政治と経済から読み解く平成時代-令和時代の予測

こんにちは、読谷村の隠遁者サイトウです。

元号が平成から令和に移行する際に、『令和時代はこうなる!』という予測記事が量産されました。人は先が見えないと心細く、行き先を照らす明りが必要なのでしょう。もちろん、私も令和以降の未来予測記事を多く読みました。

しかし、新型コロナウィルスの感染拡大が起こり、いきなり大部分の令和時代の予測記事が外れたような印象を受けます。ただし、知識層の中の幾人かは『21世紀は感染症の時代になるだろう』と予測をしていました。

2004年の中国南部のSARS、2009年の新型インフルエンザ、2012年の中東でのMARSなど、過去を振り返ると様々な感染症が発生しました。加えて、交通機関の発達により人の移動が簡単になったことで、より感染症の拡散速度が速まり、これまで以上に感染症の拡大が頻繁に起こるようになりました。

このため、未来を予測するうえで過去は非常に重要になります。というのも、未来は過去の延長線上にあるため、過去の延長線の傾きを見ることで、どの未来につながるのかが大まかに予測できるからです。このため、令和の時代を予測するためには過去を振り返るのが賢明でしょう。

今回の記事では、未来の予測をするために、直近の過去である平成時代について経済面、政治面から読み解き、令和の時代を予測し、私たちがどのように生きればいいかということについて考えるネタを提供できればと思います。


フロンティアの喪失、新興国の工業化、経済成長の前提条件の消失

1989年が平成元年。ここから平成元号が始まりました。

平成の時代は山口二郎先生によると『発展が終わった時代』になります。地球規模で開発が行き届き、開発余地空間がなくなった時代と言えるでしょう。地球規模で人の住む地域には、鉄道や道路が整備され、田舎でも電話、インターネットにつなげることができます。生活も便利になり、新興国でもスマートフォンが普及して、貧しいと言われる新興国の人たちもInstagramやFacebookに外食の写真を投稿しています。

自分の経験ですが、2010年ごろ、仕事でペルーのアンデス山脈に仕事で行った際、標高4000mに住む先住民たちが携帯電話を使っていて、衝撃を受けました。このように平成の時代に地球規模で発展が終わり、フロンティアは消失しました。


1990年以降、新興国の開発に伴い、新興国が工業化します。以前は先進国でのみ製造されていた高付加価値製品(自動車やスマートフォン、その他電化製品)が新興国で製造されるようになりました。

台湾のASUS、TSMC、韓国のサムスン、LG電子、ヒュンダイ、中国の華為、シャオミなど、新興国でもハイブランドメーカーが育ち、人件費の安い東南アジア、ラテンアメリカ、アフリカに製造工場が移転しました。この流れの中で、日本の企業は新興国企業とのコスト競争に巻き込まれることになったのです。

輸出産業が主である国内メーカーは、新興国とコスト競争をするために、人件費を削る、あるいは工場を新興国に移転することを選択しました。国内メーカーは『コストカット、売上増大』という薄利多売路線に舵を切ったのです。また、日本政府も国内輸出産業をサポートするために円安政策を行い、1ドル120~140円を維持しました。

上記の国内メーカー、日本政府の対応は産業の延命策にすぎません。根本的な問題は地球規模のフロンティアによる市場の拡大終了になります。

もし、この時、日本企業が製品の高付加価値化を選択すれば、まだ救いの余地はありました。しかし、日本はコスト競争による薄利多売を選択しました。このため、日本国内の労働者の給料削減、円安による原料高による物価上昇。要するに人々の生活が苦しくなりました。平成時代は企業の負担を国民に押し付けた時代と言っても良いでしょう。


グローバル化による中心と周辺の再配置

平成時代に国内の産業は空洞化し、生活は苦しくなりました。これはグローバル化の典型的な影響です。少し難しい言葉を使えば『中心と周辺の再配置』になります。資本主義の特徴として、富が集める『中心』と富が流出する『周辺』が存在します。昭和時代は『中心』である先進国は『周辺』の新興国から原料と人件費を搾取していました。

1990年代に加速したグローバル化により、ヒトモノカネが国境を越えて自由に移動できるようになりました。これは前述の国内から新興国への工場の移転を促進しました。

その結果、これまでの日本は『中心』、新興国が『周辺』という国単位の資本主義の構造から、日本国内の中心周辺構造へ再配置が起こりました。2003年の労働者派遣法改正により、それまで禁止だった製造業への派遣が解禁されたことにより、国内の中心周辺構造への転換が加速しました。このため、終身雇用、年功序列を前提とした日本的経営方式が崩壊します。


不安定化する金融市場、持つ者と持たざる者の格差拡大

さらには、平成は景気の振れ幅が大きくなった時代でもあります。
平成を通じて、バブルとその崩壊により、金融資産保有者と非保有者の格差が拡大していきました。その原因として、世界中でマネーの量が指数関数的に増えたからです。

