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東大の立て看板事情と東大立て看同好会について

【この記事は2018年9月に公開したものです。一時的に非公開にしていましたが、改めて公開します。】

 いま、京都大学と早稲田大学において立て看板問題が生じている。立て看板を立てる権利を守ろうとする学生側とそれを(早稲田大学の場合は実質的に)制限しようとする大学側の争いである。こうした争いに触発されて、東京大学でも立て看板に価値を見出し、積極的に立てていこうとする学生が現れた。今回の記事では彼らの活動を紹介したい。

 東京大学駒場キャンパス、そこは本郷キャンパスと並ぶ東京大学を代表するキャンパスである。このキャンパスはその設計上、外から中があまり見えないようになっている。そのせいか、立て看板が立っているというイメージはあまりないが、実は駒場キャンパスも立て看板の一大名所である。取材時は8月下旬であったので、立て看板は正門を入ってすぐのところに数枚立っていただけであるが、それでもそこにあった立て看板に凝らされた意匠をみると、立て看板製作の技術を学生たちが持っていることがわかる。
 そこに1枚、特徴的な立て看板があった。白地に赤い文字で「727」と書かれたその看板は、明らかに新幹線の車窓から見える看板のパロディである。そして、それ以上のメッセージをそこから読み取ることはできない。通常、立て看板といえば、サークルの新人募集やイベント情報の告知に使われる。しかし、「727」と描かれた看板はどうもそういった目的で立てられたわけではないようである。
 この立て看板を立てたのは「東大立て看同好会」である。この同好会は京都大学での動きに触発されてできた同好会で、取材時にはできて一週間しか経っていなかった新しいサークルである。

・駒場キャンパスの立て看板事情
 東大立て看同好会について紹介する前に、東京大学駒場キャンパスにおける立て看板事情について説明しておく。取材時には数枚しか立て看板が立っていなかったものの、サークルの新歓時期と駒場祭の時期には構内の道の両側が立て看板で埋め尽くされるほどの看板が学生によって立てられる。また、駒場キャンパスには自治会が残っており、それもあってか大学構内ならば、自治会が定める安全基準を満たせば自由に看板を立てられる。
 東大の学生であれば誰でもサークル棟で工具と木材を借りられるらしく、それらを用いて立て看板を作る場所をきちんと残っている。ただし、ペンキはサークルもちらしい。こうした環境は京都大学や早稲田大学のそれと違っているが、最もわかりやすい違いは、立て看板の仕組みである。それぞれの大学内でも場所によって違いがあると思われるが、現在の立て看板問題を念頭に置けば、京都大学では百万遍の石垣が、早稲田大学では諏訪通り沿いの戸山キャンパスのフェンスが、それぞれ立て看板を立てる場所になっており、石垣に立て看板を立てかける方法やフェンスに立て看板を括り付ける方法が基本的な設置方法になっている。一方、駒場キャンパスには立てかけるための適当なものがないため、立て看板を自立させている。立て看板だけでは風などで倒れてしまうので、重石が必要であり、水を入れたポリタンクを重石に使うことが自治会の定めた安全基準に含まれている。

・東大立て看同好会について
 以上が駒場キャンパスにおける立て看板基本情報であるが、東大立て看同好会がサークル化したのも木材や工具が借りられるという事情があってのことらしい。サークル化のしやすさや、道具を借りられるなどのメリットは学生主体の自治会が残っていることの強さであるように感じた。
 例えば、早稲田大学には学生会館内に立て看板を作ることができるスペースがあるが、そこを使えるのは学生課から公認を受けたサークルだけであり、公認サークルになるためには厳しい要件がある。他方、東京大学駒場キャンパスでは書類申請すればサークルを立ち上げることができる。彼らは京都大学の動きに刺激を受け、勢いでサークルを立ち上げたらしいがそうした素早い反応ができるのも学生の主体性が比較的守られていることの証である。
 彼らはまだできたばかりのサークルであり、まだ「727」の看板しか立てていない。「727」にした理由は「話題性を得るため」らしい。実際、彼らの思惑は見事的中し、「井の頭新幹線」とコメントをつけてTwitterに投稿した画像は拡散された。
 しかし、彼らが「727」の看板をわざわざ井の頭線から見える位置に設置したのには、単なる話題性を得るためだけではなく、ある壁を壊す意義もあった。その壁とは、事実上の設置規制である。駒場キャンパスでは誰でも自由に立て看板が設置できることはすでに説明したが、教養学部が事実上の規制をして学生が立て看板を立てられないようにしているエリアがあった。それが井の頭線東大駒場駅と駒場キャンパス正門の間のエリアである。ここは東京大学の敷地であり、本来なら自由に立て看板を設置できるはずである。しかし、数年前に倒れた立て看板による事故が発生しており、それ以来、学部側は立て看板の設置を原則として認めなくなってしまった。
 だが、そのエリアは外部に向けて立て看板を立てることができる重要な場所である。立て看板には倒れる危険性が確かにあるかもしれないが、自治会の尽力により重石を増やす、強風の際は伏せる、日常的に見回るなどの対策を行うことで危険性を大幅に抑えた。そうした対策があるにもかかわらず、学生側が萎縮してしまい、はじめから設置しないという方向に行ってしまうのにはあまりにも惜しい場所である。東大立て看同好会がそのエリアに立て看板を設置したことは、そうした事実上の規制を打ち破る意義があった。
 取材時には「727」の看板は正門を入った場所にあったが、彼らのTwitterによると、その立て看板を改めて問題のエリアに戻したらしい。しかし、その後、大学職員によって、そのエリアから撤去されてしまったらしい。大学側がそのエリアに立て看板を立てることにいい顔をしないことが明らかになった展開である。

 東大立て看同好会の活動は始まったばかりだが、彼らのうちの1人が立て看板の魅力について語ってくれた。

「タテカンを作るのは楽しい。プリントした紙を貼るだけのハリカンを出すサークルも多いが、演劇サークルのタテカンは1つの作品になっている。タテカンというのは1人では完結しない。作るのを手伝ってくれる人がいて、一緒に運んでくれる人がいて、立てたのを見てくれる人がいて、さらにTwitterなんかで反応してくれる人がいる。それが楽しい。大学にタテカンがあることによって、弱いつながりや強いつながり、いろいろなつながりができる。それがタテカンを作るということだし、それが学生の文化だということだと思う。」

 立て看板は一人では作れない。木材を切り、ペンキを塗り、組み立てる必要がある。その作業過程で新しい仲間ができたり、仲が深まったりする。立て看板の話題になるとどうして立てた後に焦点が当たりがちであるが、立て看板にはそれが作られる過程で学生達をつなげていくという力もあるようだ。


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