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真昼の空にもあまたの星

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埼玉でカフェやスペースなどを運営する数名が、店のできごと、日々感じること、見えてくる世界をつらつらと綴ります。
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記事一覧

おうちに着くまでが遠足です

3月をもって、店の店長を降りました。 うちはオーナーが3人いて、それぞれ店長、つまり3人店長だったのですが、このたび3人とも同時に降り、24歳の若者に店を譲った次第です。 もともと3人には本業が別にあり、店はある意味余芸、ちょっとおもしろそうだから始めてみた、そして続けてみた、そんな感じです。自分から仕事を辞めたり恋人と別れたりするのが苦手な私は、何か始めるときにはいつもどう終わらせるかだけを考えています。そうしないとただ手癖だけでダラダラと意味なく続けてしまうからです。

何処かで誰かが、死んでいる

墓をつくりたいと思っている。 何かの例えではなく、人が死んで、骨や体が納められる墓を。 突拍子がなく聞こえるかもしれないが、そう思うようになったのはきっかけがある。 僕は自分の店がある街の自治会で、環境部という部署の長を務めているから、孤独死の話が年に数回ほど耳に入ってくる。 先日も店に来てくれていたお客さんが亡くなった。 窓が開かない家の様子を不思議に思ったご近所さんが警察を呼んで、それから事態が発覚したそうだ。 高齢化が進む街だから起こりうるとはいえ、顔や名前を知

めんどくさい隣人

うちの店の周りはいちおう形ばかりの地番整理が行われている。区画の移動や切り分けなどはせずに、何丁目何番地何号というスタイルに形の上だけしている、そんな地番整理。 同じ番地に戸建てからアパート、マンション、たいてい10以上の建物があり、おそらく住人は50人を下らない。出身も年齢も仕事も違う人が50人以上、同じ番地で暮らしている。何人か挨拶する人はいるが、お互いのことはあまり知らない。そしてそれ以外の大多数は顔すら知らない。現代社会、首都圏住宅地の、ひとつの典型だろう。 実家

北本団地 秋まつり

先日の日曜、自分達が団地のお祭りに関わるようになって2年目の秋まつりが行われた。 元々コロナ前は夏に行われていた団地祭が、去年から秋まつりに形を変えて再開されるようになった。櫓はなく一日開催で昼間のみ。元のお祭りと比べるとかなりの縮小開催になっているのが少し寂しくもあるけれど、これはこれでとてもいい感じのお祭りになってきているように思う。 団地が高齢化していようが少子化が進んでいようが、やっぱり人が集まって何かやる機会は求められていて(むしろ切実に求められているのかも)、

『商店街とコミュニケーション』

いきなりですが、宣伝です。 去年、東京都杉並区の和田商店街という、かつて東京商店街グランプリを受賞したところのアドバイザーをやっていた西本則子さんの本を出した。 『商店街とコミュニケーション 東京杉並・和田商店街と応援団わだっちの挑戦』 http://www.bunanomori.jp/new.php#wadatch 1キロくらいの細長い商店街で加盟店舗数は50程度。「あ、うちの商店街と同じような規模感だ」。そう思って興味を惹かれた。道が蛇行していること、高低差があるこ

営業妨害だ、と釘を刺される

 コーヒーの値段について、ずっと悩んでいる。  売れないからとか、場を維持するためには、とかそのような数字の計算が理由で悩んでいるわけではない。  もちろん売れて欲しいし、場を維持していきたいのだけど、悩んでいる理由は全く違う二つの立場(価値基準)の間に晒されているからである。  そもそも、私がこの街で喫茶店を開け、コーヒーを売り始めたのは5年前になる。  それ以前は、建築の設計事務所にいたり、大学で建築の教育や研究を行う立場にいたりした。  ありていに言えば、建築士として

近所でまかなえると嬉しい

何故かこないだから家電の話が続く。 中庭のエアコン掃除を依頼した。 近所のたい焼き屋さんのTwitterで「隣の電気屋さんにエアコン掃除をお願いしたら復活した!」というのを見かけて、うちもお願いしたのだ。 それから2-3日でエアコンを引き取りに来てくれて、その日のうちに掃除・再取り付けまでしてくれた。迅速な対応素晴らしい。 冷房復活。中庭も生き返った。 近所にそういうお店があると、生活はとても快適になる。 家の畳を変えた時も、地元の畳屋さんに電話したら30分後には引き取

