文庫君鉄オビあり

【76】君と夏が、鉄塔の上



 比奈山は鉄塔の天辺を見上げ、それから僕に言った。

「場所を変えよう。こっちだ」

 そう言って比奈山は公園を離れて行く。僕はとにかく比奈山に従った。

 やって来たのは公園から少し離れたところにある、小さな社だ。

「神様にお願いするなら、こっちだな」

 僕と比奈山は鳥居を潜り、赤く塗られた社の前に立つ。鳥居の先が鉄塔の上だったら、なんて淡い期待は脆くも崩れ、僕は焦る一方だった。

「賽銭箱がないけど、無料で聞いて貰えるかどうか」

 比奈山はそんな冗談を言った後、手を合わせ、小さな声で言った。

「椚彦、頼みがある。出てきてくれ」

 僕もそれに倣い、手を合わせる。

「椚彦。お願いだ……助けてくれ」

 僕は祈った。こめかみに痛みを感じるくらい、強く祈った。

「帆月が行ってしまったんだ。頼む、お願いします。帆月を連れて帰りたいんだ。僕をあの鳥居の中に行かせてください。お願いします。お願いします」

 僕はありったけの念を込める。けれど、社の扉が開くなんてことはなく、風の音がびゅうびゅうとあたりに響くだけだった。

「駄目……か?」比奈山が呟く。

「そんな……」

 僕は膝を突いた。

 あの時……無理やりにでも帆月を引っ張って、一緒に川に飛び込めばよかったんだ。

 何故そうしなかったのか。何故そう出来なかったのか。

 僕は自分の膝を叩いた。本当に僕は何の力もない、駄目な男だ。

「お願いだ……椚彦。帆月を……お願いします」

 自分の無力さに、涙が込み上げてくる。泣いたって何も変わるはずがない。けれど、僕にはもう何も出来ない。

 帆月の、破天荒で、怒りっぽくて、時々厭味ったらしく笑うあの顔は、もうどこか遠くに行ってしまって、二度と会うことは出来ない。

 帆月は、忘れて欲しくないと言っていた。でも、忘れて欲しいとも言っていた。

 僕には彼女の気持ちを、その細部まで推し測ってやることは出来ない。僕なんかが分かってやれることじゃない。

 でも、僕は帆月ともっと一緒に時間を過ごしたかった。帆月と過ごしたこの夏休みの時間はとても短いものだったけれど、それでも今までのどんなことよりも楽しかった。

 帆月を忘れる? そんなこと……出来るわけがない!

 自分勝手なことばかり言って。僕のことなんて全然考えてないじゃないか!

「馬鹿野郎……」

「伊達……?」

「帆月の馬鹿野郎ッ! 椚彦! 出て来いッッ!」

 僕はありったけの思いを吐き出した。

 同時に強い風が吹き、社や狐の像、その周りを囲う木々を叩く。

 気が付けば僕の頬を涙が伝っていて、その頬にフッと柔らかい物が触れた。

 顔を上げてみると、目の前に子供の姿があった。

 小さな眉と大きな目をした子供─椚彦だ。

「椚彦……」

 僕は頬に触れた小さな手を握る。生き物特有の温かみこそなかったけれど、そこにいるという確かな存在感があった。

「まさか、それ……」比奈山が僕の側に歩み寄る。僕は握った小さな手を比奈山の体に触らせる。すると比奈山は「おわ」と声を上げて驚いた。

「椚彦。あの鳥居から鉄塔の上に行けるようにしてくれないか」

 僕は椚彦にお願いをする。しかし椚彦はふるふると首を振った。

「どうして? あそこに行けないと、帆月を助け出せない!」

 すると椚彦は僕の手を引き、社を離れた。そして送電線が見える場所まで移動すると、小さな指を空に向ける。

「道が……ないのか?」



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