1971年のブレトンウッズ体制の終了により、現金は金(現物)と切り離されました。それまでは、米ドルと金は一定量で交換される約束があったため、米ドルを無制限に増やす言葉できませんでした。しかし、1971年にニクソン大統領が突然『これからは米ドルと金は交換しないんでよろしく!』と宣言したニクソンショックが起こりました。ここから、米ドルは金の裏付けがなくなり、無制限に印刷できるペーパーマネーとなりました。

その後にアメリカで1995年を境に世界中のマネーが集まり、そのマネーを金融市場にぶち込みました。その結果、金融市場が不安定になり、バブルと崩壊時の値動きが激しくなりました。バブルが発生した時は資産家が儲かります。しかし、バブルがはじけた後は金融機関の倒産、融資の貸し剥がし、会社の倒産・リストラ等で資産を持たざる者が悪影響を受けます。特に平成時代から金融機関や大企業は公的資金の融資により救われ、失業者は自己責任という図式が固定化してきました。

バブル崩壊時の金融機関への公的資金注入、リーマンショック時のJAL再建、東日本大震災時の東京電力の賠償金の税金負担など、様々な事例があります。平成時代は特権的地位にいる『持つ者』と労働者たちの『持たざる者』の格差が拡大していった時代でもあります。

平成時代の日本経済の地盤沈下は深刻でした。一方で、経済に深く関係する日本の政治も影響を受け、民主主義が空洞化していきました。

ポピュリスト政治の台頭、民主主義の空洞化、統治権力の権力へのしがみつき

平成時代は日本政治の転換点でもあります。具体的には特に55年体制が崩壊し、自民党が野党になるという、自民党一党支配が崩れた時代になります。しかし、自民党に代わる政権運営可能な政党が生まれない、かといって自民党もその政党基盤が弱体化が続きました。自民党は権力基盤を維持するために、民主主義を空洞化させたのでした。

1996年に小選挙区制が導入されることにより、ポピュリスト政治が台頭します。

小選挙区制は各選挙区から1名しか当選しません。得票率トップ以外はすべて落選するため、候補者は有権者に受けが良い公約を強調します。わかりやすく、短期的な視点、要するに有権者に甘く響くバラマキ政策を公約に掲げる候補者が当選しやすくなりました。選挙活動もよりドラマティックになり、テレビのCM的な短いフレーズを名前と共に連呼する候補者が優勢になりました。

小選挙区の弊害として政治が大衆迎合的な劇場化しました、その最たる例は2001年に当選した小泉内閣です。浮動票を得るためにマーケティング手法を用いた選挙戦略、ワンフレーズ戦略『抵抗勢力!』『自民党をぶっ壊す!』などを用いて、圧倒的な熱気と共に総裁に当選しました。より近視眼的、国民の理性より感情に訴えるポピュリズム政治への転換が起こりました。

民主主義制度では、有権者が熟慮をして投票するという前提があります。しかし、感情に訴えるポピュリズム政治では民主主義は空洞化します。また、民主主義は分厚い中間層の存在を前提とします。2000年代前半に格差が拡大し、分厚い中間層が崩壊した日本では、もはや健全な民主主義が成り立つ前提がなくなったのです。


平成の時代を通して、政治の場面で有権者がひたすら失望させられたことも、民主主義が劣化した一因と考えられます。

前述の小選挙区制では死票が多くなります。選挙区当選者の得票率は多くても30%~50%になります。これは、自分の選んだ候補者が選ばれない人の方が多いということになります。しかも、『選挙で決まったんだから従え!』という多数決の暴力に従えば、有権者の大半が選挙に行く気がなくなるでしょう。


2009年の自民党から民主党へ政権交代は、国民へひと時の熱狂をもたらしました。しかし、民主党は政権運営が十分にできず、さらには東日本大震災という未曽有の災害へ十分とは言えない対応をしてきました。『選挙に言っても何も変わらない』。政権交代は日本国民により深い失望感を与えました。


その後はひたすら消極的な政治が支配しています。2012年に再度、安倍総裁率いる自民党が政権与党となりました、しかし、与党に復帰したからと言って、有権者の支持が回復したわけではありません。自民党の絶対得票率(比例区)を見ると、与党に復帰した2012年以降、野党に転落した2009年を下回ります。これは、与党に復帰できたのは、『他に良い政党がない』という消極的な理由になることを意味しています。


このため、自民党の政権基盤は脆弱であり、権力を維持するために、右傾化をしていくことになりました。安倍政権の支持者であるネット右翼に訴えかける政治により、東アジア諸国との関係悪化、対米追従路線の深化、ちなみに私のいる沖縄で辺野古基地建設が進んだのも安倍政権時になります。

国家という個人が包摂される幻想を見せ、外敵を作る。さながら、全体主義国家の典型とも言えます。平成末期は、国民の生活ではなく、権力維持を第一目標とした安倍政権が政権運営を行いました。


