、フランス、アル=アサド政権下のシリアの生活を綴った自伝的なバンド・デシネだ。(※フランス語圏のコミックの総称)
またイランを舞台にイスラーム革命、イラン・イラク戦争を子供の視点で描いたマルジャン・サトラピの『ペルセポリス』(バジリコ 2005年)は国際的なベストセラーとなっている。そのほかにも韓国の民主化運動を描いた『沸点ソウル・オン・ザ・ストリート』(クォン・ヨンソク/ころから 2018年)、一人の女性の失踪からアメリカ社会に静かに浸透しているパラノイア的病巣を不気味に描き、有名な文学賞であるブッカー賞にグラフィックノベルで初めてノミネートされた『サブリナ』(ニック・ドルナソ/早川書房 2019年)などがある。
コミックの表現で描かれたこれらの作品は登場する人々の表情やセリフからストレートに感情を汲み取ることができ、理解に時間が掛かる異文化の作品世界へ容易に我々を迎え入れてくれる。またグラフィカルである利点としては地理や空間が把握しやすいことがあげられる。本書『ベルリン 分断された都市』では東ドイツ領内に孤立した西ベルリン市のように飛び地となった位置関係や、先述した東ベルリンの地図で空白となった西ベルリン市といった奇妙な感覚が一つのコマで瞬時に伝わってくるのだ。本書では各話の間には時代背景や主人公たちが実際に使用した道具、舞台となった実在する場所をコラムで補足していることにより、まるで小説や映画のようなエピソードが事実であったことに毎回驚かされてしまう。

領土だけでなく都市も東西に分断され、そこで暮らしていた人々とその家族や友人たちが西側と東側のどちらかに住んでいただけの違いで民主主義と共産主義というイデオロギーを押し付けられ、そして人間性までもが分断された時代。
『ベルリン 分断された都市』は国家体制を取り繕うことが人間の尊厳や自由、そして命よりも重んじられていた時代にその最前線である東ベルリンに暮らし、決死の覚悟で決断と行動を起こした人々がいたことを知ることができる一冊なのだ。


■すずき たけし
元書店員。偶にライターとイラストレーター。ウェブマガジン『あさひてらす』で小説《16の書店主たちのはなし》。『偉人たちの温泉通信簿』挿画、『旅する本の雑誌』(本の雑誌社)『夢の本屋ガイド』(朝日出版)などに寄稿。

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『ベルリン 分断された都市』
ズザンネ・ブッデンベルク 著/トーマス・ヘンゼラー 著・画/エドガー・フランツ 訳/深見 麻奈 訳
定価:2,000円 + 税


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■関連映画

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『ブリッジ・オブ・スパイ』

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『僕たちは希望という名の列車に乗った』

■関連書籍

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『沈黙する教室』(アルファベータブックス)
ディートリッヒ・ガルスカ 著/大川 珠季 訳

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『未来のアラブ人』(花伝社)
リアド・サトゥフ 作/鵜野孝紀 訳

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『ペルセポリス I イランの少女マルジ』
『ペルセポリス II マルジ、故郷に帰る』(バジリコ)
マルジャン・サトラピ/園田恵子 訳

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『[増補版]沸点 ソウル・オン・ザ・ストリート』(ころから)
チェ ギュソク 著/クォン ヨンソク 監修/加藤 直樹 翻訳

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『サブリナ』(早川書房)
ニック・ドルナソ 著/藤井 光 訳



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