文庫君鉄オビあり

【72】君と夏が、鉄塔の上



「川に流すって、言ってたよね……」

「え?」

「調神社で、お面の人たちが言ってた。川を流し、海に返すって」

「そう言われれば……」

 そうだったかも知れない。僕はあまりにも慌てていたから、ほとんど覚えていなかった。

「すべて忘れる……記憶……」

 帆月は後ろを振り返った。

 物の列は94号鉄塔を乗り越え、93号鉄塔へ向かう送電線をゆっくりと歩いてくる。

「あれは、記憶なの? 物の記憶?」

 帆月が小さな声でそう呟いた。

「え? どういう意味?」

「古くなった物には魂が宿るって、比奈山くんも言ってたでしょ」

「付喪神のこと?」

「うん。あれがそうかは分からないけど……」

 僕も帆月と同様に後ろを振り返る。

 確かに、列の中にある物は、どれもこれも年季を感じさせる古い物ばかりだ。

 あのすべてに、魂が宿っているということなのだろうか。

「伊達くん、行こう」

 帆月はそう言って僕の手を引き、僕らは再びお面の男の後を追った。

 鉄塔を越えていくと、眼前に夕日を映す荒川の流れが見えてきた。

 荒川は川下に向けて緩やかな左カーブを描いている。右岸には野球のグラウンド、左岸には打ちっぱなしのゴルフ練習場があるが、台風がやってきているからか、どちらにも人の姿はない。

 グラウンドの向こうには、この間訪れたリバーサイド荒川の姿も窺える。川向こうにある88号鉄塔は、右岸土手のさらに奥側に立っていて、送電線がゆったりと川の上に渡されている。

 89号鉄塔から88号鉄塔までの距離はおよそ四百メートルほどだから、その間を流れる荒川の幅はだいたい百メートルくらいだろう。

 そして、その対岸の88号鉄塔からも、僕らの前にいる男とはまた別の男を先頭に、たくさんの物が荒川を目指して歩いていた。

 88号鉄塔のさらに奥、京北線84号鉄塔と直角に交差している志木線の電線にも、同じようにして様々な物が列を成しているようだった。

「荒川に向かって来てるんだ」

 僕の言葉を受け、帆月が頷く。

 そこで、男はくるりと反転し、僕らに掌を向けた。そうして、89号鉄塔の頭頂部を指差す。

「ここに座っていろってこと?」

 帆月の問いに、男はゆっくりと頷き、再び送電線を歩き始めた。

 僕らはそれに従い、89号鉄塔の頭頂部に腰を下ろす。

 お面の男はそのまま川の真上まで歩いて行くと、対面からやって来た似たような恰好をした男と向き合った。

 僕らの後ろには列が迫っている。古い型の冷蔵庫が鉄塔に差し掛かると、固そうな体をくにゃりと曲げて、ぴょんと頭頂部を飛び越えた。そして音もなく前方の送電線に降り立ち、再び粛々と歩き出して行く。

 錆びついた郵便ポストがそれに続き、茶箪笥や看板、薬屋の前によく置かれていた蛙の人形など、次々に僕らの真上を飛び越えていく。

 やや簡略化されて小さくなったように思える家々やビルが次々と飛び上がる様に、僕も帆月も言葉を失った。

 そうして彼らは川の真上まで辿り着くと、何のためらいもなく送電線を離れ、川中へと飛び込んでいく。やがてプカリと浮かび上がった冷蔵庫や道路標識、ブラウン管といった物たちは、川下へ向かってゆっくりと進み出した。

 夕日に染まった荒川の真ん中を、一列になって進んでいく。上流からもたくさんの物が列を成して流れていて、ゆっくりと荒川を行進している。兎のお面を付けた男は、列を川の真上まで先導すると、一番下の送電線までふわりと降りて、再び前の鉄塔へと戻って行った。

 神秘的な光景だった。

 次々に荒川の水中へと飛び込んでいく物たちは、僕らの暮らしている世界ではすでに古い物、汚い物と思われがちであるにもかかわらず、僕は彼らが美しいと思った。

 潔ささえ感じさせる彼らの姿に、畏敬の念を感じずにはいられない。

「私、何となく分かっちゃった」

 帆月が小さな声で言った。



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