文庫君鉄オビあり

【80】君と夏が、鉄塔の上



 自転車は地面とほぼ水平に、確実に空を飛んでいて、送電線と並走している。もうすぐ川に差し掛かる。

 けれど、このままでは高度がありすぎて、送電線の上を通り過ぎてしまいそうだった。

 慌てて僕は漕ぐ足を緩める。

 すると、ブレーキが掛かったかのように自転車は急速に下降し始めた。

「うわあっ!」

 ぐんぐんと前輪が送電線に迫っていく。この勢いでは、もう上昇させることは出来ないだろう。

 あとは、光の道に乗るか、それとも電線にぶつかるか、どちらかだ。

「噛めええええええっ!」

 僕は叫んだ。叫びながら祈った。自転車が光の道に乗れるのか、そもそも僕が光の道に乗れるのか、賭けでしかなかった。

 タイヤが送電線に触れる、と身構えた瞬間、前輪は確かに何かを噛み、そしてバウンドし、そのまま滑るように送電線を下っていく。

 しっかりと光の道に乗り上げた喜びもつかの間、勢いづいて左右にブレようとする自転車のハンドルを、両の手で制御する。

「うわああああああああああ!」

 自転車は急スピードで送電線の間を進んでいく。視界の端に、確かに赤い鳥居が見えた。

 ブレーキ? いや、そんな暇は─!

 川上の鳥居に差し掛かる寸前で、僕は思い切りハンドルを右に切った。

 激しい衝撃が自転車を襲い、ばきばき、と後方から嫌な音が鳴る。タイヤがパンクしたのか、ガクガクと激しく小刻みにぶれ出す。

 僕と椚彦を乗せた自転車は、鳥居の中に入った。

 突然、視界に柱のようなものが現れ、さらにハンドルを右へと切った。僕の脚と車体がその柱をこするようにぶつかり、僕も自転車も悲鳴を上げた。

 けれど、ここで倒れるわけにはいかない。僕は思い切り柱を蹴飛ばし、その勢いでどうにか体勢を整えた。

 そうして、ようやくあたりを見回してみる。

 僕は太い橋の上にいた。

 その幅は十メートルくらいはあるだろうか、荒川の上空に、年季がありそうな木製の橋が、ずっと川下まで延びている。

 先ほど柱に見えたものは欄干で、所々に置かれた擬宝珠が淡く光っている。

 さっきまでの嵐が嘘のように、風は止んでいた。

 橋は時折ゆるやかなカーブを描いている。おそらく川の上をなぞるように通っているのだろう。

 少し身を乗り出して橋の下を眺めてみると、荒川がごうごうと流れていて、この橋の外はまだ風が強いのだと分かる。

「椚彦、大丈夫?」

 僕は背中に声を掛ける。チラっと顔を向けると、椚彦はしっかりと僕の背中に貼り付いていて、そして信じられないことに、今まで以上ににこやかな笑顔を作っていた。

「楽しんで貰えたようで、何よりだ」

 自転車の後ろに付いていたはずの羽はもげていて、残骸だけが少しばかり残されている。

 これを作るのに帆月はいくら掛かったと言っていたっけ、なんて考えながら、僕は必死に自転車を漕いだ。

 欄干の光が溶けるように後方へと消えていく。

 幻想的な風景であったけれど、今の僕には何の感慨も浮かばない。一切必要がない。

 漕いで、漕いで、漕いで、漕ぐ。

 帆月の元へ、一秒でも早く。

 あいつに文句の一つでも言ってやらないと。

 駄々をこねるようだったら、無理やりにでも連れ帰る。

 お面の男が止めるようだったら、僕は生まれて初めて暴力を振るうかも知れない。

 ヤナハラミツルの時のあれは、除霊だ。
 

 とにかく帆月に会う。この道の先にいるはずだ。

 僕はひたすらに自転車を漕いだ。

 足の悲鳴を無視して、とにかく漕ぐ。

 漕ぎ続ける。


 やがて――前方にたくさんの人影が見えた。



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