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カルテット演奏会。

私のチェロ師匠の、そのまた師匠のT先生が率いるカルテット演奏会。
師匠せんせいにチケットをいただいたので、「一緒に行きましょう」と誘いあっていた。

演奏会の2日前。
先生から連絡があった。
「ゴメン、一緒に行けなくなった。T先生に送迎とリハをお願いされたよ。一応師匠だから断れなくてさ。」
「それは断れないでしょうね。私も一緒です。」
「?」

…私だって、先生のお願いには「ハイ」としか言ってないんだけど。先生はわかっていないのだろうか。

「そんなわけで、先に会場入りしているから。
会場で会おう。」
「わかりました。」


当日。街に出たついでに少しお買い物をして、会場へ向かった。

ホールに入って見渡すと、結構人が入っているが、先生の姿が見えない。
ステージの袖にでもいるのかな?
まあいいや。

空いている席に座った。
パンフレットを熱心に読んでいたら、いきなり背後から頭をクシャクシャされた。
「わぁッ!!」
驚いて振り返ると、「ハハハ。」と笑う先生がいあた。
「あっちにね、Kさんたちもいるよ。」

先生が指差す方向を見ると、いつもお世話になっている弦楽器工房の職人Kさんと奥さんのTさんがいた。
先生と一緒に席を移動。
Kさんご夫妻にご挨拶し、4人で並んで席に着いた。
私にとって先生とKさんご夫妻は家族みたいなものだ。かなり久しぶりに4人でそろってT先生の演奏を聴けるなんて、とてもうれしい。

Kさんも先生も会場にたくさんの知り合いがおり、次々挨拶に来る方々の対応に忙しい。
開演10分前にブザーが鳴って、皆さん席に着き、やっと先生と話ができるようになった。

「センセ、リハはどうでした?」
先生、腕を組んで「う〜ん。」と難しい表情をした。
「ここのホール、以前にも使ったことがあるんだけど、天井に音が吸われやすいんだよね。
先生も弾いていて『孤独だ』って言ってたよ。」

孤独?

「隣の演奏者の音が聞こえにくいんだってさ。一人で弾いているように感じられると。」

ああ、わかる。

「私もここでゲネプロしたことがありますけど、音が拡散し過ぎて合わせるのが大変でした。
それで一旦ゲネ止めて、密集するように椅子を並べ直したんですよ。」
「うん。そういうことだね。でも、お客さんが入ると音の響きって変わるから。」

それもよくわかる。


開演時刻となった。

T先生はステージ向かって右手の表に出ている。
私の席からは先生の左手の動きがよく見えた。

1曲目は現代作曲家の書き下ろし。

私の勝手な想像としては、ヨーロッパの雄大な自然の中、別荘のある湖畔の夜明けを思わせた。
とても気に入った。

後で聞いたところによると、バルカン半島を舞台にした映画の叙事詩に感銘を受けて作曲したのだとか。


先生が心配していた音の響きは、客席で聴く限り、良い感じだった。やはりお客が入ったことで変化があったようだ。

2曲目はシューマンの弦楽四重奏第1番イ短調Op41-1。
ヨーロッパの森のそよ風を感じさせる曲。
シューマンの曲を私はそんなにたくさん知っているわけではないが、何となく憂いの晴れない感じがする。
シューマンは晩年自殺を図ったこともあったそうだから、そんな精神的不安定さが曲に現れている?
(これも、私の想像…)

それにしても、T先生のチェロ、ほんっっと私の大好きな音がする。ドッシリとしていて、そして包容力溢れる音色。
思わず「おとうさ〜ん!」と呼びたくなってしまう(父親がいたことがないからこれまた想像だけど)。そんな感じ。とても和んだ。


15分の休憩。

「お兄さん、ちょうど再来月楽器調整をお願いしようと思ってたんです。都合を聞いてもいいですか?」

私は職人Kさんに話しかけた。
Kさん「ハイハイ。」と言って、バッグからスケジュール帳を取り出した。

「おいおい。ここに来て仕事の話するか?」
先生、呆れる。
「だって。どちらにしても近日中に電話しようと思ってたんだもん。ココでお兄さんに会えて良かった。」
続いて先生は「T先生に音響どうだったか聞いてくる。」と言って、席を立った。

