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ちょっと 話を逸らします。

皆さん 1991年 東京で行われた 世界選手権覚えてらっしゃいますか?
あの大会は 日本テレビが 今世紀最後の大きな仕事として 大会5年前から精力的な取材を進め 出場するであろう選手の全て(ほぼ全て)の顔写真をポラロイドで撮影会社の壁に貼り付け 記録などを記載 とにかく すごく 大きな大会だったことを物語っています。当時チーム アナウンサーだった 舛方さんは 気合の入れ方が半端じゃなく 横にいるだけで 殺気を感じるような人だった。えーなんでおまえそんなに知ってるのって?実は 私その大会の メイン解説者(3人)の一人で 長嶋茂雄さんと 西部里菜さんとで行っていました。この解説の話は後で述べますが。実は、かなりのバッシングがありました。それは 当時まだ 関西弁が関東で受け入れてられず なんで あんな大阪の言葉で解説させるんだって。しかし、日本テレビのチーフは関係ない 君の好きなようにバンバンやれって。だから 俺は 吉本より先に 関東進出していた。笑かな。自慢にならんけど
さて この表紙の写真の方わかる人は すごいです。この方は イオランダ
バラシュさん 1964年東京五輪 女子高跳び(1m90、ハサミとび) 優勝者で 私がお会いした当時は ルーマニア陸連会長をされていました。
別段東京世界陸上とは関係ないのですが。

1991年当時のルーマニアの街中と 元東ドイツの車トラバント


さて 話は戻して 東京世界陸上のメインといえば 男子 100m決勝 
当時 ナンバーワンだった リロイ バレル  そして それを追う チームメートのカール ルイス この2強の戦いと言われ 予選 準決勝と バレルの優勢が伝えられ、決勝前も アナウンス席では、舛方さんと私で 攻防戦が行われていました。私的にはバレルに勝ってもらいたいが、勝負師ルイスはそう簡単に負けない。そんなことで 舛方さんはバレル一本 テレビでも そのような感じで解説を行っていましたが、最後の20mのルイスの追い込みで 俺は冷静に この時の風をチェック 公認を確認 そして世界記録を確認した。俺自身も 興奮冷めやらぬ中でもう、手に汗握り 話をしたくなったが 舛方さんの中には入れず 横で黙った。テレビはすぐに観客席にいる長嶋さんに切り替わり その間 マイクオフの俺と ディレクターは ビデオを見直し マイクが帰ってきたら 何を話そうか 打ち合わせていた。あの東京大会は、本当に凄かった また 昔の国立競技場の威厳はすごかった。(あれを潰した 森喜朗と故安倍元首相は本当に罪人だ)ちょっと話はそれるが、あの国立競技場は 建築家の丹下健三さんが設計され 強靭な作りだった(実際取り壊す時 思った以上に費用と時間がかかった)あれほどの立派なものを、壊すことに反対すらできなかった 陸連の情けなさ。なんでも事なかれ主義にする

こんな感じで サブトラ散策

東京の世界陸上は 解説者の別組で 著名な日本の大学教授が顔を並べ
長距離 澤木啓祐 跳躍 大西先生 投擲 室伏重信 混成 鬼塚純一
と錚々たるメンバーで 私はその人たちを取りまとめる役で、かなり緊張していました。こんな話があり、投擲が始まり 室伏先生が 解説してる途中に 呼ばれて ハンマーが始まったので君がここから投擲の解説やってくれ 
俺はハンマーを見てビデオ撮るからって。投擲の素人の私が ここから 砲丸投げの解説に無理やり押し込まれて 手に汗握りながら 解説を行った記憶があります。皆さん 無茶言う人が多く また、解説中に 長嶋さんが勝手に割り込んできて、あのね 選手がスタートを待つ心境ってどうなのって
台本のない 解説です。なんでも聞かれたら すぐ答えないと テレビの間が空きすぎるんで この時 私は これは 野球選手が ネクストバッターズサークルにいる時と、同じ心境ですよって話たら そのまんま 長嶋さんが次の自分の解説で使ったりと、結構 色々 言葉的に 私が言うより 長嶋さんが言う方が 威力抜群。

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