知ってる事は偉いのか 人気がある事は偉いのか 売上が多いことは偉いのか 携帯代を自分で払う高校生は偉いのか 

数々の偉さを持ち寄り我こそは正しいと侃侃諤諤喧喧囂囂本物はどれだ真はどれだと日々知恵比べそれがわたしの頭の中の世界の正体の一部である。

すでに述べられた事を知ってか知らずかまた語り出したり質問したりと不毛なサーバー容量の不当占拠と時間の非営利的投棄そして模倣盗用最近で言えば深層学習に利用される事さえも恐れぬ蛮勇ないし無知は繰り返され文節と読点を除いた読者に苦行を迫る文字列を開き直りの一形態と理解されることを必要悪と織り込んでしたためる間違いを遺すことが趣味な人間が存在するほどには混迷を極めた現代というのもわたしの頭の中の世界のあらましの一編である。

なんらかの傾向を掴んでうまい言葉にパッケージングできるものが誰しも評価されるわけではない。
結局は好みの問題であり需要を読んでそれに合わせていかなければ人気や売上や動員というものには繋がっていかないのだ。
分かりきっているのに何故それに反した行いをしてしまうのか。
まっこと人間というものは非効率なものだ。
左様。
それは責任転嫁とさえ言える主語の自分勝手な拡張でありそこに代入されるべき適切な名詞は「自分」である。(厳密には反射代名詞、らしい。知ったことかよ。)

好ましく感じている者がわからないことを売りにすれば嬉々としてとでも形容できる様な勢いでわからないという言葉を使う程度には自分がないのかもしれない人間はしかしてその好ましく感じている者が嗜めたことをそれを意識しながらもやはり実行する。
なんでも何かのせいだね、だとか、そんな極論を言うなと歌われたところで、一方で誰かのせいって事もきっとあるしバカばっかと歌う歌もあろう。
見たいものだけをみているのか信じたいものだけを信じているのか。
気持ちよくなりたいだけなのはみんななのか自分なのか。
害虫なのはどっちとかお前らもボクも病気だよとか。
メタが重なるから好きだったのか俯瞰に俯瞰を重ねてダメと言うのが先を越された感じがしつつ何枚もうわてな気がして素直に感動してみたのか。
所詮誰かがたどった道をなぞっているとネガるかあの人も通った道を着実に進んでいるとポジティブになるか。
ポジるって書かないのはホモを意識し過ぎか。

サマータイムレンダで主人公が俯瞰と言い始めてビクッとした。
銃で撃ち殺された時の表現も悔しかった。

砂の惑星で歴代のボカロ曲を匂わせる歌詞の連続が見せられる前からミクの節目の年としてそのアイディア自体はわたしにもあったので悔しかったと同時に同じ発想を持っていたことが少し嬉しかった。

ソウルサクリファイスが出た時に非常に悔しい思いをした。その発想はあった。鋼の錬金術師の二回目のアニメの1話で血を操る者を見てその発想を一気にプランニングした。しかしわたしにはゲームを作る技術も環境も仲間も何もなかった。

青春コンプレックスという題名の歌詞を2016年に書いているがそれを世に出さないまま2022年10月だぅたかぼっち・ざ・ろっくのアニメOPのタイトルと被っていることを話中で青春コンプレックスという単語が出る3話だか2話ではじめて気づいて今までにないほど悔しい気持ちになった。何故なら青春コンプレックスを上げよう上げようと2022年8〜9月ずっと悶々としていたから。悔しい。誰も信じないのはわかってるが事実なので書く。

そんな悔しさは枚挙に暇がない。
同じ様な経験をしたことがある人も多いのかも知らない。
それでも自分はそれらが悔しい。
先を越された、やられた。と感じる。

またある時こんなことを考えた。
人の発想は実は目に見えない泡のようなものに触れることで得られるものでそれは様々な座標に同時に存在している為複数人が同時に触れることがあるだから自分が着想を得た時別の誰かも着想を得ているのではないか?
後日それに似た話を他人から聞いた。

またある時こんなことを考えた。
我々は実は同じ空間にいるように見えて別次元同士ではないのか。
これを使った創作のアイディアもやはりまとめてしかし順番待ちに並ばされこれはあたため行きであった。
それは青野くんに触りたいから死にたいで似たような概念が登場した。

悔しい、悔しい、悔しい。
自分を凡人と見限って他人にもそれを押し付ける人はある意味では幸せ者であろう。
こんな悔しさをいだかずに済むのだから。
やりたいことがない人もある意味では幸せであろう。

それ関連で言えば、断罪のグリムの主人公が「普通」を信奉しそれを希求することは当時のわたしには目新しかった。

さて。
その発想はあったのにって悔しさも
その発想はなかったなって感心も
まだまだ幾らでもあるのだが
もう3:49なのでこれぐらいにしておこう
明日も忙しいのにどうしてこんな…
これも全ては睡眠を阻害するクソッタレ隣人のせいである

みんな同じ、みんなそうはおじさんおばさんの悪い癖である。わたしからみればそちらこそが負け惜しみであるとここに述べておこう。

あなたには負け犬の遠吠えにしか見えないのだろうね。
目が曇ってるね笑
なんてね

どうして  は長髪的言葉ばかり吐くのだろうか。
それはゆったり余裕を持って構える大型犬ではなくビクビクと震えキャンキャンと吠え散らかす小型犬のように見えた。うんまぁ、どっちとも一緒に過ごしたことがありどっちも好きなんだけどね。それだのにこんな事を書くのは結局人にモテるかどうかという尺度をまだ捨て切れていないということか。意識して使う時以外無意識レベルでそいつを自動適応するのは不自由なので取り外したいものである。きっとわたしが何を言ってるかあなたには一割も伝わらない。いつもの様に。そしてこんな事を言えばあなたはそれをわたしのせいにする。その他大勢と同様。


ん〜ーーーー?
表題とだいぶかけ離れてるナァ
追記すっかもー!暇だったら


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