官邸主導の官僚支配による官僚機構の劣化

国家を運営する実行部隊である官僚組織も政権と共に劣化していきます。小泉政権以降、官邸主導と称した国家運営が行われていきます。内閣人事局を制定することにより、内閣が官僚の人事権を抑えてしまいました。このため、内閣に反対する官僚は即座に左遷させるという、内閣による官僚の支配が始まりました。

官僚は行政のプロになります。長い時間をかけて各省庁がノウハウを積み重ねてきて、その行政実行能力は信頼に足るものです。一方、政治家は選挙により選ばれており、行政実行という面では素人になります。

各省の大臣はその機関のトップですが、政策実行能力は遠く官僚に及びません。このため、内閣が行政を円滑に行うためには官僚と協力する必要がありました。時には官僚が閣僚の無茶な要求を諫めることもありました。このように以前は内閣と官僚機構の間には適度な緊張関係があり、内閣の暴走を制御する仕組みがあったのです。しかし、平成後期にこの図式は変わってしまいます。

2014年、第二次安倍政権は内閣官房に内閣人事局を設置、内閣が霞が関の幹部職員以上の人事権を掌握しました。これにより、内閣が人事権を行使して、霞が関を支配できるようになったのです。

内閣が官僚を支配している状況では、官僚は内閣の無茶な要求に対して、左遷が怖いので諫めるインセンティブが働きません。逆に無茶な要求を何とか実行しようとさえします。さらには、自分達の利益を確保するために、内閣に忖度をします。官邸主導の政治体制により、官僚は国民ではなく、政治家のために働くようになりました。

このため、平成末期には安倍一強体制という国会議席の過半数を握り、官僚をも支配したブレーキのない統治権力が誕生しました。すべての政策は、国民のためではなく、安倍一強体制の維持のために実行されていったのです。

ここまで見てきたように、平成時代を通じて、日本は政治家、官僚共に劣化をしていきました。経済の地盤沈下のために、民主主義も空洞化しました。このため、戦後から昭和までの日本の経済制度、政治制度が『終わった時代』であるとも言えます。


平成時代から見る令和時代

平成時代を俯瞰すると、前提条件の変化に対して、制度が対応していないことがわかります。

昭和時代までの経済成長を駆動するフロンティアの喪失、グローバル化による中心と終焉の構造の変化、経済成長が続くという前提に基づく民主主義。これらの条件が喪失しても、その条件を前提とした経済、政治制度を続けているために、不具合を生じています。このため、令和の時代以降は経済・政治制度を、現在の環境にあわせることから始めたほうがよさそうです。


既に日本はこれ以上経済成長をする必要がない『定常化社会』に入っていることをお伝えしました。

日本はこれ以上ガンバって働かなくていい - 経済指標『金利』から読み解く

未だに日本では統治権力が『経済成長教』が浸透しています。日本社会は経済成長がすべての不具合を解決してくれると信じて、国民と企業に成長することを要求しています。事実、日本政府は毎年実質GDPを2%の成長させることを目標にしています。

しかし、既に日本は金利0%が示すように総量では十分に豊かです。経済全体を成長させるよりは、日本国内で経済の恩恵を適切に配分したほうが全体最適になるでしょう。

政治面でも昭和型の利益配分政治から脱却したほうが良いでしょう。利益配分型政治は、経済全体を成長している環境では増えた分の利益を分け合うことができます。しかし、経済が成熟した環境では、利益配分には注意が必要です。なぜなら、限られた資源の奪い合いになることもあるからです。

このため、令和以降の日本では経済成長を土台とした民主主義から、より全員が納得感を持つことができる民主主義に政治制度を変える必要があります。

昭和時代は国土を開発させるために資源を適切に配分する必要がありました。予算を中央に集めて、中央で開発を立て、地方へ分配する。このような中央集権的な政治形態は、地方に即したきめ細かな行政が難しくなります。

今後は地方自治がより重要になるでしょう。また、地方自治を円滑するために、今まで以上に国民が政治に参加する必要があります。要するに『自治体の住民同士でしっかりと話し合い、選挙に行きましょう』ということです。

住民同士で話し合うためには、お互いの顔が見えて、お互いの状況を理解している必要があります。このため、より小さな行政単位に裁量が必要でしょう。これからは田舎の時代だと考えています。

田舎で顔見知り同士が、自分たちの村の将来について話し合い、その話し合いを反映させてくれる政治家を選び、行政をしていくという地方自治の強化が令和以降の日本で快適に生活する秘訣になるでしょう。


以上について、下記の文献がまとまっているので最後にご紹介をします。

『水野和夫・山口次郎著 資本主義と民主主義の終焉‐平成の政治と経済を読み解く 祥伝社新書』


最後までお読みいただきありがとうございました。
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