5年は長いか短いか

ココシバのオープンは5年前の7月15日。ちょうど地元のお祭りの日で、眩しい夏の青空の下、店の前の通りを神輿が練り歩いていった。 「最低5年はやってください」。商店街振興助成金をもらって始めたので、市の担当者からはきっちり釘を刺された。おっかなびっくりではあったが、飲食+新刊書籍+イベントという、当時はまだ珍しかった形態が受けたのかもしれない、店は好調なスタートを切ることができた。 1年半ほど経った頃、新型コロナウィルス感染症が世界的に流行しはじめた。人同士が会って集っては

古くねえよ、と怒られる

 数年前、「街のことたいして知らねえだろ?」と言われたことがある。 確かにそうだ。たいして知らない。  当然、知らなきゃマズイわけでも、何か言ったりやったりしちゃダメってわけでもないのだが、部外者は口を出すな的価値観の人と話をするには知っていた方が良さそうだし、単純に悔しい気持ちもあったので、誰よりも街のことを知ろうと思った。  まず、商店街の仕事として、全45店舗(撮影当時)にインタビューをしながら動画を撮った。角栄商店街のHPに店舗の情報を記載するため、という建前もキ

オーブンレンジ問題をやりすごす。

3年前、引っ越しを機に買ったオーブンレンジが最近壊れてしまった。 普通に使っていたつもりだけど3年で故障。ちょっと早すぎる気がする。 修理できないか調べると3万円で買ったオーブンレンジの修理に3万円かかるという。高くない?そんなもん?3年で壊れるのが嫌ならもっと高いものを買えということだろうか。しかし20-30年前の家電でも現役で動いているものもあるし、それらは高級なものばかりではないはず。高機能じゃなくていいから、長く使える壊れないものが欲しい。 修理も検討したが急いでいた

場が人より長く生きるとするならば

親が少々ヤバい感じになってきたので、実家に頻繁に帰っている。江澤さんがジャズ喫茶「中庭」を開いているUR北本団地は私の実家から自転車6分、徒歩でも17分(GoogleMap調べ)。北本団地の商店街には、それこそ私も子供時代、手造りパン屋さんの干しブドウたっぷりブドウパン目当てでしょっちゅう出かけた。 「のどか」としか形容しようのない田畑と小山の点在する周辺風景に、突如登場する70棟にも及ぶ5階建ての均質な建物、UR北本団地だ。 空が青い。 武蔵野銀行が閉店し、ATMのみ

店舗の中心で、おっぱいと叫ぶ

先月から商店街に新しい拠点をかまえることになった。 名前は「mibunka(みぶんか)」とした。 空いてしまった店舗 (現mibunka) をとりあえず借りたのが1年前。 なにをするか、なににするのかも決めないまま、借り続けた。 商店街の中にあって、店舗でもないのに煌々と明かりがついているようすは、周りの方からは不思議がられていたようだ。 この1年の間のあれこれ(なぜ1年もただ借りていただけだったか)については別の機会で書くことにするとして、今回は新たな拠点であるm

「プロジェクト」の「記録」と「暮らし」

10数年前に北本市で行われていたアートプロジェクト「北本ビタミン」や、今は無きアートNPO「キタミン・ラボ舎」などを取材したドキュメンタリー映画が、中庭でテスト上映された。 自分も関わっていたし北本団地商店街でも色々な活動が行われていたので、取材されて色々話もした。だから、映画にも自分が出てきて話していた。変な感じ。 映画を撮っているYさんは「終わったアートプロジェクトのその後」に興味があり、北本のプロジェクトを見つけて取材を始めたという。だから10数年前の現場には居なかっ

病気と介護と葬式と

去年から今年にかけて、近くの商店会が2つ続けて解散した。年々店舗が減り、人通りも少なくなり、買い物客も店主も高齢化。このあたりの商店街はどこも同じような状況だから、これからも次々解散していくんだろう。 始まりあれば終わりあり。形あるものはいつかなくなる。周りは「寂しい」と口々に言うが、だからといってそこで買い物してたわけじゃない。スーパーやドラッグストア、コンビニ、大型モール、ネット通販、買い物の場所は至るところにある。もう「商店街の役割は終わった」、確かにそれはそうなんだ