調整の日を決めた後、私はTさんとおしゃべりした。その間、Kさんは眠り込んでしまった。
「やっぱり忙しいんですか?」
「そうねー。予定は詰まっちゃってるみたい。4月に長期出張あるから、そのせいもあってね。」とTさん。

先生が戻ってきた。

「先日、3月のレッスンのお願いをメールしたのに返事がなかったですよ。私の希望日で大丈夫ですか?」
先生に聞いた。
「おいおい。ボクにも仕事の話をするのか。」
先生が苦笑する。
私のレッスンなど仕事だと思っていないくせに。
「今日会うと思ったから、返事しなかったんだよ。」
と、先生。
「そうだろうと思いました。」
「夜の希望通りでいいよ。」


後半のプログラムは、ベートーヴェンの弦楽四重奏第9番ハ長調Op.59-3。

ベートーヴェンにしては、明るく大らかな感じのする曲だと思う。
弦楽四重奏というと1stヴァイオリンばかり歌い上げるイメージがあるが、ヴェートーベンはどの楽器にもバランスよく見せ場を作っている。

3楽章から4楽章はアタッカ(切れ目なく)で入る。
4楽章はallegro moltoで、とても速い!よく指が回るなぁと、感動する。

と、私はT先生の手元を見ていて疑問を抱いた。

私は、というか、オケでチェロを弾く人は、解放弦(弦を押さえない弾き方)をあまり使わない。4ポジションを使って同じ音を出す。先生もそうだから、T先生も当然同じなはず。
けれど、3楽章の後半からT先生は頻繁に解放弦を使うようになった。
GやAのロングトーンを解放弦で弾きながら、空いた左手を左の腿の上に置いた。人差し指を伸ばしているようにも見える。

指を痛めた?!

私は思わず右隣に座る先生を見た。
先生、私の訴えるような視線に気が付いて、一つ頷いて見せた。左手の人差し指を私に見せて、曲げ伸ばしして見せる。

ああ、やっぱり。T先生は指を痛めているのだ。

「T先生、ゴールまでもう少しだから、がんばって!」と祈るような気持ちで、最後まで演奏を聴いた。

楽団の皆さん、無事弾ききった後は、たっぷり余韻を残して弓を下ろした。
途端、Blabo!の声があちこちから上がった。
T先生、どこかホッとしたような表情に見えた。
安心した。


「T先生、しばらく前から左人差し指を痛めてるんだよ。ベートーヴェンはだいぶスリリングだったね。」

終演後、先生が私にそう話した。

「演奏活動を続けられる程度なのでしょうか。」
「加齢との戦いだね。音楽の仕事は定年がないから、やろうと思えば果てるまでできるわけだ。引退は自分で決めることになる。辞めればそれでおしまい、無収入だ。厳しい世界だね。」

そう言った先生、T先生へ向けてというよりは、自分に言い聞かせているようだった。

だから、先生は私と結婚して私に養ってもらえばよかったのに...でも、先生は私を思っていたにも関わらず、私に頼ることを拒んだ。
...もう、昔の話だ。


「夜は、この後どうするの?」
「仕事に行きます。研修用の資料がまだできていないので。」
来週は、毎日、講師の仕事が入っている。
「今日は楽しかったです。T先生のチェロの音、やっぱり良かった〜。癒されました。」
先生が笑んだ。
「夜がそう言っていたと知ったら、T先生も喜ぶよ。伝えておく。」
「よろしくお願いします。」
「お前も仕事がずいぶん忙しいようだね。音楽と関わることが、夜にとって癒しになっているといいな。」
言って、先生、私の左腕をポンポンと叩く。

その一言が胸に刺さって、私は言葉に詰まった。


センセ。もしかすると私はまたチェロから離れることになるかもしれません...自分の意思とは関係なく。


それを言ってしまうと、また先生の前で泣いてしまいそうだ。

私はぐっと言葉を飲み込んで「じゃあセンセ、また来月に!」と言い、手を振って歩き出した。
先生も手を振り返してくれた。

折しも夕日のキレイな時間帯。
職場に向かう車の中で、ちょっとだけ泣いた。






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